棗。ちょっと考えたいから・・・と
・・・
で、先日、そんなよさそうな棗をみつけたので取り置きしてもらって、考えていた。
でまあ、もう充分に持っているとも言えるし、いやいやこんないいものはもう買えないんだからいいだろうかとか考えた。
欲しいものは買いなさいと言っても、やはり今あるものに追加してしまうとまた使う頻度が低くなったりして前から持っていたものたちが可哀想でもある。
余計になったものをもらってくれそうな年寄りも周囲にいない。そんなことを言おうものなら逆にくれたりするのが今時のご時勢。
やっぱり買い物にはそうい覚悟は必要だ。
新しいものが既に持っているものを追い出さないように考えられないといけない。
そんなことを考えて、俺は女の腐ったようにウジウジしていたのだった(笑)。
そしたらちょっといいアイディアを思いついた。
なかなかどうして、まだまだ使い道はあるじゃないか。
膝を打つかのごとき名案だ。
って、この表現最近多い。いや、このブログじゃないけど(笑)
味の素なんかを入れておけばいいのだ。
グルタミン酸ナトリウムを入れておけばいいのだ。
黄色3号とか入れておけばいいのだ。
今度大根が安くなった時にタクアンをつくるために(笑)。
要するに湿ったり乾燥したりしてもあまり困らないもの。
香りの飛ばないもの。
お茶の葉のようにどんどん使ってしまうようなものを入れればいいのだ。
塩にしたっていい。 減塩は大事だ(笑)。
きな粉だっていい。
考えてみりゃ色々あるんだ。ゴマは香りがあるからそれはダメか。
なかなかどうして。使えるものが世の中にはまだいっぱい眠っている。
もうそろそろ歴史文化のサイクルも一周しただろう。
そろそろ、プラスチックやポリプロピレンなんかよして、古い日本の遺産をこそ楽しむときではないか。
よし、と、いそいそと喜んで店を訪ねていったらどうやら売れてしまっていた。
そりゃ、金払ってもいないで、「考えさせて」は通らない。
申し訳ない。
いや、そんな、悪いのはこちらです。
欝になりそうだから時間経たないと書けない振り返りのこと。
