おこわと炊き込みご飯
まずは「山菜ご飯」にして美味しく食べた。
これにもち米を入れて「山菜おこわ」にするのもいい。
基本はどっちも違いはあんまりないんだけど、伝えられているものとしてはそれぞれみんな違うものとされる(笑)。
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もち米を入れるのが「おこわ」。もち米10割でも少しでも。
米だけだと「炊き込みご飯」とか、「混ぜご飯」ということになる。
この三種は似ているようで違うものとされる。
現実にはどれも擬似的にできてしまうし、こちらの都合がいいように作れてしまうので、ウチとしてはどれもほとんど同じ扱い(笑)。
出来上がったら、「うん、これはおこわだな」とか「炊き込みご飯ができた」とかなる。
「おこわ」ということだともち米、せいろで蒸すのが本来。
「もち米を蒸す」というと大変そうだが、意味がないわけではない。
やったことあるけど、水分の調整という点で、蒸すと手間もなくモチモチとした感じに自然と出来上がってくれるのだ。
去年の正月にやったかな。
せいろで蒸すのは作っているだけで贅沢をしている感じが凄い。蒸気でとたんに部屋が暖かくなり、ほっとするようなものがあった(笑)。
だけどもち米を混ぜて普通のご飯のように炊いてしまってもいいのだ。
ちゃんと浸水させてやれば失敗はない。炊き上がったら天地返しをして置いて蒸し時間を取る。
栗とか筍とか、キノコ、菜の花とか、乾いた湯気が立ち上るとそれだけで素材の香りを楽しむことができる。
これを米だけにして具を投入して炊けば、具からたっぷりとダシで炊く「炊き込みご飯」となる。
これも炊き上がったらちゃんと天地返しをすると「おこわ」寄りの仕上がりになる。
あまりこれをこってりとやらないと、逆にいかにも炊き込みご飯らしいものになる。しっかりした米の感じに仕上げるのがいい。
水分調整を後でやるというのがコツ。
天地返しはまんべんなく水分を回して蒸らす効果がある。
この「お米の炊き込みご飯」にしたって本来があったりする。
要は「釜飯」ということだ。
わざわざ釜から羽に吹きこぼれをさせるぐらいで、それがパリパリになるような炊き方がいいという。それが本来。
小さな土鍋や鉄鍋を持ち出して各自個別に炊いてみると、これが釜飯の本来だというのが納得できる。
そういうことをする釜飯専門店もある。そういう釜飯には独特の粘りがある。米のネバリもごく自然にできたようなものだ。そのおこげすら美味しい。
これをウチのように鍋でやるなら、炊き上がったらご飯櫃や飯台なんかにちゃんと移す。
そこで天地返しをして、調整すればほとんど同じように仕上がる。
炊き込みご飯にするとき、ダシに砂糖が入っているとどうしても底が焦げる。
薄めに味をつければよいが、時々は濃くしたい時もある。そうなるとどうしても砂糖が焦げる。
この焦げ付きは電気釜だと世話がない。だいたいの電気釜はフッ素加工でその心配がないからで、料理番組なんかでは平然と砂糖やダシと醤油と紹介している。
ウチのように鍋で炊いているとそこは違う。困る。
で、この焦げ付きをできれば避けたいということで、ならいっそ炊き上がったところに予め味付けと下ごしらえをしておいた具を汁ごと投入して混ぜるというのをやったりする。
だから水分調整と蒸らし、そして味付けを最後に同時に行なうということになる。
そうするとそれは言葉で言えば「混ぜご飯」ということになるんだろう。一緒に炊いてるわけじゃないんだから。
でも味はほとんど同じに仕上げられる。
誰が区別できっかな、というぐらい。
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チラシ寿司も同じように関西では「具をちらす」寿司になる。最後に具を混ぜる寿司。
そっちはどちらかと言うと「混ぜ寿司」と言いたいんだけど。
文化的な違い。
