旅の宿泊につきものの悩み
おかえり!!www(笑)
やっと周囲が日常に戻ったと感じられている方もいるでしょう。
ゴールデンウィークの連休、どっかへお出かけになった方もいらっしゃることでしょう。
人出の混雑をものともしないその気概は敬服に値すると思いますw。
アタシなんて祭りの見物客の混雑で早々に撤収したもの。情けなやw。
しかし移動や旅行が本源的な欲求に基づくものだとしたら抗えない方もいるはずなのです。
擬似的にでも遠くで子孫を作り、テリトリーを広げられた実感で満足できます。
いや、擬似的でなくホントに旅先でそんな出逢いなんか作ってたらマズいでしょうけど(笑)。
その昔はそういうこともあったようです。
ご夫婦で旅行に行って旦那だけ酒を飲むからとどっかのBarでふらりと飲んで、そこで女性とねんごろになってしまう、なんてこと(笑)。
アタシは家内も飲みますから、旅先でかつて知ったるBarに連れて行ったら妙にママから不機嫌な対応をされてしまったものです。
「女房なんかこんなとこに連れてくんじゃないよ」、って感じwww。
だいたいアタシという人間は本質的に出不精です。
散歩はしますしよく歩きますが滅多に遠出はしません。
旅行を積極的にはしない、したくない。
逆にどっかへ出掛けたとしたら今度はなかなか帰ってこないw。
こういう人を「鉄砲玉」という言い方をしますが、近年は自爆テロ的な言い方に変貌したかも知れません。
米国の鉄砲玉が安倍さんを暗殺し、死刑にならないからとしらばっくれている。
あれ、死刑求刑なんかしてみたらすぐに真相をゲロすることでしょう。
今、英王室の戴冠式なんかに言ってる連中と米国の共謀だってことはすぐに白状するはずです。
ともかくアタシには旅行というのはハードルが高い。
格安広告会社LCCのメールなんかがよく来ますが、いつも予約なんて一杯。格安航空券なんてまるでアタシの方には向いてくれない。
そうしてやっと悩んだ末に出かけてみれば、疲れる、期待はずれ、ガッカリなんてことも多いのです。
アタシはそんなマイノリティに寄り添いたいと思うwww(笑)。
きっと同じような方もいると思うのです。そして大型連休の世間的な高揚感の中、なぜか疎外された気分になっている方。
アタシは出不精な方々の味方でありますw。
だいたい「家族サービス」なんて、そしたら布団を敷いてネグリジ・・・(略)。
それにやっぱり自分が食べるものは自分で作りたいものです。
それが一番味わえるし作っている時からこの手で味わっている。
素材は厳選、値段も安い。
なにより達成感があります。
旅先ではアタシは地元のスーパーについ足を運んでしまいます。
そこの人が食べているものを食べてみたいと思うから。同じものを食いたいと思う。
名物や名産、観光客向けのものなんてあまり興味が湧きません。
もはや情報社会で何でも全国区です。
だから地元のスーパーに行ってこちらでは売ってないようなものを探す。
地元の人が好む趣味嗜好のものを買って宿に持っていって食うなんて楽しいものです。
なんなら道の駅やそこらの農家の直売所、農家の露地売り、そんなところを覗いてみる。
アタシはそっちの方がずっと楽しい。
浜辺に打ち上げられてるワカメを拾って食った時はビックリした(笑)。
ワカメなんてスーパーで売ってるもの、そんな感覚があったもんだから。
お前はどこのワカメじゃ?!www(笑)
そうして地元のものが手に入ったりなんかしたら料理だってしたくなる。
いつものよく砥いだ包丁でちゃんと調理したい。切るところを感じたい。
旅先ではそんなことはなかなかできません。人の調理場に入っていって料理を作らせて貰うなんて、土井善晴ぐらいw。
食器にしたって慣れたものが欲しくなります。
だいたい、まず割り箸で食うのに抵抗があるのです。
旅行ですからその日はそこに宿泊するわけです。そうなるとそこらの料理屋で食うのとは過ごし方が違ってきます。
割り箸や祝い箸ではなにか足りない気がします。
箸を使ったら捨ててしまう、折れてしまう、何か持続性のなさを感じてなりません。
それこそ、まさに今はやりの「持続可能性」ってヤツではないのかw。
割り箸を汁で濡らしてみたり、ごしごしと割り箸を二本擦り付けてバリを取るとか、色々と工夫はするんだけどやっぱり自分の家の塗り箸が恋しくなってしまいます。
先の細い、若さ塗りの特別な箸で、この鯉のあらいをちょいと食ったら美味しいだろうなあ、アタシはついそう思ってしまうタチです。
だからって持って行くってのも、、、どうか(笑)。
お茶やコーヒーだってそう。いつも飲む気に入った器というものがあります。
時々、あれなしにはマンデリンは飲めないな、なんて思ったりもする日常。
お気に入りのコーヒーカップを割られて大の大人がベソをかいたりする(笑)。
日本旅館だと部屋に通されるとお茶セットが用意されています。お茶が自由に飲めるようになっています。
荷物を降ろしてお茶で一服しようとする。菓子すらウェルカムスイーツみたいにしてついています。
ところがなんか勝手が違う。
いつもの茶筒じゃない。急須がなんか違う。どこかギクシャクとして落ち着ける感じじゃない。
まあ、そこは日本的なやり方だとして無理にでもお茶を淹れて飲んでみるわけですが。
そうして、サービスの茶菓子を食ってみて思う。
「これ美味しいからお土産にしましょう。」なーんて。すでに何か仕事をさせられているw。
あるいはアタシなら言う。
「これを試食して帰りに買ってけということだろうが、もっと寄越せばいいのに。」
なーんて。
慣れたものを使っていると存在が邪魔になりません。
「身の丈」ということでもあります。
いつもの器なら自然にお茶やコーヒーを素直に味わえる。
何遍も、何百回も眺めてきた器は自然に料理だけが目に入ってくる。
味わうことが主役になる。
だから欠け茶碗やヒビ茶碗はちょっといただけない。
そこがどうしたって気になっちゃうから。
まあ、それを構わず、その侘びたところを味わえるなら達人の域ですが(笑)。
そりゃあ趣味を凝らした変わった器、それと料理との取り合わせは楽しいものです。
しかし丸一日、二食、まるまるそういうのと付き合うとなるとどうか。
やっぱりなんか落ち着きません。
だいたい料理にはいつもの調味料だってないのです。
いくらお料理を美味しいと思って「お、これはひょっとしたらあのドレッシングが合うかも」なんて思っても、ないのです。
そんなパクチードレッシングをタバスコで薄めた自家製、そんなものが旅館にあるわけもない。
アタシは最近は最初に冷奴を甘酢味噌をつけて木の芽で食べます。
一通り食べたら今度はダシ醤油と酢をかけてショウガで食べる。ワサビ醤油でいただいたりもしています。
そういうのはなかなか旅館では楽しめない。
やっぱり旅館って特別なのです。
いい意味でも、あるいはちょっと落ち着けない、そんなどちらの意味でも。
たいしたもてなしをしてくれるところがあります。素晴しい接客を受けて帰ってくる。
痒いところに届くようなサービス、阿吽の呼吸で気が付いてくれた。
歴史ある建物、趣味のいい調度品。品のよい人たちの所作。気持ちのよい言葉使い。
テキパキとしてこちらの言うことにすぐ動いてくれた。
別に観光地を忙しく回らなくても「お宿」を堪能して満足して帰ってくることがあります。
しかし、自宅に帰るとなぜかタメ息が出てしまうのです。
「あーーー、帰ってきた。」なーんてww。
なぜ?
すっかりリフレッシュしたはずです。不満などなかったはず。
いや、しかしなぜか疲れているのです(笑)。慣れたところでないから緊張があった。
サービスを受ける姿勢もあります。
それでついクチに出てしまう。「やっぱり家が一番だよ。」なーーんてw。
旅の宿泊は難しい。
いや、それならホテルなんてのはどうか。
旅館なんて人との接触があります。それが日本的なもてなしのカタチです。
だったら西洋風にホテルだったら気楽ではないか、そして料理も出されないから地元のものを食べ歩きできるじゃないか、と。
そんな考え方もあるでしょう。
それに大都市の日本旅館なんて逆にバカ高い。
出張や所要なんかでもコスパで食事つきの日本宿の方を選ぶアタシですが、都会だとそうはいかなかったりします。
しかしホテルはホテルで馴染めないところがあります。
ドライでスマート、ニュートラル。そういう前提がやっぱりどこか違う。
まずベッドが違う、枕が違うのです。
窓の開かない部屋はいくら広くても息苦しいものです。
よほどでなきゃトイレバスはユニットです。
東アジアなら都市部でもゴージャスでも手軽なお値段のところが色々とあります。
何もインペリアルスイートでなくてもゴージャスなバスタブ。ユニットなんかじゃありません。
ちゃんと窓も開く。飛び出して跳んでくことも可能ですw。
しかしそういうところだってベッドと枕は問題。
ホテルの部屋に入ると、デーンとベッドがあって部屋が無言で迎えてくれます。
ボーイが付いてきたりしますが部屋から先は一人。
誰もいない。気兼ねもないはずなのですがなんか「待ってました」という感じ。
すでに空調が効いてたりします。
そしてベッド。ベッドメイクが主張しているのです。ホテルというのは宿泊がメインです。
ピーンと張ったシーツ。上掛けもピーンと張ってあります。
ベッドメイクは完璧なのです(笑)。
ところがそれが息苦しい。妙に落ち着かない。
人工的というか機械がやったような完璧に整って皺一つないシーツと上掛け。
これからアタシという生身の人間が寝転ぶのには違う気がしてしまうのです。
そのままでは寝れません。寝苦しさったらない。
あれを乱さないままにして体を滑り込ませる情けなさったらありません。
まるで自分から死体袋に入ろうとしているような、そんな気になってくるww(汗)。
そんで解剖されるんだw。
だから、アタシはいつもホテルの部屋に入ったとたん、シーツをグシャグシャと乱さないと気が済みません(笑)。
よく糊が効いた枕だってちょっとサンドバックにしてこなれてからでないと気に食わないw。
そんなことをやってるとまたなんか気疲れしてしまいます。
なかなか部屋で寛げない。
部屋をわざわざ乱雑に散らかしもします。
タオル、着替え、荷物をぶちまけて、すっかりアタシの部屋にしてからでないと落ち着かないのです。
その昔の若い頃、海外からの賓客をあちこち案内し、二人でさんざん飲み明かしてアタシは酔っ払って彼の部屋に明け方に転がり込んだ。
狭い部屋ではなかったから迷惑ではなかったでしょうが、図々しい感じはあったでしょう。
見るとその部屋は雑多に散らかっていた。
脱ぎっぱなし、散らかり放題。
キチンとした人でしたからアタシは意外に思ったものです。
昔はホテルでもきちんと気をつけて宿泊していたクチでしたが、それからはアタシもホテルでの泊まり方を変えました。
ホテルは散らかり放題で気ままにやって、立つ時はバッグにグチャグチャと詰め込んで立ち去る。
何もかもルーズにやるようにした。その方がよかった。
しかし、どうにもそれはアタシの性分じゃないんだw。
どうしてもバスローブなんかまとめてあげちゃう。何かしら仕事をしちゃうのです。
ホントはやらなくていい。
旅先の宿泊での枕と布団。
日本旅館だとちょっとそこは許せるところです。
夕飯を部屋で食うと部屋に布団を敷きに来てくれるわけです。
風呂なんかに入っている間に布団を敷いといてくれる。
部屋に帰ってくると人がさっき敷いてくれていた、それがいい。すんなりと夜更かしせずに穏やかに寝よう、そんな気分に誘導してくれます。
布団もシーツもわざとらしい感じがしません。ベッドメイクに「ニュートラル」という主張がない。
「主張」って、例えば盗みを働く時、渾身のチカラを込めて、しかし音がまるで立たないようにズッとタンスを開けるものです。
親の金を盗むとか実際にどっかに入るとかwww。
ホテルのベッドメイクには何かそういう類の不自然さをアタシは感じるのです。肩が凝る。
日本旅館なら布団を敷いてくれる手順がある。それがいつかも客に分かっています。
どうぞゆっくり寝てくださいという気持ちだけが伝わります。
だから日本旅館では何もわざわざ布団を乱す気も起きません。
まあどうせ寝れば浴衣をはだけて乱れてしまうのですがw。
あれ、アタシも家内も日本旅館での寝相がいっこうに定まらない。
どうしても浴衣をちゃんと着たまま寝れません。
起きれば決まって帯も乱れ裾も捲くれ上がって太腿もあらわな状態です。ダラしなくてみっともない。
きちっと帯を締めてそのまま起きれたというためしがありません。
まさかあれでエロい朝を迎えさせ、その気にさせようってわけでもないでしょう。
結局、やっぱりどっかで枕や敷布団、掛け布団の感じに違和感を感じているのかも知れません。
やっぱり寝苦しいんだw。
まあ温泉があったりすればもういくら旅先と言っても満足はあります。
インチキ臭い連中の真似をすれば「ベネフィットが上回る」というヤツですw。
何も温泉宿でなくとも温泉が引いてあるところもあります。
日本は火山国。温泉があちこちに涌く。
ホテルで温泉の大浴場だ、なんてところもありますが、アタシは日本旅館がいい。
ホテルで温泉大浴場だからと、浴衣のまま前をはだけてウロついてしまうのはちょっと違う気がします。
これは洋式と和式のケジメでしょうか。バスタを箸では食いたくない。盛り蕎麦をフォークで食いたくはありません。
朝食と夕食、その前と後。
昼はまあ外へ出ているにしても、何かにつけて温泉に入って広い風呂で寛ぐわけです。
夜遅くに入る風呂もまた格別です。
ヌルっとしたお湯に包まれて美肌、筋肉痛、あちこちが癒される。
出てくれば畳みの部屋に座って酒なんか飲んで、暫くしたらまた入る。
「湯治だってもっと長期間いないと意味ないのよ。」
なんて言いますが、まあ一日に何度も温泉に入るなんてこともあまりないことです。
気持ちだけでも何か効能がある気になればいい。
プラセボ効果というのはありますw。
ああ、でも結構アレで疲れちゃうんだ、まるで仕事のようにして入るから(笑)。
湯あたりしちゃったりしてw。
おそまつ
