漫画「マカロニほうれん荘」
本日のお話はかつての大ヒット漫画、ギャグ漫画のタイトルです。
昭和のその昔にコミック界を席巻したギャグ漫画があったのでした。
とは言っても、「のらくろ」とか「サザエさん」よりは新しいものですw。
覚えておられる人もいると思います
漫画「マカロニほうれん荘」。
アタシは単行本で読んだことはありませんが、子供の時分は電車の「通勤」でw、よく漫画雑誌を拾っていたものでした。
それでよく見ることがありました。「少年チャンピオン」。
すごい漫画だと思った。
爆笑してしまったものです。
スラップスティック・ギャグ。
そんな言葉が本当にピッタリ来る漫画だった記憶があります。
とても新鮮な笑いに思えた。ブッ飛んでいた。
ずっと後年になってからのことですが、アタシは連日の深夜残業で漫画喫茶で始発を待ったことがありました。
その時、アタシはこの漫画の単行本を手に取って読んだのでした。
毎日、毎日、飲みもしないのに明け方の三時ぐらいになってしまう日常でしたw。
もちろん睡眠は十分に摂れません。だから時には開き直って翌日は昼から出ていく。疲労困憊しそのうち発狂するかと思ったぐらいですw。
早く帰れれば早く出てこれるのですが早い時間には問題が起きません。いつも遅い終業時間ギリギリになって何かトンデモないことが起きた。その始末に追われた。
アタシだけどうしても時間がズレ込んでいったのです。
そうしてやっと帰宅となります。
明け方の三時ともなればどのBarだってやってません。電車だってない。いくら都会でもそんな面倒は見てくれませんw。
白み始めた都会は人に冷たいものです。
夜明けの清々しさは冷酷なものでした。夜に出逢った者同士がホテルについシケ込んでしまうのは朝に追い立てられるようなもの。
まだ寝ている街は朝の活力に備えるばかりで始発を待つ者など敗残者扱いなのです。
カラスが嘲る中をアタシは歩き、せめて残っているネオンを探した。
漫画喫茶を見つけると、シャワーが使えると書いてあった。
ふうん、今時はそうなんだ。アタシはちょっと興味本位で入ってみたのでした。
広い店内は静かでした。みんな何がしかのやり方で眠り込んでいた。これが漫画喫茶というものか。
シャワーは使いましたとも。アタシは意地でも使ってやろうと思ったw。
何もタオルなんかを持たなかったので下着のTシャツをタオル代わりにしたものです。まだ残暑だった。
狭いシャワー室で汗を流して、さっぱり。
しかし個室は着替えるのもやっとのぐらい狭いものでした。
とうとうアタシは開き直って裸でシャワー室の外に出て着替えた。ダダっ広い店内からは丸見えです。
漫画喫茶の中は机にうっぷして寝ていたり、ソファで眠りこけている人々ばかり。漫画なんか選んでウロウロしている人はいなかった。
キャっwww(笑)!
客の女子にフルチン姿が見られることはありませんでしたw。通りかかった客はオトコだったw。
セーフwww(笑)。
その時に手に取ってみたのがこの「マカロニほうれん荘」の単行本でした。
名前を聞くのも久しぶりだった。
週刊のコミック雑誌と言うのはすごく値段の安いものです。
印刷コストを考えても驚くほど安い。
異常なほど分厚くて色んな作品がゴッチャリ掲載されていて豪華。
カラーグラビアすらあったりします。それでもすごく安いのです。定価売りです。新刊書籍は特例で割引をしなくていいようになっています。再販制度というもの。
あれはどういう商売かと言うと、「単行本」を売るというのが雑誌社のホントの狙いです。
毎週、何曜日かに決まって雑誌が発売され、売り切れるともう手に入りません。いつまでも店頭に置かれることはない。
そうするとお目当ての連載を見逃してしまったりするわけです。
ほどなくすると単行本として連載されていたものが本になって店頭に並びます。
紙の質もよいものになり小さな単行本になって出てくる。
これを売るというのが本来のビジネスモデル。
だからアタシのように雑誌だけで漫画を見てたなんてのはちょっとズレていたw。
考えてみればその昔はテレビだってそんなものだったのです。
毎週やってる「赤いXXX」シリーズ、あれを欠かさず見れる子なんてなかなかいなかったw。
だから再放送がよくされたわけです。放送する度にちゃんとスポンサーがついたのです。
まあテレビの場合はそのうち「ビデオ」というのが出来てしまって、そんなビジネスモデルは意味のないものになってしまうのでしたが(笑)。
今ならせいぜいDVDを売るということになりましょうw。
見逃してしまった「孤独のグルメ シーズン5」はDVDでどうぞ!
なーんて(笑)。
そうして、これは懐かしい漫画があるナ。なんてアタシは手に取って見てみた。
「マカロニほうれん荘」。
よく名前は知っている。
爆笑したなぁ、と懐かしく思った。
すると、
なんだこれはwww(驚)。
まるで面白くないのです。ギャグが、漫画が、全然面白くない。
ピクリとも笑えないのです。
あんなに当時はコマ割りを飛び出すかのようにキャラクターたちが縦横無尽に飛び跳ね、その様を見て感心し、生き生きと感じられた漫画だったのに。
まるで笑えない。
まるで遺物にしか思えなかった。
とうてい読めたものではありませんでした。アタシはそっと単行本を閉じたのでした。
想い出は大事にw。
これが時代というヤツなのかとアタシは愕然とした。
今の時代を生きるアタシには化石のようになった単行本は陳腐でお粗末で、それは悲しくなるほどだったのです(欝)。
そういう後世に残らないものというのもあるのかな、そんなことをアタシは考えた。
そんな話をしたら家内は言ったものです。
「カート・ボガネットとかもそうだよね。今ではまるでムリw。」
「ノルウェイの森なんて、読んだら今まで何だったかと思った。」
どちらも家内は大好きだった作家でした。
「羊を巡る冒険」なんて大事そうに家内の本棚にあったものでした。アタシは読んだことはありません。
まるで夢から醒めたかのようにある時からそれはまるで詰まらないものになってしまった。
「今なんて読めたものじゃないのヨ。」
確かこの作者はギャグを毎週搾り出すのに消耗し、ついには廃人同然になってしまったとか、そんな噂すらありました。
作者はいきなりひのき舞台から消えたのです。
ギャグ、笑いってのはそれほど消耗するものだ、と。まことしやかに言われたものです。
人間、何かを生み出す時は何かを犠牲にしなくちゃならない、そんなことさえ囁かれたものでした。
最近のお笑い連中なんてそんなのはないでしょう。適当で無責任でにぎやかしで、テヨンw。
相撲の合間のAbemaの「番宣」だけでも分かりますw。
「マカロニほうれん荘」はわずかの期間でしたが強烈な印象を残して消えたのでした。
そうして過ぎ去ってしまえば読み返す気にもならないほどだった。
アタシは自分がそうなっては困ると、時代とともにあろうと思っている。この暗く愚かな時代とともに。
これは明らかに新撰組をモチーフにした漫画でした。
しかしどうやら世間的にはそうは思われてないらしいのですw。
畏れ多くて、あの新撰組とこんなギャグマンがを一緒にしたら失礼だ、そんな感じなんでしょうか。
しかし記憶を辿ればちゃんと新撰組のパロディとなっていたような気がします。
新撰組というのは男所帯でした。戦闘をするために京都に集まった若者たち。
どうせヒマな時には冗談を言って笑いあい、普段は男同士で馬鹿騒ぎさえしていたはずなのです。
死が常に目の前にあると冗談しか言えなくなるものです。緊張を笑い飛ばすしかない。
でないと気が狂ってしまいそうになります。
常にくだらない冗談がクチをついて出てしまう。そんな日常を耐えるためのメンタルの工夫です。
この漫画は新撰組のそんな面から着想したギャグマンガだったとアタシは思う。
だから高揚感とか大騒ぎぶりとかはいいところを突いていたはずです。デフォルメとは言っても必ずしも雰囲気は間違いとは言えないだろうとアタシは思います。
原作者の名前は「鴨川つばめ」。
そうすると「鴨」なんて名前、つい「芹沢鴨」が思い起こされてしまいます。
最期には新撰組内部で暗殺されてしまう無頼の無法者でした。
創設者のひとりでしたが、新撰組という勢力をカサに来てやりたい放題やり暴走させてしまった人物です。
彼の暗殺はいわば素行不良の幹部を土方たちが粛清したものです。
作者の鴨川つばめは新撰組をモチーフにしてパロディとして暴走させたw。
キンドーさんは「近藤勇」、トシちゃんは「土方歳三」、血を吐いてばかりの沖田総司も漫画に登場します。
意外とツボをついていたような気がしてなりません。
アタシは東映時代劇の方が楽しめていますが(笑)。
それは、アタシがこの時代劇を見たことがなかったから楽しめているだけなのでしょうか。
もし当時あの時代劇を見てた人が今見たらやはり色褪せてどうしようもないものに見えてしまうのか。
ちょっとゲイ的なところもある「マカロニほうれん荘」の雰囲気は、新撰組のパロディとしても秀逸なものがあったと思います。
漫画ではキンドーさんの方がゲイ、オカマっぽく描かれていましたが、アタシの土方歳三ゲイ説なんてことを考えてみても頷くところがある。振り返れば共感が持てるところが色々とあった。
史実の土方は近藤をひたすら立て、近藤の代わりに裏方として彼を支えたわけでしたが、それは土方の近藤へのプラトニックな愛情だったのではないか、そんなことさえ思います。
ゲイって精神論なのですw。ビアンとはそこが違う。
ビアンは攻撃的になる傾向が多いようにアタシには思えます。
女性は子供が産める、その能力がビアンとは背理する。だからつい突っかかってしまうのか。
ネコとタチ、互いの役割が厳しく決められたり、なにしろビアンは女性ですからとても嫉妬深い。
ゲイ特有の穏やかさ、緩さはあまりビアンには感じません。
あんまりふざけたところがないのです。
ビアンが愛し合っているのを見る機会があったらきっと分かることでしょう。
それはお世辞にもロマンチックな逢瀬には思えません。
互いをこすりつけ合い消耗し合い、ひたすら劣情しかないんだからw。
嫌ぁね、オンナってwww(笑)。
「ユルさ」、というのも大事なことだとアタシは思う。緊張ばかりでは長続きしない。
だからってお尻の穴が緩んでは困るんだけどw。
おそまつ
