「生命は系統発生を繰り返す」という箴言
衒学的なわけではない。
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アカデミックな議論は好きだが、これに耽溺したいとは思わない。
誰でもご存知かと思ったし、ググレばと思ったから省略したのだったが、タイトルの言葉は俺なりに説明をしてもいいかと思った。
この言葉は進化論なんかとも関係する箴言だ。
研究者のための箴言。
つまり、別に「だからどうだ」などという定理ではない。
生命というものには秘められたものがあるという感覚、それを表現したものと考えている。
なにしろ、その実証にしてもそれほどではなく、だからこれを利用してどうなるか、というものでもないからだ。
あくまでも、「生命とはそんなものかも知れない」という感覚だろう。
世の中にはそういう羅針盤のような言葉がある。
学者や研究者でなくとも、人を導く「発想」が必要だったりする、これはそんな種類の言葉だ。そんな風に考えている。
人間が体内で育ち、精子と卵子が結びついて胎児へと成長する。その有様をレントゲンで経過撮影をしてみる。
そうすると、細胞が分裂し、受精卵が段々と形を持ってゆく様子が写される。
子宮の中でタンパク質から魚、そして猿へと、まるで進化の歴史を個別に辿るように見える。
それはまるで人間そのものが進化してきたプログラムを早回しして再現しているようなもの。進化の系統を繰り返していると、これを表現した。
そうしてまた一人の人間が出来上がる。というわけ。
人間の尾てい骨には尻尾の名残りがあり、マンタマの裏スジはキンコの割れ目がくっついた跡のように見える。我々は自分自身の中に進化と細胞分裂の長い歴史を隠し持っているのだ。
そこには進化の過程で人間が捨ててきたものがあり、優勢に獲得した特徴もある。
神の意思をそこに見るのか、人間という生命の無限の可能性を見るのか。
あるいは人間が生命として背負っている責任として思うのか。
それとも、他の生物への思いやりを惹起させるのか。
色んなことを思わせる箴言のひとつではある。
