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信教の自由を履き違えている


 「信教の自由」ということ。

 誰が何を信じようが自由ということ。
 「宗教の自由」、これは不可侵であるということになっています。
 そう私は子供の頃から教えられてきた。

 キリシタンであることをもって捕らえられては困るw。
 黙っているのにわざわざ踏み絵をさせられて迫害を受けた、とw。

 鞭打たれても石のつぶてを投げられようとも、信じることを曲げてはいけない。
 それが人間。

 「それでも地球は回っている」


 ま、まあw、いいでしょうw。
 そういうことにしとく(笑)。




 しかし、世間の一部のこのことに対する理解は少し違っているのではないか。
 アタシは疑うのです。

 曲解されているのではないか。都合よく解釈されていると疑うのです。

 統一教会問題のことで思わないでしょうか。
 信教の自由とは何か、と。


 アタシは彼らをことさら擁護しようとは思いません。
 しかし彼らの被害者というのも疑わしいとは思っています。

 弁護士が手付金ゼロでついて、被害者を探して連れて来られている。
 弁護士は報酬が目当て。過払い金訴訟と同じことになると踏んで虎視眈々。

 マスコミのヒステリー気味の叩き方。これに乗じた岸田の話題逸らし。
 結局はアメリカの言うなりというだけです。


 統一教会の何がおかしいか、その本質が言われることはなかった。


 統一教会におかしいところはある。
 税の減免があるのに宗教団体がカネを集めることは言い訳が立たない。
 それでは事業ではないか。
 事業なら事業としての制限を受けるものです。




 一方、信教の自由とは、誰がイワシの頭をあがめようが何だろうが他人は口を出せないということに他なりません。

 「ブルカ」を被っていても、それで何か言われる筋合いは本来はないということ。


 しかしフランスでは「ブルカ」を禁じた。
 イスラムテロが流行し、安全保障、治安に関わると、その一線が踏み越えられた。


 しかも西側はマララを使ってモスリム社会に「女性にも教育を受ける権利を」と訴えさせた。
 そもそもイスラムは女性を支配するための宗教です。
 それによって秩序を守っている。
 マララは西側の甘言に乗って混乱を作り出しただけだった。


 それを問題にしたいのなら互いの価値観を戦わせるべきではないか、しかも西側はそこまで踏み込む気はない。

 西側の価値観が絶対と言うことはありません。西側には酒、ドラッグ、ギャング、人身売買、富の偏在、労働からの搾取があります。
 どちらが安定した秩序ある社会とは必ずしも言えない。

 だから、マララのような宣伝工作に留まる。
 そうなるともはや政治的な干渉に近くなる。



 他人に干渉してはならない。他人にチョッカイを出してはいけない。
 それと同じように他人の宗教に口を差し挟むことは許されない。

 それが信教の自由です。




 一方で、これは宗教だからと人を磔にしたり、火あぶりにしたり、電柱に縛り付けたりw、そんなことは許されない。
 法と秩序がなければなりません。

 しかし、誰がどんな宗教を信じているかどうかだけで指弾されることはない。
 人の頭の中のことなのです。

 他人に干渉しない、それだけのことなはずです。


 だから、人に対してその宗教を押し付けるのも許されない。
 それも他人への干渉になるからです。

 相手の宗教を異端として説得したり転向させようとすることは敵対行為です。間違っています。


 その人が何も信じてないように見えたとしてもやってはいけません。
 何の宗教も信じていないような人だとしても誘うことは許されない。

 別にそれは神様のいない「空き家」というわけではないのですからw。


 他人の心に入り込むな。
 神棚があろうとなかろうと、そこは聖域です。




 人には選択の自由というものがあります。それこそが完全なる不可侵の聖域です。

 他人が干渉することなど余計なこと。
 宗教活動のつもりで人を勧誘してはいけません。

 それは人に対し、宗教を使って圧迫、攻撃していることになります。


 もし、そういうことが許されるというなら、その宗教の性質や教義、活動が第三者に監督される必要があります。
 他人に干渉するなら、それが公正なものなのかどうか、限度やルール、ガイドラインが必要になる。


 そうなると、宗教の自由はなくなります。
 信教は自由ではなくなる。 それでいいのでしょうか。

 信教の自由を守りたいというなら、他人に対しての勧誘や布教行為は許されないと考えるべきです。




 その宗教が素晴らしいと自身で思うなら、ひっそりと自己主張すればいい。

 ホームページ、ブログ、教会、世に知らせる宣伝手段はいくらでもあります。
 ましてや今は情報化社会です。
 あなたの宗教を見つけてくれる人は多い。


 しかし人を囲い込んだり、話しかけたり、集会に呼んだり、入信しなさいなどと説得する行為は許されない。他人にそんな権利はない。

 信教の自由を履き違えているのではないか。

 ひいては信教の自由という原則を破壊することになります。


 創価学会というのはそういうことをやっています。
 集団で入信するよう説得し、人の時間を奪い、他の宗教を邪教として攻撃する。

 彼らはみな他の宗教集団への憎悪に満ちていて、自己満足に陶酔しようとしている。紛れもなくカルト教団ではないか。

 他の宗教でもそうしたことをしているところはあるでしょう。そうしたところが様々な問題を起こしている。


 そういう「特定宗派」は社会一般から宗教などとはとうてい認知もされません。
 カルトです。


 信教の自由はあなたの心の中にあるはずなのです。
 人に対して向けることではない。




 「自由」なんて言って、昔からよく聞かれたお話があります。

 家族連れで賑わう海岸ビーチ、砂浜にテーブルを出してマージャンをしている連中がいる。
 異様だ、なんでわざわざこんなところで。ウザい。

 おい、オマエらはなんでこんなところでマージャンなんかしてやがるんだ、
 そんなことを言われてしまう。

 すると、

「うるせえ俺たちの自由だ。マージャンする自由を侵害するな!」

 なんて言ってくる。
 当然、これに言い返す。

「俺たちだって自由だ、お前らにマージャンさせない自由がある!」

 なんて古い話。


 ・・・いや、これに説明なんかはしなくてもいいと思いますけどwww。






 創価学会みたいな連中はその勧誘活動について言われれば、必ず信教の自由が保障されているとか主張するのでしょうが、それはあくまで個人の心の中のお話です。

 誤解しています。 自由の意味を履き違えている。


 宗教というのは人にとってはチカラなのでしょう? パワーになる?

 ならば人にその武器を向ける自由など誰にもありません。
 銃を向ければ撃たれる。ナイフを向ければ殴られます。


 創価学会は他の宗教を邪教とののしったり、入信をしつこく勧誘してくるのは有名な話です。

 それどころか、公明党という政治団体を組織して彼らは国家運営に影響を与えているのです。
 それによって彼らは自己実現したつもりになっている。それだけのために政策を歪める。
 これは信教の自由を越えたことです。全く許されない。


 もはや統一教会のことで騒ぐもんだからみんなが創価学会のことを連想しているでしょう。
 公明党を含め、統一教会と同じような団体だと考える人は多くなっています。
 いいことですw。

 間違っても巻き込まれないようにすることです。
 選挙になればまた公明党や創価学会は何かを働きかけようとするはずです。
 彼らは間違っている。


 信じたいものがあるなら人を巻き込むな。




 統一教会の話をするなら、もっと本質的なことを議論すべきです。
 人に影響を与えようとしたかどうか。


 テメエが自分だけ幸福になろうとしてお布施をしておいて、騙されたとなぜか関係もない親族や家族が被害者と言い立てる。
 お前らのカネじゃない。
 親が借金作ろうが事業に失敗しようが関係ない。

 おかしくないか。
 まるでオレオレ詐欺ではないか。


 しかし、一方の統一教会は布教活動をして利益を得たのです。
 自発的に、自然に信者となった人はほとんどいません。

 彼らは布教していたのです。
 そこにこそ批判されるべき問題点がある。




 人に影響を与えようとすればコストが伴います。
 ひとつにはコマーシャルというのがそうです。

 しかしコマーシャルには制限がありガイドラインもあります。監視監督される。どんなコマーシャルを流してもいいということはありません。


 しかし宗教は違います。

 どんなに妙チキリンなカッコウをしていても、どんな変なものをあがめているような宗教でも、その人々が信じているのですから誰も口を差し挟む権利などない。
 人の心に土足で上がりこむことは許されない。

 信教の自由があるのです。

 だから、そこにガイドラインはありません。
 宗教がその中身を検閲されることはないのです。


 すると、宗教を人に広めようとするコストはゼロということになってしまいます。
 コストがゼロであれば逸脱があります。
 だから布教は許されない。




 人に影響を与えようとするなら、コストを必ず負担しなければいけない。
 それが責任につながる。

 すまわち、宗教を広めようとして他人に干渉することは許されないということ。
 これが本質です。


 だから、本来ならロザリオをしているのだっておかしな話なのです。
 他人に宗教具を見えるようにしてアピールしているとしたらおかしい。
 ご自分の心にとっては関係ないことならおかしいとも言えます。

 Tシャツに「ジーザス」なんて書いてあるのだってホントはあまり好ましくない(笑)。


 しかしそうしてどんどん制限を強めてしまうと社会生活ができません。
 こうしてブログでひとり語りをすることも、お話することさえ何らかの干渉ということになり、アピールになってしまいます。
 宗教によってひとり幸福を追求し、その背中を見せることもアピールとされ、すなわち他者への干渉と曲解されかねません。

 窮屈になる。
 そこは許容できるところは容認しようと、我々はせいぜいやってきたに過ぎません。

 



 イレズミをしていても人の目に触れないのならいいのです。せいぜいおやんなさいw。
 カッコいいと思っている、幸福の追求ならそれは宗教と同じです。
 自分ひとりで楽しめばいい。


 しかし公衆浴場や公共の場でそんなものを晒してはいけません。
 他人が汚らしいものを無理やりに見せられてしまうことになります。

 暴力団関係者であることを仄めかしたこととされ、恐喝罪に問われることもあります。

 これだって同じことです。
 無闇に他人にアピールすることは許されないのが原則と知るべきなのです。


 プラカードを掲げて政治的な主張をすることは制限があることだから許されています。
 だから実は完全に自由という訳ではありません。許可が要る。

 場合によっては解散を命じられることもあります。これを不当弾圧だのといい、政治活動の自由だのと勘違いしているのはいます。
 やはり履き違えているのはいる。
 わざと誤解しているのがいる。


 しかし宗教の場合は信教の自由があります。
 これを侵害されたり宗教の価値について判定されたくないのであれば布教してはいけません。

 それが原則であることを知るべきです。
 

 


 いや、ひょっとして、布教活動をするのはあなたが不安だからではないか。それも言えることです。
 自分の宗教が邪悪で黒い暗黒宗教だと内心は疑っているもんだから、人に語りかけようとしてしまうのではないか。
 自分の不安を人に押し付けているのではないか。

 自分だけが悪魔の手先になるよりはと、わざわざ他人を巻き込もうとしているのではないか。


 そうでないなら、自分だけがまず幸福になろうとしなければならないのです。

 その背中を人に見せれていればいいだけです。
 人は幸福そうなあなたの姿を見てあなたの宗教に興味を持つかもしれません。そしたら迎えてあげればいいだけのことです。


 人に干渉すること、布教しようとすること、「宗教の自由」というものを借りて他人に干渉し、語りかけること自体があなたの宗教のいかがわしさを疑いせしめる。

 集団で他人に対して威圧することはあなたの宗教のいかがわしさの証明でしかありません。






 いかがわしい宗教、もしそれが邪教なら弾圧していいのでしょうか。
 いいのです。
 彼らが他人に干渉している限り、それが社会の安全にとって脅威であるなら。

 だから今しも統一教会は叩かれているのです。

 人に影響を与えようとしてきたのです。
 彼らにはその責任を取らせないといけません。
 そういうことになります。

 こういうことに乗じて自称被害者が群がるのは無理もないですが、それはまた別の話w。


 しかし自称被害者がいるから統一教会が叩かれるんじゃないのです。
 おかしな勧誘が度を越したと見られたからです。
 被害者が騙されたから叩かれるんじゃない。
 他人に影響を与え、宗教と言うチカラで現状を変更したからです。

 自分から入っていったのではなく、何らかの働きかけがあったからです。


 信教の自由を間違うな。


 信教の自由は他人に対する自由じゃない。
 あなたのオツムが狂ってはいないか、いちいち詮索されないための権利です。


おうぞどだいじに




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