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文字の取り消し線というもの

 文章の世界には、「取り消し線」というのがあります。

 こんなの を言います。

 今、これを使っていますか?


 これとは逆のことが子供の頃には言われていました。
 私が子供の頃にはよく答案や何かについて口うるさく「消しゴムで消してキレイに」
 なんて言われたものです。
 そしてみんなそれに従っていました。

 取り消し線なんかを使ったら、それこそ教師にはいい顔はされませんでした。

 「なんで間違ったら丁寧に消して書き直さないのか」、そういう主張を押し付けられてきました。
 グシャグシャ消すな、と。


 今となって思えば、どうもおかしな日教組あたりの教師だったんでしょうか、クソ教師が、「出す答案は見る先生の身になって書くべきだ」なーんていう主張を生徒に強要していたのです。

 だから、みんな、右左を知らぬ幼い頃は、まるでひとつの作品のようにして答案をキレイに書こうとしていたものです。


 しかし答案というのは正解か不正解か、それだけのはず。
 正解を解くのが目的ならキレイな答案など意味はありません。
 間違った教えではあったと思います。

 こういうことは無駄どころか非効率でしかありません。
 グローバルな競争社会ではなおさらそうでしょう。


 それこそ、自分が覚えるために学習のためにつけているノートです。
 キレイである必要はありません。

 それを教師に見咎められて、「お前はノートがキレイだな、偉いぞ、」なーんて、誉められる風潮というのがありました。
 そんな時代というのがあったのです。

 そしてやがて大学へ、「あいつの講義ノートはきれいだからコピーさせてもらおうぜ」なんて話にも続きます。


 やがてそんな子供たちでも少し大きくなると、すぐに世の中との接点が生まれ、文書というもの、意思や要件を伝えるものには取り消し線が使われているということが分かってきます。
 これはちょっとした驚きになりました。
 なんというあっけらかんとしたこと。世の中の動きはずっと効率的でした。
 教えられてきたこととは全然違うのでした。

 公文書でも、郵便でも何でも、消しゴムでいちいち消したりはしない。間違ったらさっと取り消しマークをつけて上に書く。
 公文書なら訂正印を押す。
 それは実に能率がよく、効率的で当たり前のことなのですが、教育の現場とはまるで違った社会のリアルな有り様なのでした。

 それにハッと気が付いた、そういう子供たちとそうでない子供がいた。


 しかし人生というもの、消しゴムで消せるもの、なかったことにできることなんて、そうそうはありません。
 犯罪歴は消せませんし、それこそ離婚したらその事実は抹消したり、なかったことにはしてくません。
 離婚したらバツがつくわけです(笑)。

 若気の至りのタトゥーだって、そうは消せない。泣いてもダメ(笑)。
 そういうリアルに気が付けたのは、果たしてどちらの方だったのでしょう。


 こういう、取り消し線で済ませるというのは、社会の効率と冷酷さを思わせます。
 ノロマは置いてかれる。覚えの悪いヤツは後回し。
 合理的なやり方の追求と能率が裏にあったのでした。

 そうして、世の中というのは、決して見てくれ、見た目ではない、要件や文書の内容こそが大事とされているということが分かったりしていったものです。


 そうすると、これに気が付いた連中と言うのは、いちいち消しゴムで消したり、丁寧にノートをつけるなんていかにもムダだということがわかってしまいます。
 どうせ自分のノートだ、間違ったらグシャグシャと潰して、大事なことはすぐに書きとめていく。そして次の課題、次の設問。次の覚えること。

 そういう、コツが分かった連中というのは、すぐに鉛筆やシャープペンシルを止めて、ボールペンなんかにしていった。消しゴムを使わないようになり、どんどんノートなんかをとるようになってゆきました。
 そうして生意気で世間をよく分かった若者になっていきましたwww。


 ところが、要領の悪い連中と言うか、教条的な教え方に従い続けた子供というのはいて、ずっと消しゴムでいちいち消して、自分のノートを誰に見せるわけでもないのにキレイに体裁を取り繕うということをやり続けました。

 しかしやることは覚えること。理解すること。計算の仕組み、証明のやり方、ポイントを要約することなのですが、消しゴムにこだわっているとそのスピードは格段に遅い。


 残酷なことですが、「間違えたら消しゴムで消せ」という教え方は、その後の子供たちの能力に大きく差をつけてゆくことになります。


 歳をとってビジネスマンになっても、キレイな手帳をつけている人がいます。
 それはとてもキレイで、美しい手帳です。間違った取り消しの跡がありません。
 そういう人は身なりもよく、伊達でおしゃれです。
 しかし、たいていは期待はずれというケースが多い(笑)。
 そういう人がどれだけそのメモに時間をかけているか、考えればわかることです。

 能率と効率、スピード。それが現代社会に求められるもの。
 決断と適応力、判断力。
 間違ったらすぐに損切りできること。
 やはり、「取り消し線」の使い方なのです。しかしそれは社会でのこと。教育で教えられることはありません。


 自分用のメモは自分しか読めないぐらい汚い。
 そういう効率と思い切りのよさというのが実は生きるのには必要になってゆくのですが、いつまでも「消す」ということに呪われてしまった人たちはスピードを犠牲にすることになりました。

 その代わり、社会と折り合いを合わせてゆきます。
 見栄えがよいことに気をつけてきたのですから、そういう意味では世渡りが上手になってゆく。

 だからもちろん、取り消し線を使わない人は、全てを人に見せるような人生にすればいいわけです。
 中身など関係ないかも知れません。

 なんでもオープンにしてよそ行きの自分、常に見せられる人生にしてゆけばいい。
 どこから見てもカッコがついています。メモも誰でも読めるほどきれいです。

 それを評価してくれる人もいることでしょう。
 そういう意義はあるかも知れません。
 そういう生き方があることも否定はしません。

 能力だけでは生きてゆくには、社会はツラいかも知れないからです。


 ただ、振り返ると、「世の中には教えてくれないことはいっぱいある」ということだけは確かです。


 振り返れば、私は何かそういう踏ん切りをつけられるキッカケがあった。
 思い出し、自分には感謝しています。

 汚くても正解を求めること。
 どんなに無様でもいい、正しさを追求すること。
 人の目は関係がない。
 私の探しているのは結果です。

 居心地のよい「状態」ではありません。


 もしかしたら、私がひねくれているのはそういうことかもしれないと、ふと思ったりはするのですが、自分の能力を疑うことはありません。

 もちろん、それだけでしかありませんけれども(笑)。
 ただの性分というヤツです。

 能力があろうがなかろうが、金は入るところに入る。
 モテるヤツはもてます(笑)。
 仕事の効率がよかろうが、人の評価はまた別です。
 禿げない人は禿げませんww。


 ただ、取り消し線というものには、何か、そこには、そういうちょっとしたパラダイムの転換があったような気がしてしまうこのごろなのです。

 

なんの偶然かは知りませんが、
 フランス語には「消す癖?」という言い方があります。

 Qu'est-ce que c'est ?  これは何?

 という意味です。


「これは何だ?」
 そう言おうとしても、もし消してしまっていたらその痕跡はどこにもない。


それなら私は 
 ジュセパぁーーー! Je sais pas! と返すつもりw。

 知らんがな!


 という意味ですwww。


 どうぞよい人生を


おそまつ


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