打ち捨てられた時代
振り返れば振り返るほど、あの平成という時代は打ち捨てられた時代だったということを痛感する。
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確かに30年と言う時間は長いが、日本の長い歴史から考えれば僅かなものでしかない。
最初から諦められていた時代だった。
その荒療治があったから今があると言える。
歳月人を待たずと言う。
我々は平成を悶々と過ごしてきた。マスコミの嘘や捏造に腹立たしい思いをしながらそれが暴かれてゆくのを見た。ネット社会の到来とともにハリボテの虚構はことごとく裸にされた。
我々は多くの嘘を見抜いては嘆息し、そしてまた悶々として、ひたすらこの時代を堪えていたのではなかったか。
これを重い時間だったと感じるなら、これからの日本人は責任を持たねばならぬ。
明るい気持ちと展望を描き、おかしなことを二度と通用させないよう誓おう。
嘘は嘘とバレた。
白々しいゴリ押しに気がつき、性根の腐った連中、その腹黒さがわかった時代だった。偉ぶった連中がただ商売のためにポジショントークをするニヤつく欺瞞を知った。
言論が意図した扇動や宣伝でしかなくなり、真実を隠そうとさえすることをあると知った。
そこに気がつくまで苦労した。
そんな時代だったのではないか。
まだ嘘にしがみつく者もいる。
今も意図的に流される正田美智子についての美談めいた報道は、マスコミを使って国民を騙すため、美智子自身が意図して流させているものだ。
目立とうとし、雅子皇后への嫉妬に狂った老醜が最後までこだわる慈愛の聖母像とやら。いくらでも嘘をつき、それが国民を愚弄しているとは思わない信じがたい神経。昨日は姑である香淳皇后の命日をスッポカすためわざわざ白内障の手術を当てたらしい。底なしの悪意。
国民の魔法は解けたのか、美智子への冷たい視線は日増しに強まっているようだ。
皇居に居座り続ける状態を批判するコメントばかり。
美智子の思惑はことごとく裏目だ。もはや隠せない虚像。
つくづく、「象徴天皇」という符合に感じ入る。
