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正月の気付き、餅


 元旦は餅を焼く。

 ウチの場合、二人で切り餅ひとつを半分にして雑煮に入れる。
 赤飯があるから一人にひとつずつでは多いのだ。

 昼のお節に食べてまた夕方にひとつ。
 レンジのトースターで焼く。

 しかしつくづく見れば大きなレンジにたったひとつの餅だ。どうにもエネルギー効率は悪そうだ。

 電気不買。
 どうにかならないものか。そう思った。





 ガスコンロで焼いたらすぐだろう、そう私は家内に言った。

 翌日、家内は餅をレンジで二つ焼いていた。
 この方がいい。これなら納得だろう、なんて言った。

 どうせ焼いた餅はすぐに雑煮に入れて出すわけでもない。
 雑煮のダシにからませるようにして少し汁に入れて温める。
 だったらあらかじめ焼いておけばいい、というわけだ。

 いい発想だ。


 そうしたら、要はこんな餅など焼いた焼き目のついた餅として売ればいいのではないか。
 私はそう思った。

 考えてみれば今はパックの餅の時代だ。
 個別包装の餅。

 そういや先日はこいつの十二年ものを消費してしまったんだ。

 慨嘆す(笑)。



 昔はビニールパックに入った切り餅でもカビたりしたものだ。
 ピンクや黒ずんだカビがビニールパックの中で生えた。

 それがなかったから長く保存してきたが、何の拍子か今年になって家内は二つとも使ってしまった。

 その味わいは硬かった。




 ともかく、こんな個別包装になったのだって昭和の終わりあたりのことだ。

 最近はすっかり見かけなくはなったが、昔は「のし餅」というのが歳末の売り出しでよく売られていた。
 餅をついてのし、すなわち伸ばして、平たい板にして売っていたものだ。

 それには少し、切れやすいようにくぼみをつけてあって、必要な時にはそこからパキッと割って網で焼いたものだ。

 買った時はまだフカフカで、ついたばかりの餅という感じがあるのだが、年末から正月にかけるとどうしたって乾燥してくる。
 だからパキッと割れるようになった。

 それを火にかけるとぷうと膨らんで、餅が焼けた。


 つきたてならともかく、餅はそのままでは食べない。
 一度は焼くものだ。
 つきたての餅のお相伴に預かったことはあった。幸福そうな大家族が、たまたま通りかかった子供の私に差し出してくれ、ありがたくいただいた。

 ともかく、どうせ焼いて置いておくのだったら最初から焼いて焦げ目がついている餅をパックにして売ればいいのではないか、そう思ったビジネスのアイディア。

 餅はどの食し方にしても必ず焼くものだ。
 白湯に浸したりもするがまずは焼いて焦げ目をつめる。ぐつぐつと鍋焼きうどんならともかく、湿り気を加えて食べやすくする前には焦げ目をつける。

 焼いて膨らませれば、また粘りや伸びが出て面白い。そこが餅の面白さだ。
 つまり、たいがいは焼くのだ。

 のし餅を切ったものを「切り餅」として個別包装のパックにしているなら焼いた後のパックでもいいではないか。


 真空包装で、焦げ目の香ばしさもそのまま保存させてしまえばいい。
 何しろビニールパックすらカビが生えないようになった技術があるのだ。

 そんなのを開けて雑煮に投入すればずっと簡単ではないか、そう思った。

 レンジで少しだけチンして安倍川餅にだって簡単だ。





 振り返れば「さとXXうのご飯」なんて、実に不思議な商品だった。

 今ではあれを普通に買って取り置いている家庭さえある。すっかり我が国のキッチンに定着した。
 コメなんて炊けば簡単なのになぜかあれが各家庭に保存されているのは不思議ではある。

 確かあれは最初は防災用として売られていたはすだ。


 そのうち、ご飯のインスタントラーメン版のようにして売れるようになった。
 市民権を得たのだ。

 だったら炊いたご飯を自分で冷凍しておけばいい、なんなら天日干ししてアルファ米のようにしておいてもいいのに、そう思う。
 コストにしても高いではないか。


 ところが考えてみると、それは便利さが行き詰まったところなのだと分かる。
 昔は鍋で炊飯をし、それがガスになり、電気になり、電子ジャーへと進化していった。
 電子ジャーには保温機能がついていつまでもホカホカになった。


 そしてレンジでチン。
 冷めたご飯を蒸し器で温め直すような家などもはや殆どないだろう。

 そこまで便利にしていったのだ、究極にはパックのご飯、「さとXXうのご飯」となるわけか。


 辿ってきた道を振り返ってみれば現在のパックご飯はコスト高とは思えなくなってくる。
 それが「歴史」というものかも知れない。

 そうして、今やあのパックのご飯を常備しておいて食べる人々がいるのではないか。


 ウチはと言えば電子ジャーを体験していない。
 昔からずっと鍋炊きだった。
 だからパックご飯はバカらしく思うという先入観だけだ。





 「杵つき餅」なんてわざわざ謳っているのは、ある時期、餅をペーストのようにして売っていたことがあるからだと思う。

 それは確かについてない餅だった。商品だった。
 均一で歯ごたえはスライムのようで当たり障りがまるでなく、とても餅とは呼べないような代物だった。


 それが今の「杵つき餅」のようなことへとつながっている。
 「焼餅」、それを商品開発し、同じようにパックで売ってはどうかと思う。


 レンジのトースターでたったひとつの餅を焼いているのを見たらそのエネルギー効率を思ったからだ。



 「鏡餅」というのはとっくにそうした簡易なものになってしまった観がある。
 メーカーがフィギュアに詰めて鏡餅を売り出してしまった。


 それはパンドラの箱を開けたようなものだった。
 今ではほとんどの家庭がそんなフィギュアの鏡餅ではないのかw。

 昔は手作りのいびつな鏡餅だった。
 カビてゆき、ひび割れてゆくのを眺めながら正月が過ぎてゆくのを見守ったものだった。
 そうして厄介なお荷物のように感じた頃、鏡餅を割って新年の祝い事の終わりのケジメをつけた。


 今はひな祭りの雛のように暦とともにフィギュアを仕舞い、「また来年」と別れの挨拶をする。


 鏡餅のフィギュアは丸い餅ですらなくなった。
 中には小分けした小さなパックの餅が入っている。だからその外皮だけ、そのハリボテが鏡餅として使える。

 よほど餅が豊富にある家でなければ、こんなフィギュアで済ませていると思うのは都会モノの思い込みだろうか。

 




 この焼餅も、やがてこの先にはフィギュアになり、全てが粉になって情緒もない無駄をまるで削ぎ落とした食文化となるのだろうか。
 まるで宇宙食のように。

 いや、しかしそれはかつて来た道ではないか。
 我々が子供の頃には何でも粉になっていたものだ。
 ソーダ水、コーラ、いろんなものが粉になって駄菓子屋を賑わしていた。


 大晦日、外皮はフィギュアではあったがちょっと違ったものだった。
 プラスチックの鏡餅を模した容器にそのままの形の餅が入ったものが売られていた。
 しかも安くて丸餅としてもお買い得だった。
 ちゃんとした丸い餅がプラスチックの外皮に収まっていたのだ。

 これなら中身もちゃんとしたものだしフィギュアに拘ることもない、そうして人々がまた鏡餅の丸い形に慣れてゆくのだろうか。

 そうして何年か普及させてまた昔ながらの鏡餅が売れるようになる。
 そんなことを企んでいたのだろうか。遠大な計画ではある。


 人が便利さに流されると後戻りさせるのはかくも難しい。



 このブログはビジネスのアイディアが詰まっているではないか、どうか。
 できれば各方面で役立てていただきたいと思う。

 ただしお返しも忘れずにいて欲しいwww(笑)。


 正月のささやかな振り返りのこと。



おそまつ



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