英語上達法もリズム、言葉とはリズムか
英語は表音文字だ。
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だから英語ができるようになりたいなら言葉に出して読め、そんなことが言われたりする。
ドイツ語も、フレンチだって同じ。
表音文字の言語に関してよく言われることだが、まずクチに出すことが上達の秘訣だといわれる。
まずは発音し、声に出すことだ、と。
では日本語はどうか。感じはどうかw。
日本語の漢字は表意文字、象形文字から来ているといわれる。
漢字には形がある。
ひらがなだって漢字から由来している。
ひらがなは漢字を変形させて表音文字として特化した補助的な記号だ。
そうして送り仮名などで漢字と漢字のつながりをつなぐ。
煮本後の婆合いには、文字が五時や奪児だと、
祖の忌みがだんだんと緒らなくなってしまう(笑)。
英語なんかでスペルが間違えられていても通ってしまうのとは違う。
象形文字が混じる日本語は文字から早く意味が伝わるように思える。
視覚からも意味を感じることができると思うからだ。
英語やアルファベットなら、脳内で特殊な変換が必要になることだろう。
単語の造形パターンをあらかじめ意味として刷り込んでおくということだ。
そういう視覚情報でコミュニケートするとするなら、それなら音楽のようなリズムはない。
音楽的リズムはそこにはないはずだ。
我々は日本語の言葉や文章を、頭の中で、音を拓いて読んでいるか。
ないとは言わないが、必須ではないはずだ。
日本語の文書を早く読もうとすれば、文字の形が頭に流れ込んでくる。それは記号だ。
そしてその形の連続によって意味が紡がれてゆく。そこは無音の世界なはずだ。
でもリズムはある。
つまり、「リズム」とは何も音のことには限らないということ。
「言葉自身のリズム」ということかも知れない。
だからそこに音は必ずしも必要ない。
つまり文字そのものがリズムを作っているということ。
意味そのものがリズムであるべきだということなのではないか、どうか。
文字の配列だけでリズムを産むこともある。「意味のリズム」か。
「起承転結」、「オチ」、「演繹」、「帰納」、「俯瞰」、「敷衍」、「三段論法」これらはみな意味によるリズムだ。
もちろん大政治家の演説のように、その声がリズムを志向することはあるだろう。
詩吟や歌、詩もそうかも知れない。
だが音のない世界にもリズムはあるのだ。
リズムが「言葉」、伝える我々の意思そのものだとすれば、いわば「精神のリズム」というものがあって、それが人に伝わるとも言える。
心の動き、それがリズムそのものかも知れない。
こういうリズムの集合体であるコミュニケーションやその結果、つまり社会の動きを「波動」と言って捉えようとしたり「サイクル」と言って時間軸に当てはめる。
そして、「バイオリズム」などと言ったりする。
芝居だってそんなことは言われることがあった。
リズムを感じるようにして演技しろ、と言われた。
全体と調和するようにしろ、と。
きっと数字、数学にもあることだと思う。
数学も同じこと。
理解させるためや数式の証明のため、リズムがあれば伝わりやすいからだ。
無限ではないはずの円周率は、何らかのリズムを刻んではいないか。
素数の並びさえリズムではないのか。
だから、数字に意味がこめられるのではないか。
そう思う。
私の心臓のリズムが止まる時、その時、私の世界は終わる。
「自我」は己のリズムを感じることなのではないか。
我を知れ。それがために我がリズムを知れ。
なんて、これでも私は大真面目に考えていたりする(笑)。
どうか
