「茶飲み」とは
「茶飲み野郎ども」
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私は昔、そういう言い方をしていたものです。
とんがっていたのです(笑)。
会社や役所で、お茶の時間があったりする連中がいる。
飲むのはコーヒーではない。
緑茶だ、玉露だ、番茶だと、お茶の種類ばかりが給湯室に並んでいる。
まるで儀式のようにお茶の時間が仕事には必須だという、そんな連中が世の中にはいたのでした。
「三時」なんかを必ず取ったりする連中がいます。
だらけた空気、実に呑気なものです。
きっと毎日が退屈でたまらないだろう。人生の時間の無駄というものだ。
もしそれが苦痛でないとしたら、お前は茶を飲むのが仕事なのだ。
お前は「茶飲み」だ、とwww。
なーんて、友人にも言っていたものです。
実際、「茶坊主」なんて言葉があったりします。
茶を出す役目。
お客にうやうやしく茶を出したりしますが、いつもなんだか偉そうです。
その程度の仕事、主人への取次ぎ程度の仕事なのに、なにかいつもカサにかかっています。
そういう昔からの言葉があります。
もともと私は日本茶を飲みませんでしたから、そういう連中は特に目立った。
自分の湯飲みを持ってきている。
給湯器あたりには必ずOLがいたりする。
来客があればまずはお茶の用意をさせる。
客へ茶を出す順番には特に気を遣う。
茶柱が立てば子供じみた話が必ず出る。
茶を出したり電話に出たり、いちいち礼儀だ常識だと、何のことだかわからない。
まるで茶道です。
しかし茶道と決定的に違うのは、主人と客の気持ちなどまるでないこと。
権威主義的で無駄が多いこと。
まるで時間をいかにムダに使うかがその目的であるかのようでした。
年功序列。
役職が上のものには媚びへつらい、威張り散らすだけです。そして周囲は、それに突っ込みを決して入れることはありません。
まさに茶坊主そのものではありませんか。
お茶の出し方にこだわる上司がいる。
そしてどっかの出張のお土産だと、菓子なんかがふるまわれます。
業務時間内に新聞を読み、夏には高校野球が小さく流れていたりする。
誰かが結婚すればそれぞれが祝儀を出し合い、出産すればまた祝儀。
仲人をすれば自慢の種。
誰かが転職を計画中との噂が出ればとたんに悩みの種。
上司が部下の家に行くなんて普通のこと。
仕事は舞い込んでくるもので、得意さんの接待が最も重要な仕事です。
付き合いがあれば切られないと、いつまでも安穏と構えています。
逆にマジメな提案をすれば小馬鹿にされ、すべてが冗談で片付けられてしまう。
そういう組織というものが昔はあったのです。
失敗があれば上司は逃げ、責任は取りません。
使い込みは見逃され、結局はウヤムヤになりました。
人間関係が大事だと、そんな調整役が出世をしてゆく。
陰口を言う者が重宝され、自信タップりに何かを言えばたちまち干される。
あいつは自分ひとりで数字を挙げているつもりだ。生意気だ。
そういう理屈がまかり通ったものです。
人事が幅をきかせ、意味不明の評価が横行した。
責任は誰も取りません。
・・・古い。あまりに古い世界です。
想像をするのももはや困難と言えます。
いまどきそんな会社や役所はないはずです。
私は最近、そんな昔をちょっと振り返ったりします。
このところ私も、よく茶を飲むようになったからでしょう。
ピロリ除菌のおかげで、コーヒーや紅茶でなく最近はよく私もお茶を飲むようになりました。
そうしている時、彼らがどこへ消えたのかを思ったりします。
これからの世界はまた変わります。
再びこれまでの価値観は崩れ焼けて野原となることでしょう。
これだけの大きなショックで何も変わらないわけはありません。
少なくともこれからは「ITろくろ」なんて、誰も回さなくなるはずです(笑)。
