シロウトならではの発想
いやはや、雪がすっかり溶けて何事もなかったかのようです。
庭だけがなぜか雪景色を残している。
お恥ずかしい話ですが、ウチの地域はたいして雪なんて積もらないというのに前日からあちこちで氷結防止の薬剤なんか撒いていたものです。
「何を大袈裟な」、なーんて豪雪地帯の人からは言われてしまうのでしょうが、そこは「シロウト考え」です。
ロクに雪を知らないもんだから勢い余ってしまう。やりすぎる(笑)。
ウチのあたりなんて雪かきスコップすら必要ないぐらいなのに。
しかしそれが売れるんだw。
雪の予報があるだけで店頭に雪かきスコップが店頭に並んでよく売れている。
シロウトなりに考えてしまうのです。
誰でもそれなりに考えるものです。
「下手な考え休むに似たり」
なーんて言いますが、休んでても考えることはする(笑)。人間だものw。
時々、こういうシロウトの発想がコロンブスの卵だったりすることがあります。
見る角度が違うから意外と有意義な意見になったりする。
だから関係ない人に同席してもらうという手法があります。
「オンブズマン」なんてのはそんな発想で始まったものです。
「参考人」というと知見のある人からのアドバイスになるわけですが、オンブズマンはあくまでシロウトからの発想に期待するものです。
シロウトが専門的な会議に列席してクチを差し挟んでもらう。そうすると思わぬ発想から議論が進んだりする。
役に立つのです。
ホンモノのプロほどそういうことをよく分かっている。
「オンブズマン」とは別に市民団体の活動のことではありません。
それが本来の意味です。
オブザーバーなんて言い方もあります。
こういうのを「客員」という立場で常にいてもらうようにする場合もあります。
いわば「乞い願って来てもらう」わけです。
しかし最近は「客員」なんてついてると「お飾り」とか「天下り」、まるで義理みたいに「役に立たないくせに入り込んでいる人」のことを言うようになってしまってるw。
みんなから煙たがられて浮いている存在になってるのがよくある光景。
弁護士でも「客員弁護士」なんて人がいるのです。
初めて聞いた時はアタシも驚いたw。
いったい何の「客員」なのかと思いきや、ただの飾りだったり軒を借りているだけ。
そういう事務所を間借りしてるようなのを「イソ弁」なんて言いますが、ただの「イソウロウ弁護士」のことじゃない。それが昔は裁判官なんかやってたような人だったりする。
ツテがあって客をひっぱってこれそうだとか、在籍しているとハクがつくからいてもらっているというだけ、そんな飾りみたいな弁護士がいる。
事務所ではあまり戦力としては期待されてない。
やっぱり能力は劣ります。
間違ってそんな人に頼んだりしたらとんでもないことになるww(笑)。
弁護士だって医者だって何より経験がモノをいいます。
キャリアが邪魔になってろくに経験が積めないという人は困る。
プライドが無駄にあるから新しいことに取り組めないという人。
ところが客員弁護士なんて経験もロクにないのに最初からシロウトじゃない。
ご本人はシロウトのつもりじゃないのです。
だから柔軟な発想はできません。ご自分の考えというのがない。
昔はそれなりのポジションがあった人なんでしょうがそれがアダになる。
裁判官と弁護士なんてまるで違う立場なのに自分は法律の専門家だと思い込んでいる。
自分の知っているやり方をなんとしても通そうとします。
尊大でシロウトの理屈を受け容れられない。
そして権威にはやたらと弱い。
裁判官どころか書記官にさえペコペコしてる始末(笑)。
「客員教授」というのも似たようなものかも知れません。
名前はあるんだけど専門としては三流の人。
マスコミ出身者とかアナウンサー出身とかそんなのw。
あちこちの大学にそんな連中が入り込んでいます。
しかしどちらもシロウトではないのです。なりきれない。
それだけに厄介です。発想はありきたりで斬新なものはありません。
決まりきった考え方しかしないから薄っぺらい。
プライドばかり高いので扱いに困る。
あまり役に立ちません(笑)。
こういうものはホントは頼んでわざわざ来てもらうような立場の人のことだったのに、いつの間にか「来てもらったということにしよう」なんて話になっていったのがイケないw。
「顔を立てる」なんて、ホントは何かのコネか義理立てだったものをそんな風にするから誤解が生まれてしまう。
だから今や「客員教授」なんてほとんどの人が、どっかからネジ込まれたような人にとって代わってしまったというわけです。
「教授」というのは立場としては大学では一番上の立場になります。
大学という組織としては「学部長」とか「理事」とかそういうのがありますが、研究者としては教授というのは一番上の立場。
若い人は研究者として大学を渡り歩いてゆくものです。
そうして色んなところから声がかかり、転籍しながらキャリアを積んでゆく。
ところが、三流、四流の大学に引き抜かれて教授となってしまうと、もうそこから先がなくなります。
もう他の一流どころの大学から「教授になってくれ」なんて言われなくなってしまう。
もう三流大学で教授としてやっているのに「ウチでは准教授から始めてくれ」なんて言えなくなる。
大学を格付けするのは世間の評判ですが大学間でそれは言えない。
「オタクは三流だからウチに来るなら准教授からだ」なんてことは言えないのですw。
そんな時、客員教授というのはいい方便になったのですが。
今は若い連中で三流大学で教授なんて言ってるのはキャリアを諦めたか使い物にならない人しかいない。
逆に「名誉教授」という人たちは違います。
もう引退してしまった人だから何でも言える。何の利益関係もありません。
何の遠慮もない。
今、ワクで公正な話をしてくれるような人はこんな名誉教授ばかりです。
小汚い年寄りが集まって市民団体を立ち上げて自治体に寄生しているのがいます。
上から目線でクロウトのつもり。
「なんとか市民オンブズマン」なんて名乗ってるw。
自分たちこそ市民の代表だと偉ぶっている。
実は特定の政治勢力の犬だったりするわけですw。
政治をオモチャにしたり床屋談議が大好き。
そのくせ不公正には目を瞑る。
何か役に立つことをしているような自負だけはある。傲慢さしかない。
「市民参加の政治が大事だ」なーんて、いたずらに身構えてしまったもんだから変なのがあちこちで湧いて、そういう団体がゴチャゴチャとクチを出してくるようになった。
そうなるともうシロウトの市民じゃありません。
ゴネて難癖をつけるだけの党派性の高い連中。
だから、いわく、これを「プロ市民」なんてネットで言うわけです(笑)。
アタシは一度そんな団体が集まった会合に出たことがあります。
ほとほとガッカリしたw。
「自分はいつまでも一介のシロウトでいたい」、そんな訓戒の言葉があります。
常にものごとは勉強だ、常に考えるようにしたい、そんな訓戒です。
シロウトなんだからバカにされてもしょうがない、自分には知らないことばかり、謙虚でいないと学べない、そういう姿勢でいれば有意義です。
そうすれば間違いもしくじりも、何でも糧にしていける。
後悔はありません。
「ロクに知らないシロウトのくせに」なんて言われるのを怖れていてもしょうがない。
間違っていたらちゃんと人が教えてくれる。
それよりも自分で考えることの方がずっと大事ではないか。
客員だの名誉だのシロウトだのプロだの、人からの評価を前提として何かを考える訳ではない。
私たちは真実を知りたいのです。
最近、「エビデンス」とか「ベネフィット」とか意味なく頻繁に使われるようになりました。大流行している(笑)。
それでみんながなんか分かったような気になってしまっている。
こういうのは伝染します。
「素人がクチを出すな」なんて言ってるのがいるもんだから人々は理論武装するわけです。
でも、「素人がクチを出す」、それでいいのだとアタシは思うのです。
「デマ」や「風説」にも効用があるとアタシは思う。
それは真実を明らかにする圧力になる。
でないとデマが一人歩きしてしまうから。
だいたい、責任の所在がないというならどんなデマを飛ばしても構わないのではないかw(笑)。
どんな企業でも製品に欠陥があれば責任を取らせられるのです。
だからデマを飛ばされたら訴える。
業務妨害、営業妨害です。
しかし、全てが自己責任ということになっていて、長期的影響も不明、そもそも通常の治験という手続きを経ていないものなのです。
大いにシロウトが議論し、デマを飛ばして真実を明らかにする圧力をかけてゆかないといけないのではないか。
やましいことがなければ釈明すべきなのです。
諦めてはいけない。
おうぞどだいじに
※ 別にアタシは「反ワク」という訳ではありません。
念のためw。
他人に「打つな」なんて言うつもりはない。
それぞれの判断です。
「正しい情報」なんてものはありません。
真実なんてそういう混沌としたものから掴み取ることしかできない。
「絶対」なんてあり得ないのと同じです。
いや、リンゴを投げたら落ちるじゃないか? って?
それを「法則」というのです。
地球以外では「禁断の実」かも知れませんw。
おそまつ
