ヤギをご馳走になったこと
これはあまり言いたくない苦しい思い出ではある。
☆
ヤギをご馳走になったのだった。
先日の魚の話ではないが、肉の種類の少ない日本では、ヤギはあまり食わないものだと思う。
・・・
昔、遠い国で人と知り合い、その家族を紹介され、そしてその家の厄介になった。
俺は体調が悪く、なんとかその家の世話になることになった。
バラックのような家だった。
行くとその家の連中は俺を受け入れてくれ、俺はつかの間の休息を取ることができた。
家にはニワトリがいて、ヤギがいて、小さな畑があって、自給自足のような生活をしていた。
水は遠くまで出かけていって汲む。そんな途上国の家だった。
・・・
暫く色々と話をして打ちとけてゆくと、段々と彼らは俺をもてなそうと思ったらしい。
ある日、朝からあわただしく庭で動いている。
俺が聞くと、一頭のヤギをシメて俺に出す支度をしているのだという。
俺は驚いて俄然反対した。
そいつは今まで俺が可愛いじゃないかとよく撫でてやっていたヤギじゃないか。なんでそいつをシメる。
それは小さくて黒くて細く、頼りない声で鳴く可愛らしいヤギだった。
俺はそんなものはいい、要らないと言った。
彼らがいっこうに聞く様子を見せないので、俺は強硬に主張し、俺は肉は食わない文化なのだとまで言い放った。俺の国では魚しか食わないのだ、と。
だが、決めてしまった家長は、どうやら考えを引き戻すことはできなかったらしい。
とうとうそのヤギは、早朝、外からやつてきた職人にシメられて肉になった。
職人は解体の報酬としてそのヤギの四分の一を持って帰っていった。
そのヤギのシチューは涙の味がしてしょっぱかった。
俺が肉は食わない文化だとまで言ったのに、シメたことにどうしても合点が行かなかった。
それがおもてなしか。
それはお前の自己満足でしかない。
俺はそんなものは望んでない。
俺はそんなものを少しも嬉しいとは思わない。
くやしくて、くやしくて、俺はとてもいられなかった。
隠れて泣いた。
こちらの話などおかまいなしで、自分の立場しか考えぬ、連中の愚かさにひたすら失望した。
こんな立場で、なぜこんなことになったか、ひどく後悔さえした。
そのことがあったもんだから、俺はその家族とはギクシャクした態度になり、あまり打ち解けなくなった。
むしろ俺からすれば信用すらできなくなったと言ってよかった。
結局は何よりも向こうのプライドだの立場が優先するというなら、この先信用など出来ない。
カラダもなんとかよくなった頃で、俺は世話になった礼をとわずか200ドルをやって、俺はその家を去った。
去るときは頑固な昔ながらの爺さんが手を振っていた。俺は何の感慨もなく去った。
ほとんど、どんな別れ方をしたのかさえ覚えがない。
何か連中の、意味のないプライドを俺が刺激してしまい、「歓待ぐらいはできるのだ」と向うは虚勢を張ったかとは思う。しかし俺はそれを否定したのだ。
俺にはそんなくだらないことでヤギ一頭がシメられたこと、そればかりか反対をしたのに受け入れられなかったことがひたすら残念でたまらず、今振り返っても、正直、今でも行き場のない怒りしかない。
そんなんだからお前らは殺されるのだ。
そんなのだから理由もなくお前らはいきなり拘禁されるのだ。
俺は正直、そう言ってやりたかった。
