デフレ脱却の話
「牛丼がいくら500円から250円になっても二杯は食べない」
☆
だからデフレ脱却が必要だ。
デフレではなんとしても困るのだ。
そのような言説が流布された。
・・・
そもそも人はインフレの意味、デフレの意味を理解していない。
よく考えてみれば、インフレとデフレというのは実はまだ曖昧でいいかげんな定義だ。
賃金を上回った物価の上昇、賃金を下回った物価の下落、そう云うならそれは一時の状況の表現でしかない。賃金はやがて上がるしかないし、デフレなら賃金はどんどん下がるしかやっていけなくなる。そんなギャップの話はしてないだろ?。
年金だって物価が低いのならスライドさせないといけない。まあ、これはゴネたんだがww。
牛丼が500円から800円になっても、それが労働分配されなきゃ何の意味はないのだ。
原材料価格の高騰、土地代、電気代、物価が上がる要素はいくらでもあるが、それが労働分配率にかえってこなきゃ実は意味なんかないのだ。
派遣労働者がピンハネされ、フクイチの作業員がヤクザにピンハネされていることを看過しつつ、野党や共産党のペテン師どもが自分らの高給を隠して、まるで貧困に向き合うだの寄り添うだのとザレごとを言うことに意味など何もないのだ。
野垂れ死んだ連合かなんかの組合のトップはタワマンで死んだ。
労働者の権利を守る慈善のようなことをするその幹部が、タワマンに住んでいたのだ。ww
北欧では地方議会議員は無給だと言われるが、日本共産党の幹部はどれだけの高給取りで、そして世襲議員も多く、・・・・くだらねえ(笑)。
・・・
デフレというのは売り手側の強い競争を意味する。
価格競争だ。
効率を上げ、生産性を上げ、価格以外の付加価値さえ要求される。
しかしモノは安い。
それでも、「よいものをより安く」というのは害悪ではない。当然のことだ。
全然間違ってない。当然の経済原則だ。
それが所得に結びつく大きな話、全体の話になつたとしても、賃金が安くてもモノが安ければ、買える。生活が出来る。おかしくはない。
所得は低いがモノが安い。暮らせる。
逆に、インフレというのは買い手の競争を意味する。
これが欲しい、これが買いたい。早い者勝ちの競争だ。
今買わなければもう手に入らない、人をさしおいても欲しい。どんどん物が売れる。
そんな買いたいという人が多いのならと、それならと値段が上がる。これなら不公平はないだろうと。
この競争はちゃんと賃金が上昇していることの裏づけがあるから生じる。
所得の裏づけがなきゃ誰もがいずれそんな競争に参加できなくなるからだ。
モノが高くても所得の裏づけがある。
つまり、物価というのは中立なのだ。ギャップは別として。・・・
・・・
じゃあ、なんでデフレがよくなくて、脱却しようということになってきたのか。
まるでデフレは悪の権化だ(笑)。
なんでそんなことになったのか?。
それは、人間のすべてが能率がよいわけでもなく、効率がよいわけでもないからだ。
インフレはそれを誤魔化す効果があるというだけだ。
実はデフレであっても、不況であっても、使える人間、カネを生み出せる人間は労働市場ではちゃんとした報酬を得ることが出来ている。
こっちでそんなに払えないというなら、あっちに行くだけだ。
そんならあっちの会社を儲けさせればいいというだけ。
そうなると、どうしたって大多数の平均的な連中は劣った価値しかつけられない。
ゴマかししたり、嘘やインチキでもしなければ無能は稼げない。
すべてが値踏みされ、競争され、やがて馬鹿は絶望し投売りしてどんどん値段が下がる。
そうなると賃金も下がる。
競争は苛烈になり、能無しは生きてゆけなくなる錯覚に陥る。
格差を感じるからだ。
これがデフレだ。しかし、ものが安いのだから相変わらず生活することは出来る。
買い手の競争がインフレなのだから、インフレとなればこのような所得者の競争を緩やかにし、多少は能率が悪くてもいい、効率が悪くてもいい、人間はそれだけで価値を図れるものではないと、競争を緩やかにしてやるのがインフレ的な発想ということになる。
そうなればみんなが底上げされハッピーになる。
実はもっと稼ぐ奴がいるがそれは見えないようにする。隠れている。
実は値段が安いものが売れるのはインフレでも変わらない。
だから、賃金が全体として上がっていれば大して能力がなくてもそういう「いいものをより安く」ってのを買えばいい。
売り手も多少は価格が高くても買ってくれるのがいるからと、能率が悪くても平気になる。
そういう余計な部分がインフレにはある。
いちいち摩擦を生むようなことがデフレであることとまるで反対だ。
そうしてムダが生じ、そのムダは必ず誰かの食い扶持に回ってゆく。
将来に希望が持て、子供を作るようになる。ムダがムダを呼ぶ。
ゆとりになる。
カネ以外の何かを買うようになり、それが期待として回るようになる。
これからは電気自動車の時代だ。よし、この際だ、買ってみよう・・・。
・・・
売り手の競争、デフレからすれば500円を250円に下げ、もっと収入が上がるように賃金も上げてもっとよい人を採用しないといけない。能力がないのを選び続ければ劣等のスパイラルだ。
買い手からすれば500円が250円になったからといって二杯食わないのかも知れないが、それはインフレ的な理屈ということだ。
デフレの下では売り手の競争なのだから、250円にすることでもっと多くの人がランチタイムどころかおやつに、夜食に、ちょっと小腹の時に牛丼を食ってくれればいいのだ。
全ての人が牛丼をちょっと食ってくれるようになればいいのだ。
大根が120円のものが50円になった。
これまでほとんど売れなかったようなタクアンの黄色の着色料が飛ぶように売れた。
冬だから鍋の材料が売れた。
鍋のためのカセットコンロが売れた。
ボンベが売れ、レシピ本が売れ、昔からの老舗のタクアンさえ売れた。
本来ならこうして景気拡大がする可能性だってあったのだ。
・・・
インフレならどうか。500円のものが800円になる。
この先は値段が高くなると先回りして売れるだろうか。牛丼を先回りして食ってくれるなんてそんなことはない。食べられる分量しか食わない。
しかし値段が高ければ比較はできる。
牛丼が800円なら白菜が不作で500円でも高くはないだろう。自分で作れば100グラム400円の高級肉だって200グラム食える。
牛丼なんかとは比べられないぐらい美味い肉だ。
そうして消費が広がる。
牛丼は全国を制覇できなくなるが、色んなものが売れてゆく。カラスミも売れる(笑)。
売れるんだからと、怠けた店がのんびりとやっていてもそこそこの商売になる。
不満は出ないみんながハッピーだ。
誤魔化されたようにして、将来のことは考えなくてもよくなる。
競争は厳しくない。だから遊ぶことしか考えなくなる。産業は多様化する。ネズミの遊園地もオープンから定着する。
・・・
わかっていないアナリストは売り手と買い手の立場を混同してしまっている。
デフレとインフレ、経済にはどっちがいいのか。持続的に物価が下落してゆくか、その反対か、それはあくまで経済には実は中立なのだ。
ただ、インフレは色んなことが誤魔化されても気にならない。だからほとんどの連中には暮らしやすいように見えるというだけだ。これは一種のごまかしでしかない。
色んなことが緩くて、色んなことがはっきりしなくても許されるというだけ。
政治からすれば、これしか選択肢はないというだけだ。
大衆には難しいことは分からない、なら、これが最も受け入れられやすい答えだ。
・・・
しかし今、日本はそうなっているか?
そういういい加減さ、ドンブリ勘定、あいまいさが許される社会か?
安田ウマルの人質保険金詐欺、小さなことさと片付けられるか。
不倫、経歴詐称、買春、安倍氏ね、ザイニチ特権、生活保護、マスゴミ、みーんなそうだ。
おかしな連中のこと、テヨンどものこと韓国の日本に対するいいがかり。
わけのわからんクソメディアの反日偏向報道、すべてがいちいち神経質になってなければいけない、気をつけなければいけない時代にいるのではないのか?。
俺にはデフレの方が日本の国益になるとは思う。
為替ぐらいでこれはカバーできると思っている。
しかしみんなが選んだのはインフレだ。
失敗しようが、これは国民が求めたインフレ政策だ。
安倍には責任はない。黒田にも。
しかし、どの道、先を考えなきゃやってられない時代なのだとしたら、他力本願にインフレの混沌とごまかしが通用するようないい加減な環境になるよう願うよりも、少しは自分で考えるべきなのではないか。
デフレで年金下げるのに抵抗する。それは激しいエゴでしかない。でもインフレなら苦しくなろうがまだ処理が追いついていませんで済む。
インフレの方が何かと誤魔化せるというだけなのだ。
まともな連中を相手にしていないのだから当然のことだ。もっと言えば、だから沖縄が中国に占領侵略でもされ、沖縄の血が流れる方がよっぽどやりやすいということになる。
それはすごく無作為の罪があるんだが、しょうがないってかwww。
バカだなww。
まあ、しょうがない。
残念。この話にはオチはない。
