「献立」とは何か。
二、三日前の記事のこと。
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「献立を決めるのが大変」なんて言い草への反論を巡って、ちょっと「献立(こんだて)」という言葉の意味や語源を調べてみようとしたら全然ありませんでしたw。
だからここに書いてみようと思います。
献立って言葉は「献上する」ということから来ているはずです。
つまり、殿にうやうやしく、「今夜はこれをお出しする予定でございます」と、お食事のお知らせをするということです。
殿様、主君に「今日のお食事はこれこれをお出しします」と予告したわけです。
そうすると、むしろこれは殿様に対してのものじゃなくて、事務的な目的が主でしょう。
どういうことかというと、殿様のお食事にはお毒見役というのがあるし、お食事の支度を整える段取り、器の選定というものがあります。
お毒見役にしたって得手と不得手があるでしょう。お毒見役にアレルギーなんかあったらそもそも毒見役なんてできません。だから「献立」という予告が必要になったのだと思います。
日本の徳川武家社会つうのは洗練度が高かったと思います。それはこの頃に生まれた所作やしきたりを見ればわかることです。
しかし家庭のことを考えてみればどうでしょう。
「おおっ、今日は生姜焼きかぁ」なんていう感動はアリですよね。
それをいちいち予告された日には・・・まあ、困りますわねw。
・・・ああ、また明日もカレーってことかぁ・・・(欝)
なんてなってしまいますwww(笑)。
だから、「本日、明日はこれこれの献立といたします」って言うのは、殿様のお世話という意味で必要だったことで、分業や役割分担にまつわる「申し送り」のことだと思うのです。
それが「予告された殺人の記録」、じゃねーーww、いや、「予告されたメニュー」というものの本質だと思うのですよ。
つまりこれが、「献立を立てる」ということの原意なのでしょうね。
それは「段取り」とか「もてなし」に関わること、「支度」ということです。
「予め献立を決めておかないといけない」というのは、それがないと各担当が動きにくいからということです。先日のトランプ大統領を迎えた晩餐なんかもそれ。
「作法」ということにもつながってゆく概念なのだと思います。
それが学校給食や週末ホームの献立表や、定食屋の予告、懐石のお品書きに使われるようになった、と。
つまり、家庭では「献立を決めるのが大変」なんてことはハナから成立しないということ。それが結論です。
家庭なんだからその日の買い物次第、冷蔵庫にあるもので考えて行き当たりばったり、好きに好きなもの、思いついたものを作ればいいのです。
「献立が決まらない」なんて悩んだり、辛いと思うことはないのです。
え?そしたら栄養価なんかはどうなるって?
それについてはまた違うお話。
「食べたいものがカラダが欲しがっているものである。」そんな説があります。
楽しく料理して めいしくおしあがれ
