写真が上手でない俺のこと
私は少なくともその一人だ。
☆
写真はとんと苦手だと自負している。
随分と長いこと手振れ補正がないデジカメを使っていて、ネットに上げるとその度によく言われたものだ。
自分でも手振れがひどいとは思った。
しかしいちばんいい写真、選んだ写真がどうしてもそんなレベルなのだ。
そうして、やっと手振れ補正のできるカメラを手に入れても、写した写真はやはりなんだかスカッとしていない。
色々と露出とかを選ぶのだが、どうにも写真がどんよりとしている。
俺は写真が苦手だ。つくづく振り返ってもそうだ。
これはきっと現像フィルムの時代、そのあまりパッとしない、ガキの頃の写真撮影の経験から続いていて、そこからまだ来ていることなんだろうと思う。
子供の頃は叔父の影響があって、写真部なるものに所属してみたりした。
叔父はカメラ道楽をした人だ。
ライカやハッセルブラッドなんてカメラを持って、あちこちで写真を撮っていた。
俺の所属した「部」なんて言っても、そこはまさに子供。小学生低学年の話だ。
お遊びのようなものでしかないし、露出やシャッタースピードの関係なんて教えてくれるわけではない。
写真を撮って現像する。その喜びを味わうというだけだ。
俺自身、独りで出歩ける口実を探していたからその部を選んだようなものだった。
まあ、それでほんの少し、俺は自由を得た。
ともかく、そうしてやがて青年になって、自分の写真を大きく引き伸ばして自分の講演会のポスターにするという機会があった。
経済系の講演をしようということになって、バーゲンセールのメカニズムについて解説したものを学園祭で講演することにし、チケットと資料を近隣の商店に売ったのだった。
日経の記者にも声をかけたら、わざわざ来てくれたことを覚えている。
記者からは当日、質問さえあった。
俺はその講演会というか研究発表のため、そのよく撮れた写真をポスターに大きく引き伸ばして印刷し、ロゴを入れた。
講演会のポスターができて、俺は大きな設計図面を入れる筒に収納して印刷屋から帰るところだった。
歩いていると見ず知らずのオッサン、男から声をかけられた。
「君は写真か何かをやっているのだろ?」と。彼は云った。
俺はその目が露骨に関心を寄せているポスターを出してやって見せてやった。
水色の目立つ大きなプールを男が泳いでいる写真。
講演会のポスターは、ホックニーのようなポスターに仕上がっていたのだった。
これを見せると、その男は感心したような顔をして首肯した。そしてそのまま飲み屋に連れて行かれ、ビールをご馳走になった。
そして男は、写真を探している。
業界誌のために欲しいからちょっと撮ってきてくれ、一枚いくらで買う、写真を撮ってきてくれないかと言った。
写真撮影のバイトが突然に舞い込んだのだった。
近所の指定の公園で、「ハイキー」な写真を撮って来いというのが男の要望だった。
俺は安請け合いし、自信たっぷりに了解したのだったが、実は「ハイキー」なんて言葉はてんで分からなかった。
正しい写真撮影の知識なんかてんでなかった。
調べてみてやっと、それがコントラストの強い写真だということは理解したが、正直あまり自信はなかった。
気がついたことは当時の現像写真フィルムにありがちなことだ。
何枚撮っても、成功した写真だけを渡すわけにはゆかない。
失敗も含め、ネガを全部出さねばならない。プロが自分で現像するのは別としても、フィルムはつながっているのだった。
昔の現像フィルムはそういうものだった。
だから、考えてみれば、よく撮れたものだけを切り取って出すわけにはゆかない。
全てが成果として見られてしまうのだった。
そうすると失敗した分を含めて見れば、全体として俺がどんだけの技量かはすぐにわかってしまうだろう。
俺はこれは誤魔化せないと覚悟した。
ともかく、注文通り、枚数分の写真を撮ってネガとサンプルということで現像した写真を持っていくと、そのオッサンは明らかに失望したような表情を見せた。
会社の、オッサンのいる机だけが凍りついていた。
まさに俺が、写真家としては全く向いていないことを思い知らされた瞬間だった。
結局、カネはもらったが、残念な写真ばかりだったようだ。
その後、オッサンから連絡があることは二度となかった。
実は、もうその頃は嫁と暮らしていて、元々、講演会のポスターの写真は嫁が撮ったものだった。
嫁は美大を出て絵を描いていた。
結局、俺はクズなペテン師だったのだ。その底が割れた。
そんなことがあって、すっかり写真は嫌になってしまった。
今、こうして書いていれば、嫁に代わりに写真を撮ってもらっても良かったかも知れなかった。ただ、写真なんてものと俺はナメていたところもあった。
今はデジカメの時代だから、嫌になろうがうまく写せてなかったりしても、カネはかからなくなった。
それでも俺は自分の技量のなさを思い知る。
やはり今でも写真は苦手だ。
出かける時、カメラをポケットに忍ばせていても、肝心のシャッターチャンスは逃す。
写すのをすっかり忘れていたりするのだった。
自分ではこのことを、「俺は誰かに伝えるために今の瞬間を犠牲にしない」なーんて、都合のいい言い訳をしたりするが、要するに写真がヘタなことには違いがない。
かくも俺は写真が苦手だ。
おそまつ
