肉まんにはソースか酢醤油か
「井村X屋のガーリック肉まん」というのが手に入りました。
飾り気のないパッケージなので業務用だと思います。
コンビニなんかがレジ横の蒸し器にかけて売るものでしょう。
コンビニは「本部」というのがありますから、コンビニのフリをした商店とかw。
フランチャイズに加盟していて契約を解除されたとか、世代交代で止めたなんて店もあるものです。
そんなところが個人的に仕入れて売るものとかw。
自販機というのは「置かせてくれ」と営業が来たり、リース契約と仕入れをセットで設置するのがふつうですが、自販機本体を買い取って個人的にやっているところもあります。
そういう自販機は中の飲料がたいてい他より安かったりします。
ディスカウント・ストアなんかから買ってきて入れるので安い。
色んなマージンを払わなくていい。
90円なんて書いてあったりします。
まあそれだってスーパーで買うことを考えれば高いんだけど。
そういう自販機はペンキが剥げていたり、塗り直されていたり、外見はかなり怪しいですが、オーナーのもがきやあがきが見えて微笑ましいものです。
誰だってそんな銭を産んでくれる機械なんかには魅力を感じてしまうものです。
アタシは先日、個人的に自宅前の空き地を駐車場にしようと告知してる看板を見ました。
不動産屋の仲介もアテにせず、個人的に利用客を集めようとしていた。
もうクルマに乗らなくって空き地を少しでも収入にしようというのでしょう。
敷地の立て札には自宅の電話番号が書いてあった。
いや、すぐその後ろがオーナーです(笑)。
やはりかなり怪しいw。
最近はこういう業務用がよく流れてくるような気がします。
外食が不振なのか、それとも作りすぎの傾向があるのか。
あるいは個人営業と事業との垣根が曖昧になっているからでしょうか。
米国ではウバイは「従業員」という扱いになったそうですが、日本は未だに「個人事業主」だなんて言って知らん顔をしている。
ピンハネや無責任は放置されたままです。
肉まんを個人が売り歩くって、なんだか東アジアのようですがw。
それにしても「井村X屋」ときたらなかなかのメーカーです。
少なくともアタシはそう思ってる。
具もしっかりしているのではないかと期待ができました。
中華街の逸品>>中村屋>井村屋>>>イオン>ヤマザキ
アタシにはそんなイメージがあります。
なかなかニンニクが利いていて美味しいものでした。
そぼろ肉の具もちゃんとしていた。
なんとなく無意識にアタシは中濃ソースをかけて食べ始めた。
それはほとんど無意識なものでした。
家内は酢醤油です。家内は不思議そうにこちらを見た。
中濃ソースで肉まんを食べたのは久しぶりです。
子供の頃の昔を思い出した。
アタシは必ずと言っていいほど中濃ソースで肉まんを食べていたものです。
家内は考えられないと言う。
目玉焼き、あれだって今なら醤油だと言います。
昔はソースをかけていたとか。それが大人になるに従って次第に醤油になっていったとか。
特に最近のこと、それが土井さんの「ハムエッグ丼」の話で醤油が美味しいと聞いて、やってみたら改めて納得した、と。
目玉焼きには醤油だと思ったそうです。
特にご飯の上に乗せた目玉焼きに醤油は格別だとか。
しかしそれって貧乏メシで醤油かけてご飯食べるような、そんな部分もあるのではないか。
アタシは昔はそんなことをしていた記憶があります。
店でアタシはそんなメシを食べていた。
七味でもない、ソースでもない。かけるのは醤油なのです。
コメの味が滲みた。
ソースにしたって、もちろん美味しいものです。
ブレンドした工夫がありそれぞれの製品に特徴がある。
しかし大人になるとソースより醤油になるものではないか。
ソースは濃厚ですしそれ自体が複雑な味です。
ソースで料理の味を統一させてしまう。
すると与えられたものをそのまま食べるようなところがあります。
努力が要らない。考えなくていい。
素材がシンプルで単調なもの、例えばキャベツの千切りなんかだとソースが合う。
揚げ物の横の定位置にキャベツがあると嬉しいものです。
揚げ物にしても、油っぽいという意味ではやや単調なのです。
対して醤油は奥深いモノに合うような、そんな仮説。
それを雑味のない醤油でいただく。味を引き出そうとする感じがいい。
肉まんはそれ自体の味が完成されている。複雑です。
タケノコが入ってたり肉、くわいなんかが入っていたりする。すでに統一感がある。
そこがまだ子供には分からないところでしょうか。
大人だから酢醤油で味わうのがいいと思うのかも知れません。
その昔、自分たちで生地を作ってタネを仕込んで蒸らして手作りしたことがありました。
中華街のような肉まんが出来て家内と喜んだものです。
自分で作ればなおさら酢醤油でしたw。
歳をとると分かりやすいモノより奥深いものを指向するようになります。
これまで歳を重ねてきて色んなところの味を知っている。色んな店を知っている。色んなものを食べてきたのです。
考えながら、振り返りながらいただきたい。
だから凝ったもの、微妙な味、その奥深さに惹かれる。
しかし添えモノのキャベツの千切りに酢醤油ってことはないでしょう。
じゃあ目玉焼きとキャベツの皿だったらどうするのかw。
そしたら玉子にもソースをかけてもいいかも知れない。
いやいや、キャベツにはソース、目玉焼きには醤油と分けることも出来ます。
互いが流れ出て侵食しないよう注意すればできなくもないw。
大人になると素材の味を楽しみたいという指向が強くなると思います。
複雑なものより素材本来に複雑さを見出したいというのもある。
「きぬかつぎ」にちょっと酢醤油や塩なんて、とてもいい。
その素材を引き出すのが料理人の実力だと言われます。
自分で用意して食べるんなら素材の味を引き出して味わいたい、そこに大人の満足があります。
そのうち注文したものを美味しくいただくだけでは飽き足らなくなってくる。
考えたり感じたい。
美味いだけではモノ足りない。
中華街なんかで食べる肉まんはソースなんかくれません。
当然のように酢醤油をつけるようになっています。
みんな大人だ(笑)。
でなきゃ何もつけずに立ったままいただく。
たまには子供の頃の習慣を思い出そうとしてみた。そんなアタシなのでした。
そう考えると、ウチの冷蔵庫の中濃ソースはなかなか減らない。
子供の自分を振り返ると、ソースなんてすぐになくなってしまったものではなかったか。
ドバドバとかけて揚げ物の油を誤魔化したりした。
ソースをかければ洋風だなんて、そんな風に納得できたりもしたものです。
醤油は味をよく知ってないといけません。
味覚が肥えてないといけないかも知れません。
濃すぎてはいけないし使う節度も知らないといけない。大人だw。
ソースをかけ過ぎたってあまり困らない。
醤油をかけ過ぎればしょっぱくなってしまいます。
色んな意味で「大人と子供の違い」ということなのかと思った。
「ヤマザXキ」の看板、冬の夕暮れに灯る看板は温かな雰囲気がありました。
メーカーと契約した街角の小さなパン屋さんが、いつからか肉まんやあんまんを売るようになった。
いや、パン屋なんて言ってもベーカリーではありません。
メーカーから買って売るだけの商売。袋入りパンを売るパン屋さんです。
そこが肉まんを売るようになった。
透明なショーケースはそのまま蒸し器になっていて、頼むと袋に入れてくれる。
その場で食べるのが前提の出され方をしたものです。
持ち帰りたいならわざわざ言わないとダメなものでした。
ああいう時はソースも醤油もありませんでした。
立ったままその場で食べた。
小さなオヤツでした。
きっと「外で食う」というのがソースや醤油の代わりになったのかも知れません。
そのどちらの代わりになったのかはその子の育ち次第だったとか(笑)。
そうした店先にはやがてカレーまん、ピザまんなんかが出現します。
チリまんなんかも出た。ちょっとしたブームに沸いた時があったと思います。
子供たちもざわついたものです(笑)。
それに似たことは今ならツイッターなどのSNS、そしてコンビニでしょうか。
今でも新作の肉まんはコンビニの常連たちを騒がしているのでしょう。
子供が学校帰りに買い食いするなんてトンデモないと言われた頃です。
しかしなぜか肉まんやあんまんを売るパン屋さんはそんな白い目には晒されなかったものです。
そのうちに生きることが忙しくなり、そうして街角で寒さをしのぐことも忘れてしまい、気がついたら肉まんとは随分と疎遠になっていた。
また出逢えたものだからアタシは昔を振り返ってみたかったのかも知れません。
やはり本格的な肉まんなら酢醤油、カラシなんかがいい。
世界中、肉まんに似たものがあちこちにあります。
みな、あの、手でホールドしていただく感じにどこも辿り着いたということでしょうか。
ふと、肉まんにソースをかけて昔を振り返ってみたら、座って食べたことになんだか違和感が湧き上がった。
こんなの立って食べるんじゃなかったか、と。
アタシは肉まんにはソースだった。
だから立って食べることがソースの代わりになったのです。それを思い出した。
暖かくして。
めいしくおしあがれ
