タバコ屋の噂話(福沢諭吉の妾)
タバコ屋のお話を引き続きいたしましょう。
こういうのは勢いだから(笑)と、振り返りのこと。
私はよく子供の頃にタバコを買いに遣いにやらされました。
父親が実家によく寄ったもので、父はいつもなにやら話込んでいた。
角にタバコ屋があって、歩けばわずかひとつブロックの先でした。
そこにに遣いに行った。
そのタバコ屋さんは昭和の時代にはお定まりの格好をした小さなタバコ屋さんでした。
カウンターのようになっていて小さな窓ガラスが嵌めてありました。
ああいう店舗デザインは昭和の古い時代のものです。
「看板建築」なんてものと同じ頃に流行したものスタイルだと思います。
カウンターの下はガラスのショーケース、そこが立ち上がる壁にはタイルが貼られ、「たばこ」とひらがなが印刷されていました。
いつも婆さんが中にいて、まるで猫が番をするように横向きに座っていました。
今、そんなタバコ屋さんの風情を知らない人にイメージを伝えるのは難しいかも知れません。
ちょっと無料素材を探してみました(笑)。
こんな感じの佇まいです。
青と白の市松模様、こんなタイルの感じでした。
それがポイントでしょうかw。
声をかけると、タバコ屋の婆さんはこちらをジロりと睨むと、少しニコリと笑ってくれてタバコを出してくれます。
私はタバコをひとつふたつ買い求めます。
婆さんは黙って釣りを寄越します。
そうしてガラス戸を閉めるとまた静かに横を向いてしまう。
何かつっけんどんではありましたが、私はこのタバコ屋がなぜか好きでした。
そのタバコ屋の婆さんは、近所では「福沢諭吉のお妾さん」だったと噂されていて、終戦後に流れてそこへ住み着いた人だと言われていました。
私がタバコをお遣いに行かせられていた頃は1970年ぐらい。
おばあさんは当時、85、86歳だったか、シワくちゃのお婆さんでした。
すると諭吉が50歳ぐらいの時に16か17の若い芸者かなんかをお妾さんにしたのだったら辻褄は合います。
諭吉は洋行先でも女性と付き合ったりしていますから、そんなに奥手でもなかったようですし、ありえる噂話です。
そんなことが頭にありましたから、婆さんに「お遣いかい?いつも偉いね。勉強してるかい♪」なんて聞かれた時には、私は何か重いものを感じたものですw。
福沢諭吉は「学は身を助ける」というのを地でやった人でした。
今、コロナで休校やら外出自粛で、すっかり怠け癖がついた子供たちが育ってしまい、これからの日本は大変なことになりそうです。
呆けた連中がこれからわが国の社会の中心では困る。
今の壱萬円札は聖徳太子から福沢諭吉に変わりました。
諭吉の教えを守り刻苦勉励し、勉学にいそしめば万札が入ってくる時代なのです。
だから、大人はせいぜいタバコを買ってくるよう遣いに子供をやらせて、せいぜい勉学にいそしむように仕向けたらよいのです。
大人の方もケチな禁煙なんかしないで、どんどん吸ってやりましょう(笑)。
あれ?ww
どっか違ったかなwww
ひばこはたかえめに(笑)
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