悶悶とした煩悶も栄養だ
どうしたって世の中はどうにもならないことがある。
毎日苦しんでも、叫んでも、それこそ血反吐を吐いてもどうにもならないことがある。
おかしいこと、不条理、不正義が通ってしまうことがある。
それが時の流れであると知っていても、正義や道理のために何かしなければならないと思ったら誰でも命など惜しくはないはずだ。
決して諦めるな。
そうして友は自爆した。
もう随分と昔の話だ。
人はいつかは朽ちてゆく。
人には寿命がある。歴史は続く。
やるべきことをやっているつもりでも、誰もついては来ないのは知るべきだ。
また、それを、求めるべきでもない。
馬鹿と言われようと徹底できる奴は少ないのだ。
それは自分の価値でもある。
綺麗なことを言っても、利益がなければやらないのが普通のことだ。
安穏とした怠慢を責めるな、嗤ぐらいでいい。
いつも損していると、その事実を自分に対して欺く必要もない。
その通り、いつも損な役回りだ。
やるべきことをやる機会に選ばれたのが自分だとその幸運に感謝せよ。
その使命に従え。
「自分を支持しろ」などとはおこがましい限りだ。それはみんなが知っている。
自分のやるべきことをただすればいい。
現実に失望するな。
別に爆弾を使わなくてもいいこともある。
覚悟しなければならない時があるというだけだ。
想定し、予想し、そして戦え。
馬鹿ばかりのこの世の中と嘆く前に、決して他人には期待するな。
彼らを救う慈善をするわけではない。
自分を納得させるために必要なことだ。
生き残りつつ、成すべきことを成せばよい。
悪が勝つこともある。
真実が嘘で誤魔化されることもある。
大衆は世の正義ではない。潮流に逆らうことは間違っていない。
我々は信じていればそれでいい。
そうすれば、時代の雰囲気次第で、心が揺れ動くことはない。
真実は勝てないこともある。
勝ち負けではない。成すべきことを成せ。
だから不安ではない。
今のアメリカの友人たちに送った、俺の言葉だ。
よーそろ
