デムパを受信すること
「電波」というものがある。
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いや、普通の電波のことじゃない。
朝鮮タレントばかりのテレビ放送のことじゃない。
被害妄想、何かの声、兆し、誰かからの陰口。果ては天の声。髪の声。などなど
他人から見ればそれはもう異常なものにしか思えず、だから揶揄するかのように「あの人はなんかの電波を受信しているのかね」なーんてからかわれる。
「不思議ちゃん」なんて言われる子もそうだ。なんかそんな電波感覚を大事にする子だったりする。
まあそんなフリをしているのがバレると厳しいもんなんだけど。それはマスゴミのタレントの話。
普通の実社会ではそんなフリをするのはほとんどいない。
・・・
しかし麻薬中毒や統合失調症のそれはもっと深刻だ。
統合失調症は昔は精神分裂病と言っていた。
やがてこじれるとそれが恐怖になり、自分以外の他人に向けられるようになる。
自分にかけられた声に自分が乗っ取られるようなものだ。
自分よりも他人、他人よりも社会、とにかく自分というものがなくなって妄想が妄想を呼び、被害者意識だけになる。その妄想ってのは何もないところからくるものではない。必ず外の世界に刺激されてやつてくる。
だから敵意はその外界に向けられる。
そんな風になった人間の扱いは簡単だ。キツく怒鳴りつけるとすぐにシュンとしてしまう。
もし扱いに困ったように周囲がしていれば止まらなくなりどんどん悪化する。
昔、自閉症の子供が暴れたところに居合わせたことがあって、怒鳴りつけたことがあった。
介助の人はいたんだけど、手に負えなくなったらしい。
すると、俺の馬鹿デカイ声で彼はそこから数メートル吹っ飛んだ。見事に吹っ飛んだ。
そして倒れて目を回していた。
かわいそうに。悪い。ちょっと声がデカ過ぎたか。
でも、助け起こしてやる時、「ちょっと面白かったららもう一度やってくれ」(笑)。
って言いたくなったな(笑)。
落ち着くとなんだかなつかれた。
それが麻薬中毒みたいなのになると、ブッ飛ばすしか対処する方法はない。
・・・
そんな話でなくて、ごく普通に暮らせていけてる人のレベルでもこの電波というのは時々ある。
別におかしくはない。
寝て夢を見るのがおかしいとは言われない。
それと同じで、ごく普通の人でも、自分を第三のようにしてみていたり、自分へ警告をしていたり、何かの示唆を声から受け止めることがある。
肯定的ないい言い方をすればきっとわかるだろう。
虫の知らせとか、予感とか、勘、第六感とか、そう言えばこれが理解できるはずだ。
これらにしたって、実は他人から見ればおかしな妄想ということになってしまう。
しかし他ならない自分自身が受信したのだ。その自分をわざわざ否定することはない。
大事にした方がいい。
デムパってのは受信できることはいいことなのだ。尊重した方がいいとさえ言える。
むしろ、もしその声が全く感じられないってなら、少しはそっちこそ心配したほうがよいのではないか。
他人がどう見ようが自分の頭、ココロの問題だ。
肯定とともに否定があり、納得すると同時に疑問がわく。
我々は考える葦なのだ。
じっとそこに耳を傾けて、自分はこれから何をすべきなのか語り合えばいいだけだ。
独りより二人、自分の意思だけよりココロの声、そうすれば立ち向かう勇気もわくはずだ。
恐怖感があるからか立ち向かえることができるとも言える。
恐怖を克服するんじゃない。それは安全のためのサインに重要なことだ。
誰かの声が聞こえたらそれを味方につけろ。
すぐ上だ! 頭上に赤い水性が迫っている!
・・・
その電波の声が何かとても面白い話をしてくれたり、ココロを穏やかにしてくれる寓話を話してくれることもある。
何かのヒントになったりもする。
スラスラと数字が浮かんだり、フランス語が聞こえてきたりする。第二外国語ですらなかったのに。
きっとエジソンもテスラも、そんな声に耳を傾けていたに違いがない。
そういうわけの分からないものには一定の敬意を持つべきだ。畏怖してもいいが、それを頭から否定してはダメだ。
人は流れに身を任せたり、自分のやるべきことをなす、自分の役割を果たそうとしたりする。
そういうことはこの電波を受信することと同じ類のものでもある。
「とてしふぁい うふぅ」
先日、酒呑みながら仕事していて、つい集中したもんだから明け方まで文書を作成していた。
とうとうウトウトと寝てしまって、寝た。
作業の保存はしていたのだが翌日にその文書を読み返すと変な言葉が打ってある。
なんのことやらまるで意味がわからない。
「とてしふぁい うふぅ」って何だよ!ww
電波の受信、チューニングが少し狂っていたようだ。
時にはひらめきともなるデムパだが、こんなわけのわからんメッセージでは宇宙人にすらわからないに違いがない。
世間的には、こういうことを特に突き詰めるのは危険だということで、あまりそれが話題になることはない。
世間が才能を否定したがるときがあるのはまさしくこれだ。
人間の社会性とは無縁のことだからか、そっと触れられないようにされる。
それでも、そのエジソンの閃きで今の我々が電気を使えているわけなんだが・・・。
しかし逆にもし、そういうものをもし完全に否定してしまうと、例えば暗闇や音、何も感じられない空間に暫くいただけで発狂してしまったりする。我々はそういう想念を使ってさえいるのだ。それを「デムパ」と言うと露悪的になるというだけだ。
発狂しないでいられるのはきっと修行を積んだ坊主ぐらいだろう。
無の中で、自分さえも無でこれに身を置くというのは大変なことだ。
日本では今でもそういう修行をするところがある。
ただ穴に入って座禅を組んでいるだけじゃダメだ。そこで何も心に持たないようにできるかだ。
・・・
そういえば、「電波少女」なる名前のタレントだかバンドかなんかがいるらしい。
言わずもがなの朝鮮タレントなんだろうが、その名前がおかしい。
「電波少年」って番組があったではないか。
なんでわざわざ大事なネーミング、それこそデビューしようってのにそんな別なものを連想させるのに使っちまうんだろう。
パクりどころの騒ぎじゃない。洒落にもならない。まるで自爆みたいなもんだ。
売れたらずっとその「シコ名」がついて回るんだぞ(笑)。
本人たちはおかしいとは思わないのかね?
面白いってだけで、その自分の芸能人生を最初から潰して平気なのかね?
まあ、それが「成りすまし」って奴につながることでもある。
そこには自分というものは既にない。
俺は何をしたいというのがない。麻薬中毒患者のように。
ヤクザの芸能プロの社長、誰かに言われればなんでもするってだけの洗脳状態。
ちょっとこれは電波とは違うね(笑)。
「とてしふぁい うふぅ」
