マクラは長いが、ないのも困る
アタシの話はマクラがやたらと長げえことがある(笑)。
本日はそんなお話。
まずブログで話すテーマが決まります。その日の気分というのもあります。
オチなんて話せばだんだん浮かんでくるもの。
何も毎回落とさなくてもいいわけですしww。
でも、まずは季節柄、時節柄のことをお話していこうとよく思うのです。
嫌がられてはたまりません。クセが強い奴だなんて思われても困ります。アタシは真実をお話ししたい。
まずは導入部が大事です。美しい季節の味わい、世間的なホッコリするこぼれ話をご紹介して、まずは安心してもらわないといけません。
ゴリっとした意見や考察があったりする場合もありますが、まずは穏やかに始めようとする。
するとその話が止まらないw。止まらなくなるww。
自然体、自然の流れで話になっていつまでも話が広がってどんどんマクラが長くなってしまうのです。
ダブルサイズからクイーンサイズ。
ヘタをするとマクラがキングサイズになっちゃうw。
ウチに遊びに来た子たちが寝室を見せろなんて言ってきたました。
一人で暮らしてた時、そんな振り返りのことです。
キングサイズのベッドにね、そして長い長いマクラだった。
シーツはピンピン。
三人は寝室に入りこむとそこに遠慮もなしにドカンと寝っころがった。
アタシはそれを見て、ふと、なんかこれは絵になるなと思ったもの。
それで三人の頭を丸く揃えて寝かせてみた。
キングサイズのベッドの真ん中に三人が輪のようにアタマを寄せ合って寝る。
アタマが円のように突き合うように寝かせた。放射状というか。
ベッドはキングサイズだから三人寝ても余裕があります。
一人はチビっこい、もう一人は大柄で黒い、もう一人は大人びてる。その天井を向いた顔と仰向けになった姿がなかなかいいと思った。
これはいい、なんかシュールな図ではないか。
芸術的な構図だと思った。
そんでアタシはこれを写真に撮ろうとした。
そしたら撮れないんだw(笑)。
狭い部屋にキングサイズのベッドがドーンとあるから部屋のどの隅に行っても全員のその姿を写真に収められないの。
カメラって被写体との距離より引いては写せないのですw。寄るのはできるだろうけど。
アタシは目で見えるというか三人の姿が感じられるのにカメラだとうまく全体が入らない。
三人もそのうち飽きてきて「もういい?」なんて聞いてきた。
いいや、これを目に焼き付けとくだけにしよう、そう思ったものです。
ありゃとても残念だった。
振り返っても残念でなりません。
その三人の真ん中に飛び込んで全員の唇を吸うなんてこともできたんだろうけど、それを忘れたほど。
いや、未成年じゃありませんよ(笑)。
あ、いけない、マクラの話だったwww(笑)。
キングサイズのベッドの話じゃなかった(笑)。
ともかくく落語のマクラってそういうもんだとアタシは思うのです。
本題の噺に入る前にリラックスしてもらって耳に入りやすいようにする。
客の緊張をほぐしてやる。
ホントは噺家の方が緊張するのが筋に思えるでしょうが、客ってのはたいてい身構えるものです。
「俺は落語を聞きに来てんだ」なんて身構えている。
それじゃお堅い品評会になっちゃいます。笑いどころがありません。イケません。
だから安心してもらって、肩のチカラを抜いてもらう必要があるわけです。
ちょっとした話、小耳に挟んだ話、本題の噺と関係なくたっていいのです、最後にどっかでつなげてやればいいんですから。
まずは笑いを取る。
「コオロギを食べると危険だそうなんですがネ(笑)、
それでも『食わず嫌い』って言われるんですかねぇ。」
なーんちてw。
マクラから客は入ってこれる。
お馴染みの演目だとしても噺家の個性を味わってくれるわけです。
ああコイツは面白そうじゃないか、知ってる演目だけど聞いてやろう、なんて思ってもらうわけです。
だいたい落語の古典なんて好きな人はたいていの噺は一度は聞いてたりするわけです。
オチだって分かってる。
だから噺家が違うというだけ、内容は同じものです。
でも人によるそういう味みたいなものが違います。
アタシは「火焔太鼓」というのが好きでした。月の家円鏡さんがよかったw。
歌舞伎なんかでもそういうところがあります。いつかやった同じ演目をやるわけです。
「そんな勧進帳なんて何度もみたんでしょ。」
なんて言われながらも連れて観に行って、いや「ひと幕見」ですがww、ちょっと記憶を呼び覚ましたりする。
そんで「団十郎は違うなあ」とかなんとかw。
こういうのを繰り返し見て同じ人でも日によっての調子、そんなのを見たりするのが楽しみだという人もいます。
コンサートでも「全ての公演予定日を全部見る」、そんな人がいるそうです。
それならなおさら飽きさせないようにしないといけません。
だからマクラってのは「その時」っていうリアルタイム、いわば「タグ付け」みたいなもんだと思うのです。
アタシが季節の話やさっき見てきたことからお話を始めるのと同じ。
ところが歌舞伎にしてもそうですが、オペラや同じものをやるお芝居、そういうので「マクラ」というのは聞かない。
アタシは聞いたことがありません。
オペラでは「フィガロの結婚」というのがアタシは大好きで、件の教授から「ラ・ボエーム」のチケットをいただいて「なーんだ」なんて内心がっかりしたほどです。
クイーンのコンサートのような盛り上がりがあるモーツアルトのオペラです。
だから何度か観ているのですがやはりマクラなんかありませんw。
だから「ああケルビーノは混血の人がやってるのか」とか。
「このフィガロはらしくないな」、とか。
ちょっと鑑賞っぽくなっちゃうのです。真面目腐っちゃうw。入っていきにくい。
没入していないのです。
まあ確かに「オペラ鑑賞」って言いますけど。
けど落語は「落語鑑賞」なんてあまり言わないものです。
客は笑いに来てるんで評論なんかしてほしくないわけです。
だからオペラやお芝居、それこそクラシックのコンサートにしたってマクラがあったらいいとアタシは思うのです。
それらが古典落語のように誰かしらが毎度のようにやっているものなら尚更です。
マクラみたいなものがあると演目がお馴染みのものでも俳優やオペラ歌手、演奏家や指揮者の個性というのが分かって入りやすいのではないか、そうアタシは思うのです。
何度も上演しているわけです。色んな人たちが同じ演目をやってきたのです。
だからちょっと落語家が小話や雑談みたいなのを最初に持ってくるみたいな呼吸。
他のオペラからでも抜き出して披露してマクラにするというのはどうか。
「魔笛」の夜の女王をいきなりやって、パパゲーノがさえずったと思ったらそれがフィガロだ、とか。
それを色んなバリエーションで自由にやる。
同じマクラなんて詰まりません。
クラシックコンサートなら演奏の前に音合わせをして何か少しサビのところをやる、とか。
オーケストラは始まる前に音合わせしますがあれをもう少しマクラになるようにするわけです、どうか。
ちなみに、というか話がやや脇へ逸れますけど、落語で最後に「お後がよろしいようで」って言います。
あの意味をアタシはずーっと誤解していた。
「どうやら話の最後がよくまとまったようでございます。」
と。アタシはそんな風なシメの挨拶なのかと理解していました。
間違いです(笑)。
あれは次の出番を待つ人(お後)がそろそろ準備ができました、「よろしいようです」だからここらで止めましょう、そういう意味だった。
だから最後の人は言わないわけです。後なんかないんだからw。
落語、寄席っていうのは何人かの芸がセットになってチケットが売られています。紙切り芸人とかマジック、漫才師なんかもセットだったりします。
そんで「トリ」というか、最後に一番いい人をもってきたり最後から二番目なんかにする。
たまにお披露目なんかで真打昇進だというので、一番最後に真打、その前が師匠なんてのもあるようですが。
ともかく、この「お後がよろしいようで。」って言う言葉、アタシは最初から最後まで落語を聞きに行ったことがないから分からなかった。
途中からとか終わりだけとかでしたからw。
いや、でもアタシの誤解してた方が風情があると思うんですがね(笑)。
そんな順番なんざ客に押し付けられても困ります。
次に控えているったって、次の奴なんか待たせとけばいいんですw。
せっかく面白れえ話になっちゃったんだから好きなように延長したらいい、「時間だ」なんてキャバクラじゃないんだから・・・(略)。
あっ、そんな考えだからアタシのマクラは長くなっちゃうんだwww(笑)。
ああ、でもAKなんとかだったらまた違うんでしょうか。ねえ?
あのアイドル・グループみたいなの。似たのもいっぱいあります。
ああいう全員して勢ぞろいでアップテンポの曲、それを全員で声を合わせて歌うのって流行ってもう随分になります。
歌は早口、アニメ声、まるで台詞回しのようです。
その歌詞も意味もメッセージ性もたいしてなかったりします。
元気だよ、頑張るよ、それだけw。あれは逆にスーパーなんかで流されると欝になるんですw。
まあもっと腐った曲がありますから「マシ」って言えばマシなんですが。
メンバーも粒ぞろいというのでもなくて、どっかしらアザとくて可愛くない。
だいたいダンスというよりもポージングです。
かつてピンクレXディーを女の子たちが真似した、あんなのを狙っているのか。
男子たちは単にエロいという目線でしか見てませんでした。だから女子たちがピンコロレディーの振り付けを真似した時にはギョッとしたもんです(笑)。
それにしてはファンは野郎しかいない。キモオタばかりw。
カネがあんだ連中は(笑)。
ともかく、彼らにはマクラがあったはずです。
「マクラ営業」って(笑)。
おそまつ
※ ここは談志の声でお楽しみいただけると、どうか(笑)。
んーーー、それでねぇ。結局オチちゃった。
オチちゃったわけだけど、別にオチたかったわけでもないわけで。
人間ってのはいずれ死ぬんだからそこがオチなんじゃないか、と。
これがね、んー、まあ、まあそれが自然体ってとこですよ。
ところが今の世の中、自然なものでないのが多すぎますな。
別にコオロギの話ばかりしてもしょうがねえんだけどね。ねえ?
コロナも人工的に作られたものだってんでしょ。ね?
食品添加物にしたって他じゃ禁止されてるものが日本じゃ許されてるって話ですから。ええ?
成長ホルモンなんて、なくったって放っておけば成長するんです。
放るもんっていいますからね。ね?
んーーー、いや、オチじゃないですよ、これは。
あんまりやるといけませんな。
でないと二段落ち、三段落ちになっちゃう。蒲田行進曲じゃないんだから。
ええ? もうそんな名前古すぎてついていけねえ?
あーーー、まあね、時代ってのもあるんでしょうなぁ。
オチがよろしいようで。
