トカゲの日光浴とヤモリのミイラ
なんてこと!!
とっくに相撲が始まって、もう中日だっていうじゃないですかw。
全然気が付かなかった(泣)。大相撲始まってた。
昨日歩いててラジオをチューニングしたらたまたまニュースになって、取り組み結果なんか言ってるじゃありませんか。
もう始まって五日とか、なんちゅうことwww。高安が連勝中とかw。
今日も勝ったようです(笑)。。
アタシは何か調子が狂ってた。
何が悪かったのか。
船岡のストーカー逮捕がアタシに影響してたとかかw(笑)。とんでもないっw。
北の富士も連載を休載してた。不整脈の手術だそうで休場。
やっぱりそれってワクでしょうか。心配です。
あーー、ここまで見逃すと見る気がなくなりますw。
今場所は微妙です。
・・・アタシが見てないもんだから高安が優勝しちゃったりしてw。
さて、ポカポカといい陽気だと春らしくて嬉しいものです。
通りすがる犬コロなんかもニコニコしてるw。
先日は四時間も歩いてしまいましたw(汗)。
調子に乗り過ぎちゃったわけじゃないけど、探しモノが見つからなくて。
このところジッポの火打石が減ってきて、ストックもないので焦ってた。
予備の百円ライターはあるのですが最近のものは極端に火を絞っていて点きにくい。
最近はわけのわからない規制がかかってるのです。
ご存知の方は少ないかも知れません。
電子タバコ、吸わない人も多くなり、すっかり火が人間から遠くなった。
最近は火を持ち歩く人がどれだけいるんでしょう。
昔は子供でもライターを持ち歩いていた。見つかると「不良だ」なんて言われたものですw。
点きにくいからって改造するのも癪です。妙な規制に屈する気がしてしまう。
メタルのカバーを外してやって、火力調節をひっかかりを越して大きくすればいいだけですけどw。
で、火打石を百均で探したんだけど売ってない。どこにもない。
点在するあちこち、百均を軒並み探すハメになってしまい。疲れました。
まあ、音楽聴きながらヨイチョ、ヨイチョと歩いてたわけですが。
健康にはよさそう、膝には悪い(笑)。
すると目の端、下の方でササッと動いたものがありました。
何かな。
気にせずプカリンを始め、アタシはよい煙を作るのに熱中します。
すると、また目の下の方で動きがあった。
見るとコンクリートの割れ目から大きなトカゲが顔を出していた。
顔を覗かせてちょっと躊躇している。
それからゆっくり、用心して割れ目から体を伸ばし、だんだんと全体を見せた。
テラテラと光る背中、瑠璃色のウロコ状の背中に日光を当てて気持ちよさそうにじっとしています。
ああ、トカゲは変温動物でした。思い出した。
体を温めないと動きが鈍るのです。
アタシとは目と鼻の先。
プカリンの煙を見ているようにも思えた。
まさか蛇に睨まれた蛙でもなかろうにと、アタシは黙って静かにプカリンを続けた。
邪魔をしないようそっと家に戻ろうとする時もトカゲは動かず、穏やかな顔をして割れ目から体を出してじっと日光浴を続けていました。
そこで振り返ったのはヤモリのことです。
ある夜のこと、寝室に飾ってあるクリスタルガラスの文鎮をヤモリが覗き込んでいたことがありました。
小さなヤモリを家内と二人で、そっと見守った静かな夜だった。
その後、暫くしてその文鎮が置いてあるローキャビネットの裏を掃除をしようとしたら小さなヤモリのミイラが出てきた。
おそらく文鎮の美しさに見とれたあの時のヤモリなんだろうと家内と話したものです。
顔なじみの亡骸を見たような気持ちになった。
どんな最後だったのか、蜘蛛の子がたくさん発生してましたから食べるものには困らなかったはずです。寒かったのか。
天寿をまっとうできてたらよかったけど。
「捨てようか?」
なんて家内が言うからアタシは反対した。
家内が大事なものを閉じ込めて保存している宝箱に入れてあげようとアタシは言った。
家内の宝箱は小さな標本箱のようなものです。
壁にディスプレイするような箱で蝶なんかを虫ピンで止めておくようなヤツ。
家内はそれを素敵なモノをしまって飾るのに使っています。
綿を詰め、立てても崩れないで見れるようにして、階段の窓際に並べてる。
後ろから日の光が入ってよく見える。
中は化石とかスズカケの実とか、トンボ玉とか雑多なもの。
先年、栃の実がすっかり収穫されていることに驚いた時、ツバキの実を見つけました。
なんとなくそれを持って帰って置いといたら、いつの間にかパカッと割れて中からツバキの種本体が飛び出していました。
割れた抜け殻の方をこの宝箱に飾っていますw。
家内がいいと思ったもの、可愛らしいと思ったもの、それが小さな世界を作り上げています。
別なもの、種類の違うものが可愛い、キレイという想いでつながっている。
その宝箱の中ではまるで彼らがお喋りしているようですw。
ヤモリのミイラを入れてあげるなんていいアイディアだと思った。
ウチの文鎮に魅入ったヤモリだったんですから。
抜け出た魂がいつか自分の入っていた骸を見たくなるかも知れません。
ちゃんと飾って置いといてやればいつでも見れる。
「標本」なんて言い方をすると冷たいですが、見るものと考えればすなわち素敵なものということです。見たくなるものということです。
見たくなるものだからディスプレイする。
別に構造を比較するわけでもないし、研究サンプルでもない。目的は見ること。
ミイラはただ死後もそこにあるというだけです。魂が入っていた抜け殻。
無碍に片付けてしまうのではなく置いといてあげる。
ミイラってそういうものだと思うのです。
古くはエジプトのミイラに始まって人類はあちこちでミイラを残してきました。
きっと古代エジプトで残されたミイラっていうのは良い統治をしたり慕われた人だったのだとアタシは思っています。
入れ物が間違ってしまい、邪悪なことしかしなかった人なら魂だってそんなものを改めて見たいとは思わないでしょう。
魂は体次第。善にも悪にもなる。
魂に良いも悪いもありません。
だから悪い王だったらその魂のためにミイラにする必要もなかったはずです。
アタシは「ミイラの呪い」ってあるとは思えない。
功利主義者として名高いベンサムは自分の死後、後学のためとして自分のミイラを残し大学に飾っておくように遺言しています。
ロンドン大学。後のユニバーシティ・カレッジ・(オブ?)ロンドンです。
自分をミイラにして飾らせた話は彼が徹底した功利主義者だったということでよく引き合いに出される有名なエピソードです。
不埒な学生のお目付け役の案山子のつもりだったのか、使えるものは自分の遺体でも使え、と、そんな風に語り継がれています。
学生のイタズラに遭い破損することもしばしばだったとか。
つまりそれだけ学生たちの目を引いていたということになりましょう。
でも、ベンサムは自分の魂がいつか自分の亡骸を見たくなると思ったのかも知れません。
見たくなって面倒になっては困る、だからそんな自分が日頃から論じている功利主義の言い訳をコジつけて自分のミイラを残させたのかも知れません。
この話はアタシは経済学で知りました。
ベンサムは法から経済を見た人でもあったから経済学史に載っているわけです。
合理的で筋道の立つことが通らねばならないと考えた人、アタシは割と好きな人です。
イギリスではその後に法律でゲイが罪ということなって政府が近代になって謝罪さえしたわけですが、ベンサムは当時から同性愛について肯定的でした。
そこはとても評価できる。
実に穏やかで論理的です。
そこいくとマルクスなんてのはまるで異質な人です。
経済学者というよりも宗教家だった。
だから「マルクス経済学」なんてわざわざ別にくくられるほどです。
マルクスの論理はトリックでしかなかった。
専制と独善的な恐怖政治を生み出し、社会に腐敗と閉塞しか産み出しませんでした。
そうして、ソビエトは崩壊しロシアはもはや共産主義ではなくなったのですが、西側はなぜかそのことに気が付かせないようにしている。
きっと西側の今のグローバリスト、彼らこそが共産主義的な毒があるからでしょう。
だから人々から自分たちのことが気がつかれないよう、昔のソビエトが今のロシアと同じものだとわざと混同させている。
ともかく、ベンサムのミイラは裸だったり解剖標本でもなかったので、少なくとも医学的な貢献にはならなかったでしょう。
Wikiで見ると「自己標本」なんて書いてあります。
やっぱり「標本」なんだ(笑)。
ポカポカとした陽気の日によく虫干しするなんて言って古書や古文書を日光に照らしたりしますが、ベンサムのミイラにもそんなことをしたんではないか。
19世紀の人ですから当時はそんなに標本の保存技術だってなかったでしょう。
トカゲも日光浴をして満足げでした。
生物としては同じ種類のヤモリですから、きっと階段上の日の当たる場所はよい場所だと思ってくれることでしょう。
ミイラとなっても日が当たるところにいる。
日陰者でないってのは大事なことではないか、アタシはつくづく思ったのです。
北の富士なんて日当たりのよいところばかり生きてきた人ですwww(笑)。
ボロは着てても心は錦ぃぃぃい!www
トカゲがウチの庭で楽しく過ごしてくれればいいと思った。
おそまつ
短かっ!www
