相棒のライターが節煙を勧めてくれて
アタシがプカリンする時、愛用のライターはジッポです。
「プカリン」はタバコのウチでの隠語。
たいていの人には通じますww。
プカプカするw。
その火をつけるライターはダンヒルなんかのガスライターを使っていたことがあったけど長年かかってやっとジッポに落ち着いた。
すでに紙巻タバコをやめて煙管になって久しいですが、炎が使いやすく感じます。
何種類か持っていますがどれも気持ちよく火がついてくれます。
不思議なことにジッポというのはつい手元に種類が集まってしまうものです。
骨董モノを見つけるとつい救い出してやりたくなる。
プカリンを止めた隠居からいただいたりする。拾ったりするw。
あまりジッポをひとつだけ持っている人も少ないのではないか。
仲間が欲しいのでしょうか(笑)。
かつてはベトナム戦争にも行ったライターです。
焚き火が気軽にできるような場所ではないのでアタシのジッポの使い道はプカリンだけ。
それ専用にしては大きなものかも知れません。
でも、ガスライターなんかだと、ちょっと間違うとガスの成分を吸ってしまうような時があるのです。
ジッポは蓋を開けるとほんのりオイルライターの香りがしてきますが、炎にはほとんど匂いがしない。
ターボライターは重宝するんだけどなぜかすぐに壊れてしまう。
あれはガスを選ぶ。
ちゃんと「ターボライターにも使える」と書いてあるのでないと火がつきません。
それにせっかちに、風に歯向かってプカリンを意地でもする、そんなのはもう卒業したお年頃w。
煙管は吸った後に掃除が必要ですから、昔ながらのマッチの方がいいと言われます。マッチの燃え残りの棒を使って火皿を掃除するわけです。
しかしマッチなど今時は入手することも困難でしょう。
小さな、ケータイのバッテリーぐらいの大きさの紙箱に入ったマッチの箱がありました。
そこに店の名前なんかが印刷されてて、紙の引き出し式、中には木の棒マッチが入ってたw。
そのうち、コストが安い折りたたみの簡易な「紙マッチ」というのも登場しました。
あれでさえもはや懐かしい。
昔は、喫茶店のマッチなんか簡単に手に入ったものです。
Barなんかでも挨拶代わりに普通にくれたものです。
もちろん店内では自由にプカリンができた。
紙巻タバコを取り出すと、火をつけてくれようとするのでアタシはいちいち断ったものです。
自分のタイミングでやりたいのはお酌と同じ。
アタシは昔から頑固だったw。
代わりに、尾根遺産は並んで座ったその膝小僧をアタシの膝にグイグイ押し付けてくる(汗)。
その膝の上にはレースのキレイなハンカチがちょんと乗っていた。
ハンカチの下には露なストッキングの膝小僧が見えました。アタシの膝から膝の圧迫を離すと、そこだけ白く、周りがほんのりとピンク色になっていた。
ある時、そのマッチの小さな箱に十円玉が一枚入っててアタシは不思議に思ったものです。
何かのサービスかと間抜けにも思ってしまった。
マッチの紙の引き出しの箱の裏には尾根遺産の電話番号が書いてあって、電話してくれという意味だったのです。
十円玉はその電話代だというわけです。
尾根遺産の心が灯っていたマッチでした。
有名な「マッチ売り」の少女のお話にもそんなところがあるのでしょうか。
娘の心を灯した。
寂しさ、侘しさに震えながら雪そぼ降る街角でマッチを売る少女がいます。
窓から見える家々の食卓、どれも暖かく幸福そうに見えます。
「マッチはぁ、いりませんかぁあ~」
声を絞り出して行き交う人々に呼びかける少女。
精一杯の笑顔をしても寒さに凍りつきそうです。
みな急ぎ足、あまり振り向いてくれる人はいません。
そこに紳士が通りかかります。カイゼル髭の男性は彼女の顔を見ると言った。
「私にひとつくれないか。」
はい、と恥ずかしそうな笑顔になって答えると、少女は物陰へと行きます。
紳士がついてくる。
そして、少女はその場にしゃがむ。
同じように前にしゃがんだ紳士はその少女の股間の前でマッチを・・・(略)
おっ!お゛ーーーーっっ!、ごっほっん、ごほっ、
ご、ごほごほん(笑)。 げほーーーん・・・ゴホン。
ち、ちょっとムセたwww。 り、燐かなw。
やはり火を見るというところが大事です。
そこには癒しがあるw。
炎が語りかけてくる気がします。
「オール電化」なんてのがありますが、アタシにはどうにも分からないものでした。
火を見ないで料理を作るというのが受け容れられない。
古代の人々と同じように火を見て食事を作るのがいい。
確かに自分で起こした火ではありませんが火加減を見たり、点火したり、そういう古代から遺伝子に刻まれてきたことが思い出される。
義母はオール電化にしたいということで、その理由を「火は怖い」ということを言ったそうですが、それが火というものです。
電気がいくら安全だと思っていても「絶対」なことはなにもありません。
予期しないことが必ず起き、建て屋の天井が吹き飛んでしまったり、半減期250年もするような物質が拡散されてしまったりするのです。
その責任は経営陣は問われないw(笑)。
注意して考えて、火を扱う方がずっといい。どっちにしても自己責任なのは変らないのです。
しかし、ガス代がバカ高くなった。
風呂は二日おきにしたらいいかも知れない、そんな話を家内としていますw。
ジッポのライターはよい相棒です。
ランタンに使っていた白灯油がたくさん残っているので補充も快調、好調、絶好調w。
寒いとプカリンがしたくなります。火を見たくなる。
ところが、最近はよくオイル切れを起こすようになった。
きっと中の綿が偏ってしまってるからなんでしょうが、オイルを入れてもすぐに一杯になってしまいます。
少ししか入らないからオイル切れをしょっちゅう起こしてしまいます。
最初のうちはいいですが、だんだんと炎が小さくなっていく。
振ったりしないとうまく炎が立ってくれません。
そのうち、プカリンしようと最初の一発だけは普通につく。
二発目がてんでダメ。
最初の点火一発で終わらせないといけないようになります。
時間を置くとまたつく。
ポケットに入れて酒を飲み、暫く経つと普通につく。
なんだかムズがる子供のような感じなのですw。
もしかするとライターがアタシに節煙させようとしているのかも知れませんw。
いくら煙管でも頻繁に吸うのはよろしくないと、ジッポが気を利かせているような気がしてなりません。
よい風に解釈してやりたいものです。
こいつは快適なライターなのです。
ちょっぴり感謝して炎を見つめるこのごろです。
ジッポは蓋を開いた時の音がよい。
閉じる時のケジメをつけるような音がまた心地よい。
事務的ではなく、どこか少しだけダラしないw。
ぼうっと炎が立ち火をつけさせてくれる。自由な感じがあります。
最近、小汚いカッコウをしたオッサンなんかが高い紙巻タバコを口にくわえて、プカプカやりながら街中を自転車で走ってたりします。
喫煙場所を軒並み失くしてしまうからそういうことになる。彼らは走りながらプカプカやっています。
プカリンはすっかり高くなったものなのに、と、アタシは感心する。
自転車に乗りながら吸っても吸った気になるかどうかw。
わずか吸っただけで捨ててしまう人も相変わらずいる。
近頃は服装に注意しない人も多くなったようで、小汚いカッコウに見えてもずっと豊かなのでしょう。
高楊枝なのはアタシぐらいというわけです(笑)。
彼らは風呂にはどのくらいの頻度で入っているのか、どうかw。
昨晩、買い物を終えて家内から店を出てくると、向こうから若いカップルが歩いてきた。
カノの方が悲痛な顔をしていて歩き方もおかしい。おぼつかない。
たどたどしく、まるで硬直しているような感じです。
カレがそのカノをいたわるようにして歩いて、横をゆっくりとすれ違ってゆきました。
アタシはなんかの愁嘆場の名残りかなと思ったけど、ちょっと雰囲気が違うような気もした。
どんな衝突があったのか。
家内によれば最近はそういうのが増えているんだとか。
体の動きがおかしい。
特に若い人に多い、とか。
悪いことは言わない。定期的にDダイマーを調べた方がいい。
まあ、そんな「勧め」なんて誰も言ってはくれないんでしょうけど。
でも、相棒らしくなってきたジッポはアタシたちに囁きかけてくる。
プカリンするのもほどほどにしとけ、と。
ありがとう。
おそまつ
※ ・・・なんだかなあ(笑)。
昔のあの箱マッチのことを「ケータイのバッテリーぐらいの大きさの紙箱」なーんて表現しなきゃならんとは。
いや、「箱マッチ」って言ったって「徳用マッチ」とは違います。
あのパイプの絵が書いてあるデカイのとは違う。
んーー、説明が難しいw。
だって今時、マッチなんて見かけないのです。
だから、分からない人もいるかと思ったw。
間違いなく若い人は見たことがない人がいるでしょう。
火打ち紙のないマッチもあったものです。
机でもどこででも、摩擦をかけると火がつくマッチというのが海外にはありました。
日本だと火薬と同じということで規制されていましたが。
マカロニ・ウエスタンなんかでは、自分のブーツの金具のところでマッチをすってカッコよく火をつけるなんて場面があったものです。
さりげなくダラしがない。あまり事務的でない、そういう自由さ。
雰囲気がありました。
え? マカロニ・ウエスタン? 知らない?
それはアメリカ開拓時代の無法な時代、銃とカネが世の中を支配した時代を描いた映画のことです。
生きるために銃が必要だった時代、厳しい荒くれ社会を描いたアメリカの時代劇。
西部劇のことです。
へ? それじゃあ今のアメリカ社会と同じじゃないかって?
はあ、そりゃあそうだw。
やっとCNNがバイデン一族の犯罪性を叩き始めたそうですが・・・。
おうぞどだいじに
