胸に風が通り抜けた日々から
まだ物心もついてない3つかそこらの頃だ。
確か幼稚園に通い始めた頃の記憶だ。
突然に両親が俺を鞭で打つことを日課にするということを言い出した。
宣告された俺は愕然とした。
その言葉の意味は正確に分かった。冷たいものがカラダを走った。
それが両親の何かの思いつきであることも分かった。
突然に決まったそのルールを告げられると、俺はただ呆然とし、ろくにどういう目にあうかも実感はできなかった。それは裏切りという意味だと俺は感じた覚えがある。
俺を言うなりにするために、決めたことなのだと、ただ俺は悔しさでいっぱいになった。
強制的な圧力の壁、自分を強制するもの。そんなものに押し込まれているのを俺は感じた。
俺は言うなりになるしかないのだ。
俺は黙って鞭で打たれた。
教育だと両親は言い、「我慢」を覚えさせるためと、毎日十回の鞭打ちをさせられた。
ベルトやまな板のようなもので背中や尻を打たれた。
泣くことは許されなかった。
やがて何かの教育雑誌のせいだったのか、それとも飽きたのか、両親の鞭打ちは止まった。
それから父が死に家を出るまで、似たような強制と服従の日々が続いた。
俺はそれをスリ抜け、誤魔化した。
俺には毎日が長く、人生は途方もない牢獄に思えた。
風が胸の下、自分の心を吹きぬける感じがいつもしていた。
切なくて、無力感でいっぱいで、そして孤独な感覚。
よく歩きながら俺は青い空を仰いだ。それが俺の心の色であればいいと願った。
ある日、胸の痛みの強さに驚いた俺は、それを掴み、離さないようにしがみついた。
もう首を吊ってみたりビルの屋上に忍び込むんで下を見下ろすことはしなくなった。
俺はその感覚に没頭した。
まるで自分の虚しさを知らしめるように、空気が冷たく胸のあたりを吹き抜けていく。
風だ。
手を入れて触れば俺の腹や胸、体温は冷たい。
肩からチカラが抜けて脱力し、フワフワと肩の関節が浮いた。
そうしてガキの頃は、俺はよく足のが震えが止まらない奇妙な反応に俺はしばしば襲われた。
人気のいないところではよくゲロを吐いたものだ。
俺はそれを面白いと思った。
ゲロを吐くのは、俺は尻餅を打ったせいだとずっと思い込んだ。
日常で泣くことはなかった。
腕の骨が外れてしまい俺はずっと黙っていたことがあった。
それを先公に見咎められ、俺は病院に行かせられた。
泣けないほどの惨めさがあった。
やがて、俺はその風が通り抜ける感覚を大事にするようになった。
これは密かな、俺だけが分かる特別な感覚だと思った。
わざわざ自分でそんな切なさを思い起こし、その奇妙な感覚を自分で呼び出して浸ることもあった。
悔しさと孤独感が、まるで甘美な薬のように感じられた。
俺の体を風が通り抜けているのだ、と俺は思った。
その風はどこに行くのだろう、そう思った。
大事にしてせいぜい何度も味わえばいい。
まるで自分を呪うかのように冷笑し、俺は思った。
よく噛み締めようと俺は誓ったのだった。
いつもそうするとクチの中がカラカラになるのだった。
むしろ、そうやって正体不明の辛酸、それを味わい、苦しいほどに冷たい風がカラダを通り抜けることを繰り返し、心に何度も刻んだ。
そのことで、自分を大事にできるような気がした。
それは俺の心なのだと俺は思った。
それは俺の中にある別な俺だった。
俺はやられている。コテンパンだ。
人生はまるで先は見えない。いつも八方塞がりだ。
崖から繰り返し落ちるような感覚、それを普段の日常でも繰り返し再現するようになっていった。
よく鏡を見て、俺は思ったものだ。
お前にとって唯一無二の存在である自分が、お前自身の味方でなくてどうする。
いとおしさを自分自身に俺は感じた。
自分が自分を抱きしめようとしている。自分の魂が俺に触れる息遣いが俺にはわかった。
俺はうずくまり、胸を抱えた。
スースーとして、カラダに穴の開いている俺はろくでもないゴミだった。
もはや俺は氏ぬことを考えなくなっていた。
ゴミには氏すらどうでもいいのだ。
正義とか信義とか、何かの意味のために生きようと決めたのはその頃だ。
何かのために氏ねるなら好都合だ。
俺は今でも、いつもそれを探している。
どんなに怒りが沸いても、絶望しても、人に歯を向けることはない。
怒鳴るフリはしてみるがどこか自分では白々しい。激昂してしまうことはない。
家内さえ、それに気がつかない。
俺が激しやすい野郎だと思っているだけだ。
挑むには意味のある何かでなければいけない。
俺はいつもそれを探している。
