男は「顔」、女は「ボディ」。そんなら犬と猫は?
男は「顔」が大事。
別に「顔が命」とは言わない。それは意味が違う。
そんなら「髪が命」だ(笑)。
ガキでもなきゃ責任、歩んできた人生、人間関係、卑しさ、気高さ。男は歩んできた人生、経験や責任が顔に出る。
民主党の岡田や小沢のように醜さが進行し、堕落ぶりが誰の目にもわかかるようになって驚かれたのはいい例だ。今なら石破、沢田、そんなのがそれだろうか。
武豊の写真を久しぶりに店先で見かけた。なんだか昔のさっぱりとしたよさがなくなったように思えたので嫁に聞いた、「こいつ浮気かなんかしているのか?」。「そうらしい」という。話題になってもう随分になるんだとか。すっかり競馬はしなくなったがそんな話があったんだという。なるほど。
目つき、顔つきで男は男を見る。
「顔に男は責任を持つべき」とも言う。
それが高じたから「ちゃんとヒゲを剃りなさい」ということになった。そういう意味があるんだろう。考えてみれば共産党のビラなんか撒いている連中はみなどこか汚らしい顔をしている。
逆に自分が出ないような人間、背負ったものが滲み出ることもない顔をしている男もいる。それはそれで、嘘と虚構でしか生きてこなかったとも言える。
賢いオンナは男を顔で選ぶ。「顔で選ぶべきだ」とも言える。
だが、その本質がわからないでドブにはまってしまう女も多い。
「顔の選び方」という意味そのものが間違ってしまうと悲惨なことになる。別にイケメンを選べってわけではないからだ。それがわからないのもいる。
そうなるとチヤラいのと口にするのもおぞましい生活、クソまみれの時間が待っている。
それからしたら、クソメディアに出ているクソタレ、クソコメンテーターの目つき顔つきはおかしいじゃないか。どいつもこいつも下卑たものが隠せない。
逆に、女は「ボディ」が全て。
なにもダイエットばかりでもない、それぞれに持ち味というのはあっていい。
体の線、姿勢、自信、張り、所作。人に見られる女は体が磨かれ「好ましさ」というカラダの特徴を身にまとうようになるという。女は姿勢や態度で全てを語る。
幸福なら自然にそういうカラダになってゆくのが通常だ。「シアワセ太り」とか、そんな言い方はある。
そもそもオンナは化粧で化けるのだから、顔はあまり意味がない。ほとんどの女がそれぞれによい顔ができる。作り笑い、微笑み、オンナの顔にいともたやすく騙されてしまうような男は未熟者だ。
豊胸とか男はそういうものにも敏感だ。ボディに手を入れてもすぐにわかってしまう。
タツー入れてる女にも男は萎える。
しかし墜ちた男にとっては救いの女神なんだろう。それはゴミ拾いに近い。
ヘソピーすら価値を低くする。
しかし見えなければわからない。
ボディというのはカラダ全体のことだ。
男の女の顔に対する好みは分かれる。
貞淑、優しさ、包容力、母性、強さ、気高さ、活発さ、それらは男が求める女のタイプがそれぞれに違うから印象はそれぞれだ。
しかしそれは実は顔に現れるのではない。
女はそんな求められる印象に合わせて顔を作ることも出来る。
ボディは誤魔化すことはできない。ボディにはどうしたって隠せないものがある。それはオンナの意思を反映する。性根そのものを見せる。
そんな風に自我が作るカラダは、やはり自分を反映させてしまうのだ。
それは女の心を表す。
だからオンナにとってファッションは重要だ。
男が髭剃りが大事だというなら女にとっては服装は大事だ。
・・・
犬と猫。
これは、とても言い回しが似ているだけでなんでもない話。
だがどうしても連想してしまう。
どんな意味があるのかは自分で言っておいてまだ分からない。
今度じっくり考えてみることにしよう。
犬は土足。 猫は裸足。
どうか?まさにそんな感じだと思うんだが(笑)。
