「学校の七不思議」なんて話があった
ちょっと昭和のことを振り返ったものだから、小学校であった話、「学校の七不思議」なんて話が色々と浮かんでしまった。
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最近の学童、子供の生活はまるで違うことだろう。
タブレットなんか配ってるらしいし、ICTも活用されていると聞く。
在宅で学習するツールもいろいろとある。
私は子供がいないから彼らの中のことはとんと分からないが、我々の時代とはまるで違うはずだ。
強制されることや罰を受けること、態度や所作を押し付けられることなど今はないようだ。
礼儀さえどうか怪しい。
とにかく生温くて、そのくせ大人ががんじがらめに四方八方から見ていて、とても窮屈。
窮屈と感じれば、それまたその窮屈さのストレスにすら口が出される始末。
大変なものだ。
我々の時代、学校は遊び場だった。
勉強をしなければならない奴は学習塾にやらされた。
学校は子供にとっては愛着のある場所だった。
友人がいなくとも、阻害されていても、それはそれでいい場所ではあった。
長い朝礼の校長の演説にブッ倒れるコが必ずいた。
廊下に立たされて、どっかへウロウロと行こうとすると、先公にひたすら追っかけられた。
俺は卒業式には出られなかったし、たいした友人と呼べるのはいなかったが、毒親のいないそのオアシスを俺は楽しんだ。
ノンビリやっていた他の生徒にとって、あの頃の学校はどんなところだったんだろう。
そんな学校に、七不思議なんて話を持ち込んだのがいた。
自然に話はすぐに広がったし、根強く信じられた。
- 戦時中には空襲の防空壕代わりに学校がなったから今でもその亡霊が出る。
- 講堂の舞台の下にある下手と上手をつなぐトンネルは、実は枝分かれした穴があって、今は塞がれているが秘密の抜け道があった。塞がれた中には白骨が眠っている。
- 講堂に飾られている歴代校長の肖像は誰もいないとき、時々ニヤリと笑う。
- 理科室の人体解剖の人形は実は生身の人間を固めた人間の剥製だ。
- 音楽室のピアノは夜に勝手に音楽を奏でる。それは葬送行進曲だ。
- 必ず一年に一人は生徒が消えている。けれどもその名前をみなが忘れてしまう。
- 昔、三階の端のトイレで首を吊って死んだ生徒が今も霊となって居ついている。
・・・じっくり思い出してみると、そんな話だった気がするww。
七つの海、七つの大罪、七つの光る目w、七つの大陸。ラッキーセブン、なんだかいい加減な数字合わせから噂というか伝説が作られ、「ウチのガッコウの七不思議」なんてことになった。
創作的だったし、想像力があって俺も尾ひれをつけるのに参加した。
俺はそこそこ面白かった。
今の子供だったらどうなんだろう。
さしずめ・・・いや、やめとこうwww(笑)。
おそまつ
