育ちのよい人を見ると和むもの
見ているだけでもいい。
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「育ちのよい人」というのは心が和みます。
こちらもつられて穏やかな気持ちになるものです。
こういう「人の品のよさ」というのは、社交の場面、人との付き合いであなどれるものではありません。
私も育ちがよいフリ、上品なフリぐらいは努めてしてきたものです。
育ちの良い穏やかな育てられ方をしてきた、なんて、得意中の得意の大嘘ですw。
汚いものを知らず、トボけて常に正道のことしか触れませんでした。
「え? キャバクラの枕営業ですか?
枕投げでもやらせてくれるんですかねぇw
修学旅行みたいなw いいですねぇ♪」
なんてwww。
由緒ある家柄というもの。
確かにウチは家柄というのはあるのですが・・・育ちは毒親なのですがw。
そういうことを話す時、人の目線が変わることを私もよく実感していますw。
私も役者の端くれということでしょうw。
や、役者やのぅぅぅううww・・・(汗)
育ちが良いと、人に嫌なことを思い出させない。
人生にある様々な悪い部分を想起させません。
そういう人に人は集まります。
苦労や困難を想像させられない人を見ると、人生というのはまるで幸運の連続のように思えてくるものです。
とてもラッキーな人だ、だから生き残っているのだろう。
誰しもそういう人たちにつこうと考えます。
だからそういう人には自然と、お金も運も人さえ集まるものです。
これは処世術としてとても有効なことです。
「当たり屋につけ、曲がり屋に向かえ」、ですw。
育ちのよい人というのは、穢れに関わらない。
あざやかに軽やかに、嫌味なくそういう厄介ごとを避けるものです。
時代の荒波の中、小船のように揺れ動く人々が、日頃の苛立ちや鬱憤を癒せるとしたらそんな人です。
育ちの違い、キレイな人。
穢れのない人は救いです。
イレズミもなく、髪の毛を染めたこともなく、家柄にはケチのつけようがなく、普通で、根無し草などではなく、近親者には犯罪者も天下りもいない。
季節を知り苦労を知らぬ人。
のほほんと生きてきた楽しみの人。
そんな人がいるから、人々は日々を戦うことができる。
「あんたは、ちょっとそっちに行ってなさい。後は我々がやるから」、と。
おうぞどだいじに
おそまつ
