お茶のティーバックっていつ捨てるのだろうか
ティーパックは簡単なものだ。
茶葉が混じらないし、ストレーナー、つまり網で濾したりしなくてよい便利なものだ。
茶のティーバックがウチには何種類かある。
紅茶はもちろん、ジャスミンティー、緑茶、プーアル茶。
特にウチはプーアル茶をよく飲む。
プーアル茶で焼酎を割って飲む。
そのため、あらかじめティーパックで出しておく。
ジャグにプーアルを作って、そうして飲む。
冷えても美味いし、二日酔いにならない。朝に一杯飲んでもスッキリする。
なくなれば次のプーアル茶をまた熱湯で出す。
その時、次のティーバックを入れる時、古いのも入れといていいのだろうか、ふと考えた。
鍋で茶を煮出すとまた色は出てくれるし、まだ味も出る。
「茶を煎じる」というのは煮出すということだ。
昔は漢方でもなく、普通に「煎じ薬」というのがあって、医者に処方されると煮出して飲まなければいけないものがあった。
時代劇でのことばかりでもなかった。
他の茶にしてもそうだ。
熱湯で出した、そのティーパックはどうするんだろうか。
ティーパックだからまとまっている。
入れといても痛んだりしなければいいのではないか。
考えてみれば番茶やほうじ茶を飲むようになって、何度も煮出すことができて、いつまでも色がついている。最後は病院や学校のあの味になる。
それだから、このプーアルはどうしたものかと考え始めている。
前は1.5リットルぐらい出したら普通に捨てていたんだけれども。
もしかしてまたケチなことが出来るかもしれない(笑)。
結構そういう工夫ができるのは嬉しかったりする。
お茶の葉の有効活用というのは昔から色々考えつくされてきたはずだ。
こういうコロナ騒動の影響で、生活が昭和のシンプルなライフスタイルに戻り、もう一度見直されることもあるかも知れない。イギリスなどもう前からそんな生活に戻っている。
昭和のその昔は、人々はレストランなんかにそうは行かなかったのだ。
昔、地下鉄の駅では駅員が飲んだお茶のカスをホームに撒いて掃除していた。
少し湿った茶ガラでホコリ汚れを集めていると言っていた。
学校でも用務員がそんな風に板張りの階段を掃除していた。横を通り過ぎる時に会釈をするとホウキの動きを止めてくれた。
廊下と教室は生徒が拭き掃除をしたが、茶ガラなどはもちろん使わなかった。
階段は用務員がやった。階段は用務員の縄張りのようなものだった。
1年に一度ぐらい、床をワックスかけするなんてもことも生徒はやらされたものだ。
駅には、他に「おがくず入れ」と書いてある箱があって、普段はそれを湿らせて撒いてホウキで掃除していた。
茶ガラがたまると茶ガラでそれをやった。
今では信じられない光景だ。
キラキラした、振り返りのこと。
