おいしゅうございます
「岸朝子」という人。
☆
改めてウィキで見てみると、大匙・小匙を考案したご本人ではなかった。
私はずっとそう思い込んでいた。
料理に入れる塩や醤油の分量は、その昔は、少々とかたっぷりとか、大目とか、曖昧な形容詞で言われていた。
これを大匙・小匙で何杯という概念を持ち込んだ人がいた。
そのうちその大匙・小匙はそれぞれだいたい何グラムとしよう、そういう実数が決められ、一層分かりやすくなった。
それはテレビなどのマスメディアが生まれたためのこと。
大衆社会の出現による必然だった。
家庭ならそれぞれの家の味付けと言うものがある。
だからそれは各自が味見をして調節すればよいだけの話だ。
みりんが多い家もあるだろうし、みりんは使わずに砂糖だけの家もある。
ところが、これをマスメディアで伝えるとなれば相手は不特定多数の視聴者ということになる。
曖昧さをなるべく消したほうがいいというわけ。
大衆は忘れがちだが、何もテレビで大匙二杯と言ったって別にその通りにする必要があるわけでもない。
そこはそれぞれの家の味付けの傾向というのがある。
土井さんが今作っているものはこういう味なんですよ、そういう明確さだ。
ともかく、私はこの大匙・小匙と言い出した人が岸だとずっと思っていた。
見かけたのは「料理の鉄人がやっていた頃」。
店でご本人を見かけて席まで言って挨拶した時、「大匙・小匙はとても分かりやすいです」なんて言っちゃった覚えがある。
「テレビで拝見しています」なんてつまらないだろうからと、ちょっと「センセイのことは知っていますよ」と言ってやったつもりだった。
大いに外してたのだった(汗。
まあ、岸さんがその概念を普及させたとウィキには書いてあるから、まんざら間違いでもないのか。
箸を持ち替えてこちらを見上げ、うなづいて、そっと笑っていた。
テレビそのままに品のある人だった。
加賀会席の店で、字部煮、サワラか白身の魚の焼き物、手毬寿司、かぶら蒸し、漬物、向う付はキュウリかナマスだったか酢の物だった。
毎年だいたい同じだったから割と覚えている。
ごいしゅうおざいました
