最近の老人の寂しいという視線
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最近の老人は特に寂しいのかしらね。
高齢者、中年を見るとそう思う。
どうも世間はそうみたい。
いろんな老人がジロジロと他人をモノほしそうな目で見ている。
どこかに接点はないかと探している。
レジの人に話しかけるなんてまだいい方。
警備員に突っかかったり、わめいていた老人を見た。
じっと座っているだけにしても、物言いたげなその視線は、とても独りではいられないと言ってしまっているじゃない。
とにかく他人とお喋りが死体のよね。
まるでゾンビのように見えるww。
なんだか哀れよね。
注目されたい、人に見ていてもらいたい、人のそばにいたいだなんて。
今更なの?
まるでどっかのテヨンみたい。それからすると「モンスター老人」ってものの存在も分からなくはない。
ないものねだり。 ワガママ。
まるで子供みたいだけど、これまでの責任はあるのよね、彼らには。
今が寂しいのならそれなりの責任を果たすべきだった。
今からでもこの国のことを心配すべき。
それだって、たいして孤独を誤魔化せるとは思えないけど。
まあ、そんなことを追求しないとしても、結局、人間は独りなのよ。
話しかけて他人が応じてくれたからって、結局はそうそう話なんかできない。軽い話なんかできない。疑心暗鬼にさえなるだけ。
だから最後は自分だけが言いたいことを言うだけになる。相手なんかそのうちいらなくなって独りだけで喋るようになる。
どんなにおしどり夫婦、仲がよくても、死ぬときは独り。
別々に死んでゆく。
仲がよくても悪くても、どっちかがどっちかの死を見取る。
そういうことで年齢差を考えたりして、オンナの方が長生きだから結婚するならやっぱり年上がいいとか、色々そんなことを考える人がいる。
でもね、結局、二人が都合よく「同時に」死ぬなんてことはないのよ。
若いのにそういうことを本気で考える人もいるのよ。
馬鹿よね(笑)。
でも、それは今の老人たちの姿を見るとつい思っちゃうことなのかしら。
いただいたご縁を大事にすればいいじゃない。
それはとても特別なこと。毎日が特別なのよ。
それを理解することは重いことだけど、生きる覚悟ができる。
今よりちょっと昔、明治生まれの老人たちはもっとしゃんとしていたのよ。
しっかりしたらどうなの。
