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「好きなものを食べたらいいのよ」という話


 スーパーでそんな初老の夫婦の会話を耳にしたのでした。
 奥方が旦那に言っていたのです。

 「好きなものを食べたらいいのよ」と。

 どうにも共感できそうな話をしてる、私はそう思ったものでした。


 私にも覚えがあるのです。
 家内が私にそんな風に母性を感じさせるように言う時があるのです。
 私はただ「うん」という他はないw。


 先日もお話ししたかも知れませんが、私はどうにも献立にローテーションや言い訳、つまり「理屈」が必要で、献立はそれに左右されるタイプなのが私なのです。





 家内はそれを知ってか知らずか私をまじまじと見て言うことがある。

 それがまるで母親のような包容力で言うのです。
 「好きなものを食べてもいいのよ。」と。

 きっと家内は知っているのでしょう、私が必ずしも食べたいものを食べようとはしていないことを。

 私にはその家内の言い方がわかる。



 しか、こういう言い方は世間的には違うものかもしれません。
 私が触れたのも子供の頃には別なニュアンスだったものでした。


 私には幼馴染がいて、彼女には婆やがいました。

 私の下校をついでに付き添うみたいなことを言ってくれ、私はよく彼女と帰ったものです。
 婆やは時々、「内緒だよ」と言って高級な銀座の飯屋に連れて行ってくれたものでした。私は小躍りしてついていった。

 そうしてその婆やは私に「好きなものを食べていいのよ。」なんて言ったものです。

 それは何でも好きなものを選んでいい、そんな意味だと分かった。しかしどうにも私にはピンと来るものがなかったのです。



 その幼馴染の子は歯の矯正をしている子で、度の強い眼鏡をかけていた。私にはそれだけが目立っていた子です。
 しかし今から振り返れば当時矯正なんてことをやってたんだからそこそこの家柄ではあったのだと思います。

 この婆やの親への勧めでアタシもおかげで矯正をさせてもらった。


 しかし、もともと越境通学での学校が同じだというだけで特別な縁はなかった。
 二人だけが同じ路線だからと、教師が一緒の下校を奨励したぐらいでした。
 そしてその子には婆やが送り迎えに来ているのです。


 アタシはあまり相手にしてやらなかった。

 今ではちょっと悪いことをしたとアタシは振り返ります。
 きっと成長してかなりの美人になったんだとも思うw。

 彼女は子供ながらに私の厭世的なものも分かっていたような気もしないでもない。

 当時は安保なんかのデモがあちこちでやたらとあって、私は幼少の頃からそこに自ら進んで行って、子供ながら巻き込まれていったものでした。

 デモがあると学校が早めに下校になる、そんな昭和の時代です。




 ともかく、この、「好きなものを食べたらいい。」って言葉には二律背反の意味があるような気が私はするのです。
 乞食のように施しを受けて、「どうだ、ここから好きなものを自由に選べ」というのとはまた違ったものもあるのだということ。

 すなわち、「お前の好きなものは何だ?」ということ。
 それが言えないのでは食べさせてもらえないのです。


 家内は私のそんな性分を分かって言ったのだと思います。
 これだけ長く一緒にいれば分かるでしょう(笑)。

 ローテーションや理屈、最初にまずそれがあって何を食べようかという私のやり方についてということです。

 それは人間本来の感じじゃない、そう考えたのかどうかは分かりません。
 しかしそれで家内は私に同情心から言ったのだと思うのです。


 「(理屈なんかいいんだから、)好きなものを食べたらいいじゃない、」と。






 しかし私に好きなものなどあるんだろうか。そう考えたりもします。

 誰彼が「末期に何を食べたい」言ったなんて、歴史ではよく伝えられる話です。
 生きてきて最後に辞世の句を読んだりする人もいます。
 同じように最後に何かを食べたいと望む人がいる。

 人生を振り返って句にするのも、これまで生きてきたことを振り返って一番食べたいものを望む、それは同じことだとアタシは思うのです。
 生きることは食べることです。食べなければ死んでしまいます。


 しかし私は末期に何を食べたいと思うだろうか、そんなことを自問します。
 好物と言えるのはあるかも知れません。しかし「これが食べたい」というのが言えるだろうか、と。


 やっぱり考えればローテーションとか言い訳、理屈が必要になるのではないか、と。

 私には何を食べたいというのかない。
 出会った偶然に理屈かつけばそれを食べる。そんな私なのです。 




 世間的にはよくあるとされる話ですが、奥方が旦那に「今日は何を食べたい?」、そんな風に聞く。
 すると旦那は「何でもいいよ。」というわけ。

 奥方はそれなら世話がないとばかりにカレーにでもしてしまう。
 冷蔵庫に残っているあり合わせの野菜や肉なんかで簡単なのものを、と。

 すると出された旦那は嘆いてみせる、「ええっ、カレーかよお。」とw。


 こんなステレオタイプの話は考えてみれば奇妙なのです。
 「何でもいい」と言った旦那は私のように「好きなもの」が言えない、自分でも分からない人間なのではないのか。
 それなのに「カレーは嫌だ」というのです。


 私など好きなもの、何を食いたいというのがないものだから何を出されても何でもありがたくいただいてしまいますw。

 希望を聞かれるより向こうまかせ、出されるままの方が好きです。
 その場その場で出されて、味わいは違う。

 気分次第で味わいも違います。そして楽しめる。
 不満など思いもよらない。




 そしたら、こういう旦那衆ってのは「何が食べたいか。」それが実は分かっているのかも知れません。
 ただそれを言うのに遠慮があったり考えるのが面倒になっただけではないのか。

 私は何が食べたいかなんて言われれば答えに窮するぐらいですが、出されたものにガッカリするなんて、そんな旦那衆は実は食べたいものがあるのかも知れません。

 「察してよ」なーんてきっと思っているのではないかwww。
 まるで子供みたいにw。


 アタシにとっては献立にはいつも驚きがあります。

 自分で作っていても違いはありません。
 作り手と食べ手、手前と客の役を自分で分けるわけですから料理の展開には自分で作っていても意外性があったりします。
 膳を立ててみて箸を持ってみると、我ながら感心したり組み合わせの妙に唸ったりもする。

 今、家内が留守でそんなことをしていますw。


 スーパーの処分品、冷凍庫のスペース、そんな自分の縛りでいつも献立は勝手に決まると言っていい。流れです。

 「何が食べたいの?」なんて言われても、こういう理屈を上回るものはないのです。

 だからいつでも「いただきます」「ご馳走様でした」と相成るw。




 それでも家内はそういうことをわざわざ聞いてくれることがあります。
 とても感謝してることのひとつです。

 だってアタシはそう聞かれて、自分の欲しいものは何かそれを探してみればと、まともな人間扱いされている気になるから。

 そうして考える。アタシは何が食べたいんだろう、と。
 それでもなかなか考え付かないのです。
 やっぱり「昨日はアレを食べたから今日はコレにしよう。」なんて言ってしまうのですが(欝)。

 「死刑占い」www。


 あ、いや、「食べたくないもの」なら言えるのです。

 茹で過ぎてブヨブヨになった蕪の味噌汁とか、水分の多すぎるベシャベシャのご飯とか。
 脂の多すぎる肉も嫌ですし、鮮度の悪いホヤなんていただけません。

 添加物ばかりの菓子も嫌ですし、保存料ばかりの瓶詰めも嫌です。
 悪意のある国のものはもちろん食べません。


 コオロギなんて絶対に食いたくない!ww





 自分のカサブタなんかはクチに入れちゃったりします(笑)。

 ええ、今でもたまにはwww。無意識ってわけでもありません。
 それは何か「食べることへの興味」という感じです。

 きっとそれがないとアタシみたいなのは死んでしまうんでしょう。
 何を食いたいか分からないんだからw。


 子供の頃なんてハナクソだって食べたことがあります。

 さすがにウンXコは食べなかったけど。


 もし言ってあげたことがないなら、パートナーなんかに言ってあげていただきたい。


 「(栄養とか余計なこと考えないで)好きなものを食べたらいいのよ。」って。

 遠慮しないでいいとかそんな意味とは違う意味です。
 自分の好きなもの、食べたいものを食べなさいということです。
 ひいては自分で考えさせてもらえるということです。

 食糧危機だと唐突に言い出して、頼んでもいないのにゴキ、コオロギを食わせようとする、そんなんじゃない。


 「好きなものを食べたらいいのよ。」

 これがとても優しく聞こえるのはアタシだけなんでしょうか。




おそまつ







※ そういえば子供の自分は野菜を食えとか色んな押し付けがありました。
 ピーマンを食えとか人参を食えとか、人の食うものにククチを出してきたものです。

 でもそういうのはしょうがないのです。

 だいたい子供なんて味なんか分からないのです。
 給食なんてアタシにはご馳走だった。



 給食のパンを自分だけトーストにしたり、お代わりをしてみたり、欠席生徒のデザートを食ってみたり、なんだか大人のくせに子供用の給食を旨そうに食う教師が担任でした。
 アタシはこの教師が嫌いだった。虫唾が走った。


 日教組の会合や研修とやらでしょっちゅう授業を自習にするくせに、給食なんかには喜んでかぶりついていたものです。

 アタシは生意気で理屈っぽかったからこの教師には疎まれ、無視もされていた。


 この教師がクラスの女生徒にイタズラをしていたことに思い至ったのはずっと後になってのことでした。
 突然に引っ込み思案になって押し黙るようになり、アタシと目をあわさず、女子としか話さなくなってしまった子がいた。

 後になって同窓会を開かせ、教師はその子に会おうとしたに違いありませんでした。
 その子は同窓会の直後に自殺してしまったと聞いた。


 まあアタシだけの勝手な推察かも知れませんが。

 そんな振り返りのこと。



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