ゲイって悲劇のヒロインなのよ
ハロー(笑)
☆
アタシのブログによおこそ。
楽しんでいただけてるかしら?
実はアタシ、とてもゲイっぽい部分がある。
アタシのブログが面白いと思ってくれているとしたら、実はその大部分はそこに依存しているんだと思うわ。
おそまつ。
最初に言っておくわww。
世の中の人で、常に「自分」「自分」、とにかく自分のことばかり、そんな人たちがいる。
例えばそれは平成の正田美智子だったりするし、アレはとんでもないことだけど、上手にそういう自分を使って生きた人もいる。
ミュージシャンや役者なんかにいるわよね。
エルトンジョンとかもね(笑)。
彼らはとにかく自分を見てもらうことに熱意を傾けるの。
そして最後はそれが悲劇のヒロインということになる、そんなお話。
エルトンはゲイなんだけど、考えてみるとゲイにはそういう「自分、自分」と言う人が多い気がする。
エルトン、フレディ、ジョージマイケル、みんなまさにそれだった気がする。
先天的なものであっても、鏡ばかりをみちゃって後天的にゲイになった人でも、結局、ゲイって自分を見せたいという人が多いと思うの。これはアタシの直感だけどね。
それに比べるとレズビアンっていつも女王様なのよ。
ゲイってひとくくりにして、レズビアンもホモセクシャルも同じ、LBGTなんて言っちゃってるけど、ぜんぜん違うのよねw。
彼らにはそうやっていっしょくたにされることに不快感ってないのかしら。
いっしょにしている連中には違う思惑があると思うわよ。
今、黒人の権利とかでホワイトニング化粧品はいけないってことになりそうよ。
白人中心の思想があるからって(笑)。
そしてホワイトハウスもいけないとか、って、もうこうなると冗談でしかないわよね。
それならホワイトデーもホワイトカラーもいらないわよねwww(笑)。
イエローの権利は言わないみたいだけどねww。
ビアンが女王様感覚って考えると、確かにレズビアンのカップルには一種の支配関係があるわよね。
支配されているように見えるネコ役にだって、
あ、ビアンって、ネコとタチっていうのがあるのよね。二人の間の役割のことだけど、
そのネコ役だって、支配ってところをまず受け容れているわけよ。
でも、ゲイがそんな話をしたら大変だわよ。
「相手への思いやりに欠ける」なんて話になっちゃうわよ、きっとw。
彼らは繊細なんだからw。
そしてゲイは自分のことを見てもらいたい気持ちでいっぱいで、そしてだから、突き詰めればどうしても悲劇のヒロインになりたがる傾向があるということ。
エルトン監修製作総指揮の映画、「ロケットマン」って映画にはそれを強く感じたのよね。
それに、考えてみれば「悲劇のヒロイン」って、なんだか女王様ってことよりずっと自然な「自分」なのよね。
これはきっと欝にも通じることなのだと思うの。
自分の悲劇化って自然な流れなのよ。
だってさ、人間ってどうたって何かしら傷ついてくものじゃない?
そうしてゲイって自分に酔うというわけなのよねw。
でも、わざわざ悲劇を呼ぶ必要はないと思うわよ。
いみすぎはのけません
