自然は決して飛躍しない(キリン)
私が好きな言葉のひとつです。
☆
アリストテレスだと思っていましたが、どうも違うようでしたが(笑)。
先日のオシドリの写真、あれは本物の鳥です。
無料素材画像というのが貰えるサイトがあって、写真のヘタな私にも使えます。
オシドリの羽模様はまるで作り物のようですが、もちろん自然の生き物ですw。
あんな模様、そしてあの質感。
自然の姿に我々はいつも驚かされます。
まるで美しいものを造ろうと工夫を凝らしたようにも思える。
いったい誰のために?(笑)。
万物を造った造物主が、どれほどの才能と発想があるのか想像もつきません。
自然には人間が作るどんな芸術作品よりも人を驚かせるような輝きがあります。
ただ、「自然は決して飛躍しない」のです。
自然とは必然の連続。
時間とともに生まれた今のオシドリの姿は、どんなに驚く紋様であっても、飛躍した偶然の産物ではありません。
自然にはどんなものにも法則があり、生物は長い交配の歴史があって今の姿があります。
だから、自然に意外性や特別な意味を見出そうとするよりも、その必然性を考えるべき、そんな教えなのでしょうか。
あるいは、この言葉には別な意味があるような気もします。
自然はジャンプすることもあるからです。
それを特別なことと考えてはいけない、そういう意味が含まれている気もします。
高いところのモノが欲しいからキリンは首が長くなったわけではありません。
私がいくらスケベでも・・・(略)。いや、失礼ww。
ある日、ラクダの一種が突然変異し、クビが長い変わった子が生まれました。
そのクビの長いラクダは環境に不思議と適応していた。
首が長いことを利用して、日照りで草が生えていないサバンナでも、木の高いところの新芽を食べられたので飢えなかった。
見渡す草原の遠くを見ることができ、肉食獣を遠くから見つけることができ、捕食されにくかった。
そうしてキリンはキリンとしての種を保存することになったのです。
そのある日の突然変異は、ウィルスによる変異だったかも知れない。
そう。
今回の新型コロナウィルスのようなものだったかも知れません。
環境がゆっくりと変化し、生物はそれに適応してゆきます。
そこに突然変異があることは決して飛躍ではない。
それは必然と思うべきなのでしょう。
自然は飛躍しないが、必然は突然に舞い降りる。
しかし、私はちょっと間違えました。
これはオシドリという鳥の羽模様からの話でした。
キリンではいけない。
サントリーだ(笑)。
おそまつ
