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立ったまま食事をすること


立ったまま食べること。
 これも意外と意味のあることなのかも知れません。

 肉まんを買い食いしていたあの頃、ソースも酢醤油も必要なかった。
 ウチに持ち帰ると必ず何かしら欲しくなったものです。
 立って食べることがソースや酢醤油の代わりになっていた気がします。

 「手掴みで食べること」と並んで、なかなか意味があることのような気がします。


 手掴み。
 まず、手で食べるということがあります。
 スプーンやフォーク、箸を使わずに手掴みで食事をすることです。


 寿司やタコスやハンバーガーだけではありません。カレーも粥も。

 手で触れられるぐらいの、そこそこの熱さのカレーライスにしてください。
 それを右手だけを使って食べるのです。
 ちゃんと美しく、汚らしくならないようにして食べる。


 すると、手から伝わる「食感」があることが分かります。
 手に舌のような感覚器がついていることに気付く。


 やってみると分かります。
 そうしていただくカレーは美味しさがまた違うのです。満足感に違うものがあります。




 もちろん、常にそうして食べている地域もあるのです。
 私たちの「選択肢」のひとつとして認識を広げておくことはいい、アタシはそう思います。

 それがどう重要なのかは正直よく分かりません(笑)。
 手掴みで食べることにどんな意味があるのか、その議論を進めるにはまだアタシはボンヤリした直感のままです。


 しかし、そんな食べ方が「できる」というところ。
 それは普段は私たちには気が付かないことです。そこに価値を見出してもいいとアタシは思うのです。


 要は「選択の自由」です。

 その選択肢を広げることはそれだけで有意義なことだと言えます。

 なぜその選択肢を選ぶか、理屈は後で考えてもいいw。
 まずはそんな選択肢があることを知っておくべきではないか。


 なぜなら自己を拡張することができます。自分の世界を広げるひとつの方法です。
 選択肢が広がることは自分を広げるのです。

 カレーをインド人のように食べてみる。
 我が国ではやらないことですがそういう食べ方があるのです。

 大したことはありません。一人でちょっとやってみるというだけです。
 そうして味を噛み締めてみる。味わってみる。


 もし新しい世界が見えたら、素晴らしいことではないか。




 そして「立ったまま食べること」、これも食べ方の選択肢、味のひとつではないかとアタシは思った。

 立ち食い蕎麦とか立食パーティー。考えてみればそういう食べ方はあります。
 やはり普段は気が付きにくいものですが、立って食べるという選択肢はちゃんとある。

 ほとんどやらないことですが、自宅で奥方や家族と立ったまま食事をしてみたらどうか。
 また味わいの違う選択の幅が広がるのではないか。そう思うのです。

 そういや恵方巻きなんて「立って方角を向きながら食え」なんて言うw。


自分でもつくづく不思議なのですが、実はアタシにはそんなクセがあります。
 ふと気がつくと無意識にやっていることです。

 ホテルのビュッフェなんかで味噌汁やスープをもらってくる時。
 ドリンクバーで酒やドリンクをもらってくる時。

 自宅で味噌汁をお代わりする時。
 汁を取りに行くとやっています。


 アタシはテーブルに戻るまでのほんのちょっとの距離なのに、汁に歩きながらクチをつけていることがあります。

 ほんのちょっと、まるで味見するようにクチをつけている。


 何でだろうと思う自分がいますがなかなか止められないw。
 客観視すればこれは無駄な動きです。こぼしそうで危ない動き、行儀も悪い。

 しかし油断してると無意識に汁にクチをつけながら席へと戻っているのです。





 我が家で、テーブルを立ってキッチンのところに行き味噌汁をお代わりします。
 家内はテーブルで食べている。
 私はもう碗の汁を飲んでしまった。

 中座は行儀としてよろしくないのですが、家内の食事を邪魔しないためアタシは自分でもらってくる。

 すると、お代わりを入れてわずか四、五歩。こぼさないように碗をもって帰ってくるその途中で、アタシは無意識に碗にクチをつけその味噌汁をすすっている。


 それが美味しいかというと否定はできませんw。
 確かになんだか美味しく感じているのです(笑)。席について食べていた汁の味とは違う。

 なんだか味わいが違うのです。
 さっきまでテーブルで食事していたものとは違うものがあります。




 食事ではテーブルや膳を前にしていただく主体、私という主体は明らかです。
 私は「客」の側にいます。

 茶の湯では給仕をする人、場を仕切る人を主人と呼びます。
 茶を飲む側は客です。


 本来の食事ということなら、お代わりをしてあげることや、何かを追加で取ってくるというのは私の役割ではありません。
 誰かがやってくれる、そんな係りがいるのが「食事」というものの本来だと思います。

 ただ腹を満たすだけではありません。作法や所作もあります。
 それが「食事をする」ということ。ただ腹を満たすだけではありません。


 私が食べないのであれば私がその係りになってやり、家内や誰かのために給仕します。
 食べるのが私なら誰かにやってもらう。

 そうしてめいめいが食事と終わりまで向き合い、中断されることなくいただく。

 お喋りをしたりすることは本来はありません。
 食事は黙食が基本でした。
 そうして食事をいただけたことに感謝し、中断をせずに終える。

 ただ、ウチでは私は給仕と客、主人と客の一人二役をやることがあるわけです。






 ちなみに、黙って食事をするこの「黙食」ですが、我々は社会的な生き物として進化してきました。
 ましてやこの情報化社会、複雑に絡み合った社会での食事です。

 食事を黙って食べることにはメリットがもうありません。


 食材の情報を交換し、味わいを共有し、話し合う。
 そうすることで食事が豊かになる。

 昔のような限られた食材と限られた情報という時代ではありません。
 だからより人間らしく食べることを広げるため、私たちはお喋りをするようになりました。

 私たちは黙食から卒業したのです。


 食べることは、その後ろにスーパーや農家、漁師など無数の人々がいて支えられています。
 私たちはそんな現代を生きていることも食物と一緒に味わっているのです。

 今、黙食なんて言うのはむしろよくない。




 さて、つい歩きながらクチをつけてしまうこと。

 それつまり、毒見のようなことなのかも知れません。
 アタシはそんなことを考えます。

 私が席を立てば、私は食事をする客ではなくなります。
 給仕する側になる。

 その私が試食をし、これで大丈夫か、汁がぬるくはなってないかどうか、残りカスだけをすくってきてはいまいか、私の膳に出す前に無意識に確認しているのではないか。
 客のために味見をしているのではないか、と。


 そうして納得した上で私自身に出す、そう考えると合点がいくのです。

 ひとつの心理的な機制が働いているのではないか、そう思うのです。

 


 ところが酒の場合は違っていることにアタシは気がつきました。
 酒に関してはこの不思議な癖がないのです。


 ほぼ毎晩、アタシは晩酌をしていますが、手酌でやるのが普通です。

 家内の方にはアタシが氷を作って酒を注いでやって出します。
 なにしろ油断が多い人なので悪酔いすることがあるwww。家内は酒癖が悪いw(笑)。

 反対に、家内がアタシのグラスに酒を注いでくれることはほとんどありません。
 アタシもそれを望まない。


 アタシは酒を飲むときは自分で給仕をし、最後まで給仕のままにしています。
 するとあまり酔っ払わない。酒で前後不覚にはなることはほとんどありません。


 振り返れば人に注いでもらったりすると結構酔うのです。

 キャバクラやBar、そんなところでも手酌でいきたいとアタシは申し出る。
 どんな尾根遺産が相手でも丁重にお断りしますw。

 人に注いでもらうと酒に酔っ払うことが多い。酒に呑まれるw。
 そんな人も多いのではないか。




 キッチンに行って氷と酒を注いでも、不思議とアタシはクチをつけないで帰ってくる。
 席にそのまま持ち帰ってくるのです。

 アタシは「客」として酒を飲むことはしない。
 だからずっと給仕をしながら酒を飲んでいるのです。味見の必要はありません。


 そう考えると、アタシの汁に関する行動がやはり客に出す給仕する側としての味見なのだと分かります。
 そしてテーブルにつくとアタシは客の側になってまた食事を始める。
 給仕から客に立場を変えているのです。


 「君子豹変す」www(笑)。 アタシの場合、酒にはそれがないのです。


 すなわち、食事作法の範囲外である「立ったままモノを食う」ことにも意味があるのではないかということです。
 立ったまま食べると客でない側の味わいがあるのです。

 食事に向き合う姿勢が違うことで味覚が異なる
 それはきっと、「もっとこうしたらよい」「違う調理法もある」なんて、講評しながら食べるような味わいなのかも知れません。


 これも食べることの選択肢を広げることになります。
 「手を使ってカレーを食う」ことと同じ。


 自己を拡張することができます。



めいしくおしあがれ






※ なかなか有意義な考察になったと思いますが、どうか(笑)。

 自画自賛www(笑)。


 より具体的に言うなら「試食」の例が挙げられます。

 最近はコロナであまりないかも知れませんが、食品の試食販売というのがあります。
 あれは美味しいと思わせられるトリックがある。
 立って食べるとまた別な味わいがあるのです。


 だから買って帰ってくると「なんか思ったのと違う」なんてことになる。
 旦那さんがあまり喜ばないので奥方は不思議に思う。

 「だって、試食した時はすごく美味しかったのヨ」なーんて(笑)。
 あるあるwww。

 そこで奥方に「君の作り方が悪かったんじゃないの?」 なんて言ってはいけないのですw。




 もっと実用的なことまで話しを広げることもできます。
 よく食品メーカの商品開発会議なんかで試食会をやりますが、あれなんか座って食べるよりも立って試食したほうがいいかも知れないというとことです。

 そうでないと「客」になってしまって「美味しい」とか「味わい」しか出てこなくなる。

 開発会議の試食会で感謝したってしょうがありません(笑)。


 立ったまま食事をすることで味が変わる。
 違う味覚を使えるのではないかということです。


 どうか


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テーマ : 伝えたいこと
ジャンル : 日記

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No title

いろいろな食べ方飲み方ありますよね。
立食という言葉がありますから
立ち食いソバ屋さんもあるし
立ち飲み屋さんもあるし。

それぞれでいいですよね。

私は、ときどきキッチンにイスをもってきて
その場で食べることもあります。
気楽でいいなと思います。



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