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生活の改善、味噌汁をよそう


 いまさらいい歳をして「生活の改善」なんてアホみたいに聞こえるかも知れませんが、いつだって「カイゼン」の余地というのはあるものです。


 何だって「良くしよう」というのはあっていいと思います。
 昨日にお話した関節あたりの不調だってカイゼンすべき姿勢があったりするそうです。ちょっとした立ち上がり方の工夫だけでよくなることもあるとか。


 「カイゼン(4170)」なんて会社もあるぐらいですw。
 企業のDXの補助を業務としています。

 って、ありゃりゃwww、ひどいなこれは(笑)。株価ほぼ10分の1。

 IPOってのはホントに長期保有なんてしたら危ないw。


 大きく変えるのは「変革」と言います。ちょっとした気付きで小さな変更をしてそれを常態化する、それが「カイゼン」。

 バブルの頃、日本企業の「カイゼン運動」なんてのが紹介され世界中に膾炙したものです。





 ちょっとした気付き、それを取り入れるってならアタシはしつこく言いたいw。

 最後、死んだ時には、ちゃんと「気をつけ」の姿勢にしてやってくださいなw。
 カイゼン。

 まさか「何とかセレモニアム」とかの葬儀会社、マニュアルなんかにしてませんか?
 
 「故人が安らかなお姿に見えますように、ご遺体は胸のところで手を合わせてあげてください。」

 なーんてw。

 大きなお世話だ!


 死んだら死んだであの世で忙しいでしょう。こっちのことは構わないでいただきたいw。


 だから、どうか胸を圧迫しないで。
 悪い夢を見てしまいますからw。
 生きてる時がそうなのです。
 寝ている時に胸が圧迫されると決まって悪夢を見る。


 まさに今、死んだばかりで安らかに眠っているのに悪い夢なんて見たくないではありませんか。
 間違っても「生前可愛がってたわね」なんて言って、猫を遺体の胸に乗せたりなんかしないでw。

 悪夢を見たまま彷徨う魂ではどこにも旅立てないw。


 実際、確かキリスト系のご遺体にはそういうのがあったと思います。
 棺桶に入れられて顔を見てお別れした。あの手は胸で組まれていた。

 だーからwww、そういう連中はいつまでも悪夢。戦争を止められないwww(笑)。




 なーんて、まあ、そんな大袈裟な話でもないのですがw、家内がちょっとした暮らしのカイゼンを思いついたのでした。

 それは食事の時のこと。

 まずはその所作というかいつものやり方、ルーチンについて振り返ってみますw。


 考えてみれば食事の始まりから終わりまで、どうしているでしょうか。

 まずご飯をよそって食卓や膳に並べます。
 そして焼き魚や煮つけ、時には肉を少し焼いてオカズを盛り付ける。

 漬物、酢の物、香の物も並べてあります。ご飯の友、佃煮なんかも出してある。

 醤油、酢、お好みの調味料も出しといてあげる。
 唐辛子味噌なんて趣味嗜好のものさえ出してあります。


 箸は箸置きに。
 最後に味噌汁を出す。
 汁を熱くした湯気の出ているのを最後によそい、はい、いただきますw。



 これがいつもの食事の風景。

 いちいち皿や使いそうな調味料はあらかじめテーブルに出しておきます。
 終わったらまたキレイに引っ込める。その繰り返し。

 それを面倒なんてことは言いません。でないと食事にならない。できるだけ中座はしたくないわけです。
 まあ使わないものや「味変はしてくれるな」っていうなら別です。出しとく必要はない。


 食事だって「型」が必要です。
 そうやってできるだけ「これが我が家」というスタイルがあった方がいい。
 「いつも食事の時には海苔が出されている。」それだっていい。どうしたってそうなるものです。


 だから、他人の家で食事をいただいたり、実家でご馳走になったりすると自分のところとは少しだけ勝手が違う。それに合わせる。
 それがその家の匂いであり雰囲気であり「私」との付き合いということになるはずです。


 食事がただ腹を満たすだけの「エサ」では困る。
 それもひとつのQoL、「クオリティ・オブ・ライフ」というもの。


 そうして、ウチは食べ終わるとご飯茶碗にお茶を入れて軽くゆすぐようにして飲む。
 ご飯粒なんかを洗いやすくお茶で茶碗をキレイにするついで。

 下げる時は皿は重ねません。油を他に移さないようにする。
 食事を終えたらシンクにはいつまで洗い物を出しておかない。洗えるものはサッと洗ってしまいます。




 ・・・どうか。
 整理して振り返ればまずまずの及第点ではないかw。


 で、ここで「味噌汁」というのが登場します。

 アタシには食事には必須なのですが家内は特に必要としない人。
 嚥下に困らなかったり唾液の分泌がいい人です。

 アタシとはちと違う。

 すると、家内とアタシは食べ方が違うのです。

 ご飯とオカズをすっかり食べ終えたら家内は汁に取り掛かる。
 食事の仕上げに飲むのです。
 アタシは食べながら汁を飲む。


 お互いに差し向かいで、めいめいに皿や茶碗に箸を出しているわけですが、考えてみれば食事にはそういう見えないリズムがあるわけで、それがちょっとだけ違う。




 すると、「汁を飲むときはいつも冷めてるから。」なんて家内が言って味噌汁を遠慮すると言った。

 だったら、ということでアタシの分だけをよそうようにしたのでした。
 家内はあらかたご飯を食べ終わってから自分でキッチンのコンロのところに行って汁を碗によそってきました。

 つまり食事を始める時、アタシの膳だけ味噌汁がある食卓となったわけです。

 鍋は温かいし火にかけ直してもいい。
 家内はもう冷めた汁とはおさらばですw。


 やってみたら「この方がずっといい」なんて家内は言った。
 ご飯を食べている時には汁を飲まないからその方がいい、と。


 なんだか今更ながらにちょっとした所作、これまでのやり方を変えてみたら良くなった気がしたのでした。




 そしたら、「汁が美味しい」なんて家内が言うようになった。

 今まではそんな言葉はなかったものです。

 アタシが作った汁が美味しい時は家内は最後まですっかり飲み干します。
 それほどでもない時はちょっとだけ汁の残りカスが碗にいつも残っている。
 アタシはそれを横目で見て出来不出来を考えたものです。

 そんな感じだった。

 ルーチンを変えたら言葉がなかったものが家内が味噌汁の美味しいかどうかをクチにするようになった。


 家内は言葉を節約する人だと思います。あまり余計なことを言わない。
 復唱するなんてほとんどやらない、できない。


 まあ、食べている時に「美味しいね」と言うとアタシはそれだけで美味しく感じてしまう人間です。
 いわば言葉がスパイスになっちゃう。

 だから、イマイチなら「なかなか美味しいよね」と言って鼓舞し、美味しく感じようとする。
 文句なしに美味いなら「うん!いい!」なーんて、それだけw。
 井の頭五郎ばりに擬音だけです。祇園精舎の鐘の声w。


 どうも家内はそういうのはないらしい。世辞もない。
 そのままストレートに言葉を使う人なのです。

 だからアタシが「痛え」とか言うと五月蝿がるのかも知れませんがw。




 こういう冷める冷めないというのは、昭和の昔なら汁を作った鍋を食卓に置いたりしたものでした。
 子供の頃、お呼ばれした家ではそうしてた記憶があります。
 こちらが食べている頃合を見計らって汁をよそってくれたりする。

 昭和のテレビドラマなんかでもそんなのが多かった記憶があります。


 「ワゴン」なんて洒落たのに乗せてた家もあった。汁用のワゴン。

 これを保温するための軽い電熱器になってるプレートも売られてました。

 だからか、昔の昭和の食卓テーブルには電源コンセントがついてたりしたものです。
 ホットプレートや保温プレートのコードがテーブルから垂れてたら見苦しい。


 何も熱々じゃなくてもいいんだけど、ちょっとした温かさへの気遣いはあっていいかも知れません。

 ウチは二人なのでそこまではしない。だから忘れてたことです。

 カイゼン。
 これからは家内は自分のタイミングで汁を貰いに行くことになりました。




 江戸の人、古来の人たちはたいてい冷めた食事を食べていました。
 囲炉裏の鍋ならともかく、普通は熱々の食事なんてなかったと聞きます。
 出されたものを食べ。静かさの中に味わった。

 熱々だったり湯気が出ているようなものというのは音がどうしたって出ます。
 そういうのがあまりないものだから静かなのが基準でした。

 近代に入った今でもせいぜい熱かったらハフハフしたりするぐらい。「フーフー」なんて大きな音を出すなんて行儀が悪いとされているものです。


 それが近代に入り、火やコンロが手軽になりました。
 それでも会話をせずに黙って食う、「黙食」というのが標準だったように思います。

 畳に正座や銘々あぐらをかいて、ちゃぶ台で食事をする。横にはおひつと汁の鍋がありました。
 お代わりをすぐに出してあげれるようにした。黙ってお代わりと茶碗を差し出した。
 食事中に中座することのないようにした。頃合を見計らって汁を差し出した。


 しかし時代とともに今は話しながら食べてもよくなったと思います。アタシはむしろ「黙食」よりその方がいいと思ってます。
 いや、くっちゃべるんじゃなくて、静かにお互いに食卓を共有するための言葉があっていいと思う。

 「美味しいね」、って(笑)。


 みなさんはどうしているのかw。




 そうすると、こんな話になってしまうと家内にまた怒られそうなのです。

 それは言葉。

 相手に「キレイだね。」「素敵だよ。」なんて言ってあげることは大事なんだ、そういうことになってしまうからです。
 昔の時代ではないんだ、と。
 黙って「床を敷け」じゃしょうがないのだ、とw。

 でも、アタシはやってないw(汗)。


 家内はそれにいつも文句を言う。不満だというのです。
 「キレイだね。」「素敵だよ。」なんてまるで言わないと文句を言う。
 果てはアタシが「そう思ってないせいだ。」なんて怒り出す。


 でも、さっき言ったようにアタシは言葉がスパイスになるタイプです。
 たいして美味くないものでも「なかなかイケる。」なんて言えば美味しくなっちゃう。
 ホントに美味いものには擬音ぐらいしか出ない。


 つまり、ある場合には言葉は方便というか「苦し紛れ」なんです。

 食事をしている最中に「不味い」なんて言う馬鹿はいません。余計に不味くなってしまいます。
 どんなものでも美味しく食べないといけない。損です。
 だから「意外と美味しい」なんてちょっと言ってみる。

 そこにはちょっぴり嘘や誤魔化しがあるのです。


 そんな苦し紛れの言葉が家内に対して使うことになってしまうのをアタシは畏れる。

 いつまでもキレイでいていただきたい。
 美しいままでいて欲しい、そう思うからあまりそんな言葉を気軽に使えない。

 「アイラブユウ」だって遣わない言葉です。誰に対してもw。




 ホンモノというのはそういう欺瞞を見抜く。
 言葉以上のものがあります。

 だから余計な修飾や賛辞はしてはいけない、それがアタシの考えです。どうか。


 だいたい考えてもみてください。
 アタシにはないんだw(泣)。一度だってありゃしませんw。

 「ステキ!」なんてアタシが言われたことはないんだから(笑)。

 そしたらあまりに一方的じゃないかww。

 はてさて、この「相手に対する気持ち」を共有すべきなのか、どうか。


 「アンタってなんてステキなの。」
 「アンタだってすごく美しいじゃない。」


 なーんて、そんな風に共有している図を想像すると、「傷の舐めあい」みたいに思えてしまうのはアタシがひねくれ過ぎてるんでしょうか。


 これからカイゼンを検討したいところではあります。


 いや、もう欲しい時に自分でよそいに行くようにすればいいのではないか。・・・(略)。


おそまつ





※ 「汁をよそう」って言います。

 「汁を止そう」ってんじゃありません。


 それじゃ顔シャして飲・・・(略)。

  おっ!お゛ーーーーっっ!、ごっほっん、ごほっ、

 ご、ごほごほん(笑)。 げほーーーん・・・ゴホン。

い、いや、な、なんかムセちったwww。


 なんかこの「よそう」って言葉は漢字が出てこないのです。

 「寄せる」が語源?

 確かに味噌汁は具をまとめてあげたりします。具を寄せる。

 ちょっと上に盛られていると汁はステキに見える。


 ご飯も「よそってください。」なんて言う。それだってペッタンコじゃカッコ悪い。


 それかな?(笑)



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