令和五年春場所、千秋楽ぅぅぅ!!
「キリバス共和国」、それは太平洋の南の島です。
多くの珊瑚礁を持ち、世界でもっとも早く日付が変わる国だそうです。
英国の植民地政策を我が国、日本が開放しましたが大戦で米国と我が国との戦場にもなりました。
(by Wiki)
キリバす! 霧場山!
優勝おめでとう!www
なーんてww。
ちなみに霧場山関はモンゴルの人です。キリバス共和国とは関係はありません(笑)。
なかなか見ごたえのある春場所となりました。
毎度の人生ドラマはとても見ごたえがありました。
これから、横綱、大関不在だとしても三役がひしめき、上位での乱戦混戦となれば相撲もまた盛り上がるのではないかと思います。
テツオ。
キリバスは霧場山鐵雄(きりばやまてつお)
なのですww。
だ、だからwアタシは早くから予告してましたよ!
テツオの優勝も仄めかしたものですwww。
「テツオぉぉぉぉお!」
「金田ぁぁああ!」
「『さん』をつけろよ、デコ助野郎ぉぉぉぉ!」
「てめえは、吹き溜まりで大将になれてよかったじゃねえかぁ!」
いや、吹き溜まりでは困りますがwww。
あくまでアタシの趣味でしかありませんが、この先、「金田」というシコ名の力士の登場を待ちたいところですwww(笑)。
ともかく、今場所は初日を逃し五日目からの観戦と大きく出遅れてしまったものですから、アタシはあまり今春場所を振り返ることはできません。
そんな資格はない。
とても不遜なように思います。
ただ、少なくとも今場所を振り返って見ればいつものメンタルやそれぞれの事情、心理なんかよりも技能で見られることが多かったような場所に思います。
相撲自体の水準が上がってきているような気がしないでもない。
落合や朝乃山、豪の山なんかが注目してしまいましたが、相撲の技術的なところによく目が行ったことを振り返ります。
ロシア出身の狼雅、その心境はいかばかりか。
ロシアの正義を背に受けて、彼は戦っている!戦争ばかり吹っかけているアメリカとは違うのです!
などと十両の取り組みがことのほか注目された場所ではありました。
次の場所は朝乃山が十両から幕内に帰ってきます。
さて、アタシは霧馬山を「キリバス」なんて言ってしまってますが何もこれはアタシだけの専売特許でもありませんw。
ネットでは彼を割とそう呼ぶ人が多いのです。
「ス」。
これはなかなか面白い言葉遊びだったりします。
「ス」をつけられてアダ名になるような人はきっと人々に愛されているのです。
古くは「チヨス」、大関の千代大海がそうでしたw。
語呂もあったりするんでしょうがこういう言い方ってなかなか面白いのです。
民間人でも子供でも、もしご自分に「ス」とつけられるアダ名がつけられていたら周囲からの期待があったり、周囲から可愛がられているのだと思っていただきたい。
こういうのはもって生まれた人徳、そう言う他にはないのです。
シコ名、その名前にこだわる人もいます。本名をわざわざ変えて音の同じ名にする人もいます。いわばゲん担ぎと言うわけです。
その点、こういうアダ名に恵まれている人にはあまり名前へのこだわりはないようです。
その分、伸び伸びとやれるものかも知れません。
振り返ればアタシも子供の頃にはよくアダ名をつけられました。
色んなアダ名がありましたが、しかしどれも自分ではピンとこないものだった。それを今では残念には思います。
人からどう呼ばれるか、ということ。
ましてやそれはアダ名なのです。
こういうのを考えると人との距離感、他人との折り合い、そんなものがアダ名と自身の実感にはあると言えるのかも知れません。
アタシはどうも人付き合いが苦手なタイプでしたw。
・・・例えばそれは、人ごみの雑踏、駅なんかでちょっと実験してみたら分かるでしょう。
「おーーーぉぉい! ツッチー!」
なーんて、それで振り返る人がどれだけいるか、どうかwww。
それはバブルより後だったでしょうか、「土谷」なんて苗字の子には「ツッチー」だなんてアダ名、それはアタシには驚きでした。なんだか目が開かれたような気がしたものでした。
少なくともアタシの子供の頃には「ツッチー」なんてアダ名はなかったからw。
確率的に言えば、百人も集まれば同じ誕生日の人は必ずいるものだ、なんてことが言われます。
ではアダ名が同じ人というのはどれだけいるのかw。
人の名前を呼んでやる、アダ名をつけてやるってのは意外と大事なことなのかも知れません。
思えばアタシは自分の名前すら忘れることがありましたw(欝)。
そうやって顔や名前のない世界で生きていたことがあったものです。
服役していないだけマシというような、アタシはそんな人間ではありますw。
「陽の当たる世界」ってのはいいものです。
誰しもそういう気持ちで生きていれば大きな間違いはありません。アタシはそう思うw。
そしてそんな「証」というものがもしかしたらアダ名ってものなのかも知れません。アタシはそう思ったりするのです。
相撲観戦。
お猪口と徳利、徳利は蕎麦徳利を代用しました。
チビチビといただいてお相撲をじっくりと堪能したものです。
毎日を生き、生かされているアタシたちなのです。
走馬灯にはまだ遠いだろうなぁwww。
珍しくちゃんと写真が撮れました。
千秋楽、相撲観戦の食べ物です。
それにしても、アタシはどうにもこういう「写真を撮る」というひと息が苦手です。
つい忘れたりしてしまいます。
生きるのに急ぎすぎなのか、段取りや支度に気をとられてしまう分裂症かw。
こういうことも「大人」になればたやすくできるものなのでしょうか、どうかw。
・・・(略)。
毎日をめいしくおしあがれ
