相手の感覚に訴えるのはリズムだと思う
例えば、文書量が多いとなかなか読ませるのは難しい。
☆
ましてや複雑でそれぞれの論点が絡み合い、編むように関連を示し、根拠を示し、確実な説明や証明をしようとしたものは大変だ。
読み手にはよく考えてもらわねばならないし、論点を追ってもらわねばいけない。
それはプレゼンだったり、主張とか論証とか、論文とか、マニュアルだったり、契約書だったり、なんでもある。
だが人は結論を急ぎ過ぎるものだ。
「少なくしろ」、「簡潔にまとめろ」なんてことはよく言われる。
プレゼンなんかではA4ペラ一枚がいいとされたりもする。
そういう簡略化に流されてしまうと落とし穴があるが、だからと言って読み手に注意を喚起することは難しい。
とにかく結論をと人は先を急ぐ。
だから、ただ冗長にならないよう注意するだけでは足りない。
自分と頭の中が同じ人間が読むわけではない。
前後の事情が分からない人間、右も左も知らない人間が相手だという前提で書いて、論旨を理解させないといけないのだ。
そうなるとどこに気をつけたらいいのか。
読み手が積極的に読んでくれるようにさせるにはどうするか。
結局、リズムということだと思う。
リズムがあれば長くても読ませることができる。
そのリズムを忘れないことだ、そう自戒する。
ハリーポッターも原書はそういうリズムがあって読ませるというし、聖書にしてもそうだ。あれは翻訳でもリズムを感じる。
人の頭に容易に入り込むには一定のリズムが必要になる。
映画監督をやっている人、二人の監督とそれぞれ話をしたことがある。
それぞれ別々な時、思っていたことをよい機会にと聞いた。
「映画と音楽、人の人生に影響を与えるのはどっちか」と。
どちらの映画監督も、「音楽」と答えた。
意外でもなかった。
私もそう思ってたから。
映像を作っているヤツラがそう言ったのは私には大きいものがあった。
音楽はリズムだ。
リズムは我々の生活を支配し、人生に影響を与える。
ムスリムがあまり音楽をよしとしないのも無理もない。
コーランがリズムであり、ムスリムという宗教が音楽そのものだからだ。
映画のワンシーンが頭にフラッシュバックして、映画のストーリーのパターンに行動がハマってしまうということはある。
そんなことだって少しはあるだろう。
「お前はヒーローにでもなったつもりか」、私をそう言ってなじった腰抜けがいた。
「そんなわけはない」それが連中には分からないのだ。
そんなことは続かない。
いくら不撓不屈のボクサー、ロッキー・バルボアがカッコよく映画で感じても、動機がなければ同じように情熱は続かない。
仮面ライダーの真似をして遊ぶ子供程度の共感だ。
映画は、人生という長い旅すべてに影響を与えられることはない。
それはリズムではないから。
電車に閉じ込められて会議に遅れそうになった時、映画「死刑台のエレベーター」のシーンなんか思い出すヤツはいない。
「デッドマンウォーキング」を思い出して歩く死刑囚などいない。
その時、きっと頭にはエバンゲリオンだったり、葬送行進曲が流れているはずなのだ。
おそまつ
