鰤大根を最後まで活用すること
世間的にはモノは十分に足りています。
買いだめが起きているといっても、結局はケチな話なのですwww。
業務スーパーのパスタは売り切れていますが、オーマイだのママーだの、日清だのの少し割高に見えるパスタは残っています。
もちろん、ディチェコもバリラなんてものもいつものようにあります。
うどんも蕎麦も棚にはちゃんと残っています。
ただ、モノが買い占められているなんて聞かされると、モノ不足のイメージは植えつけられてしまうものです。
鰤大根を作りました。
野菜は高くなりましたが魚は今まで通り。安くなったものも手に入る。半額シールのものがちゃんと入手できます。
野菜は牛蒡が健闘していますね。
だから牛蒡はこれまでになく有難く使っています。
だからもともとが安い。
鰤のアラはもちろんパックで買ってきたもの。
パックに輝くシールは半額(笑)。
最初にシンクでパックのラップを開けたら、そこにポットのお湯を直接かけて少し洗います。
ズボラなやり方ですが、ボウルに鰤を移してお湯をかけても同じこと(笑)。
こうしておくと血や生臭いものが洗い流せます。
アラだけに「洗う」のが前提www(笑)。
鮮魚コーナーの人もこってりとは洗っておいてはくれません。
しかし鰤というのは、意外と魚の中ではそれほど生臭くないものです。
その証拠に、鰤大根には生姜を入れる人はあまりいません。
魚の煮付けなんて、よく生姜を匂い消しに入れたりするものですが。
鰤大根はいつものように美味しく出来上がりました。
大根が高かったので今回は大根はなし。
牛蒡を入れて圧力鍋でシューして出来上がり。最後に冷凍のオクラを入れて。
美味しく食べ終わって、モノ不足ということでフト考えました。
この鰤大根の煮汁はいつもどうしていたっけ。
少しダシに味噌汁に入れたりはしてましたけど、残りはほとんど捨てていた。
今回は残り汁を蕎麦にしてみようか。
「土井善晴さんはこのあいだ、サバ缶使って蕎麦作ってたよ」なんて嫁が煽る。
いや、あの人は関西の人だから・・・。
どうだろう。
蕎麦が魚っぽいというのは。
やはりいくら鰤でも魚臭いということはあるだろうから、そこはうどんかな。
モノ不足のイメージがあるおかげで鰤大根の残り汁の有効活用を考えました。
うどんにしてみました。
庭のセリを採ってきて、タマネギ、鶏肉、人参。
ちゃんと薄めれば美味しいものです。
煮汁だから濃いのです。
それで麺のツユにできない気がしてしまうというだけ。
薄めて使えばいいのです。
薄めるとツユとしては上出来。
かなり美味しいダシのある味になりました。
鰤ベースのダシに鶏などの具が漬かっている感じ、とても美味しい味になりました。
そう分かったら、蕎麦でもよかったかも知れないと思いました。
考えてみれば「アゴダシ」なんてありますし、蕎麦でもカツオ出汁はあります。
魚でダシ取るというのはあるのです。
なぜかこれまで煮魚にしてもアラ煮にしても、出た煮汁はあまり活用しませんでした。
鍋をやるとその残り汁はだいたい使っているのに。
もうこれからは煮魚の煮汁は一滴も捨てずに使い切ろう。
ウチはそう決めたのでした。
もうとっくにやっているよ、そんな方もいるとは思いますけれども(笑)。
こういう考え方の転換というのはとても大事です。
なんとなく思い込んだり、常識になってきたことというのは突然に変わる。
だから家庭によって、まるで違う習慣が出来ていったりします。
こういうことは特に社会全体で起きることがあります。
社会に大きな変革が訪れるとこれまでの価値観や常識が覆ります。
「パラダイムシフト」という言葉は、そんな変化を説明したものです。
グーテンベルクの印刷技術のおかげで私たちの社会は変わりました。文字は特定の人々のものではなくなり、情報の記録や共有、伝達が社会の前提になりました。
そしてコンピューティングの到来で、社会はこれまでとは違うコミニュケーションが成立するようになりました。知っていることや見たことは体験したことと等価となり、情報の伝達はスピードが前提となりました。情報は加工や二次利用がされるようになり、今のネット社会では検証が必要になりました。
こうしたことがこれまで起きてきた変化です。
もちろん今回も、そんな風にして、このコロナ禍もそのパラダイムシフトのきっかけになることでしょう。
私たちは次の変化に備えておかねばいけません。
それが鰤大根の残り汁を使うことにつながるのかどうか、それは知りませんけど(笑)。
少なくとも面白くない芸人の使い回しは目立つようになることでしょう。
めいしくおしあがれ
