卵料理には愛情がいっぱい
コメントいただきありがとうございました。
埋もれてしまうのも残念ですので、勝手ながらここに引用させていただきます。
> ほほぉ~
> 完成品の出来上がりですね♬
> どんな味なんだろう、ケチャップ隠し味。
>
> わたしは、名付けて「卵丼」を作ります。
> 餡はありません。
> だし巻き卵の半熟版かなぁ。
> 子供が「卵かけご飯」に飽きていたのと、生は消化に負担がかかるかなぁ?ってとこからの発想でした(*^-^*)
> これが大好評でした。
>
> 次はステップあげて「天津飯」いってみようかな?
> あ…でもそれが好評だったら、もう「卵丼」で手抜きできなくなるかも…。
私の持論ですが、だし巻き卵とは、「あと一品」のココロの思いやり。
こんな風に「生は消化に負担がかかる」とまで考えられる方もいらっしゃる。
お子さんへの愛情がたっぷり。
このコメントを見て思い出しました。
昭和の時代、卵そぼろと肉そぼろで、そぼろ弁当なんてありました。
誰かしら弁当に持ってきていた。
彩りもよいシンプルで素敵なお弁当。
スクランブルエッグをもっと細かくして、鶏肉も同じように細かくそぼろ状にして、ご飯の上に散らしたもの。三色弁当なんて言い方がされました。
あれ?三色って、もう一つは何だっけww。
鮭だったか、「おかか」だったか。
考えてみると、卵料理には特に愛情がいっぱい入っているような気がします。
茶碗蒸しだってそう、プリンだってそう。
どこか作り手の温かい気持ちが感じられる料理です。
料理となって卵が色んな形に変わるところに、作り手の工夫、気持ちが感じられます。
卵を割っていろんな形に姿を変える。
素敵なお料理ができあがります。
今日はどんなお料理を作ってあげようか、そんな気持ちがいっぱい詰まっています。
どうして卵ってそんな気持ちが伝わるんでしょう?
シチューだっていいではないか。
でも、卵料理の方がより強い。
私には、その理由、卵というものが「命の素」だからという気がします。
みんな卵から生まれてくるのです。
鰊の腹から卵、数の子が出てきた時の嬉しさったらありません。
カレイだってピンクの卵はお宝。
カラスミ、トビッコ、タラコ、数の子、明太子。魚卵はみんな大好きw。
ウズラ、ダチョウ、ピータンだってヨダレもの。
卵というのは偉大なもの。「命の素」。
ハードボイルドな気丈さの喩え、イースターエッグのサプライズ。
ハンプティダンプティの尊大さと危うさ。
「ひとつの籠にすべてを盛るな」という箴言。
「卵が先かニワトリが先か」という禅問答。
色んな価値が卵から産まれます。
発想さえ産まれたりした(笑)、「コロンブスの卵」。
卵は「完全食品」とも言われ、その栄養価はお墨付き。
そして昔はテンペラ、絵画の定着剤にも使われました。
使わなくなった食洗器を収納代わりにしていたら、卵が割れて漏れ、少しこびりついていました。
これがなかなか落ちてくれない。
苦労した。
「そりゃそうよ。昔は接着剤に使ったんだから。」なんて嫁が言った。
そうやって考えてみると、一方の白子の方はどうでしょう。
男の側の精子のことです。
アレはどうやら世間はあまり評価してくれてない気がする。
嫁はあまり食べたがらないし、作っても私が主に食べている。
煮付けにすると美味いのに、いつも世間は生臭いもの扱い。
ショウガを入れて臭みを取れ、とか邪魔にする。
白子も「珍味」とまで言われてはたまらない。
子供の男子生徒、精が溜まったからと休ませてくれるわけでもない。男に「精理」休暇はない。
初潮は赤飯、精通はエロガキ扱い。
コンドームに出せば汚物扱い、いともたやすくゴミ箱へ。
パンツの染みが汚いと、娘が親父と一緒の洗濯を拒絶する。
子供がいなければ種無し扱いさえするくせに、誰の白子か分からないことも、(笑)。
青春の悶々とした日々、男は白子をひたすら持て余す。
鮭が河に昇ってきて・・・、キラキラ光るイクラを川面に産み落とすと、そこにオスが白子をまきかける。
バアッとまいて、無駄も多い。
細胞単位じゃ億万の白子がひとつずつ泳いで卵子へ。
到達する先着順。年男のランニングマン・レース。
遅れた精子、ロックダウンされた卵子にはもう入れない・・・。
一生懸命に泳いでいった先は、締め切りとともに扉が下りてジ・エンド。
・・・ なんてこと。
あんまりじゃないか(欝
おそまつ
