棕櫚の木の思い出を振り返る
最近は少なくなりましたが今でも庭木に残っているお家を見かけます。まあ、新築した家でわざわざ棕櫚を植えようという人は最近はいないかも知れません。
沖縄などの温かい土地だと別なんでしょうか。
椰子の木みたいな、あの派手な南国調の木のことです。
家があって庭が見え、そこに棕櫚がヒョロりと伸びている姿は、こちらでは冷静に考えれば異様なものですww。
都市部で、まるで自分だけ南国の様子で、知らん顔をして上に伸びている。
しかも上の方だけに葉がついている。
そりゃあキレイで築年数も浅く外壁もピカピカの家ならまだいいかも知れませんが、古い家と棕櫚のコントラストというのはちょっと異様な感じがします。
それはまさに古臭い昭和の雰囲気なのです。
昭和の流行りというのはあります。
飼い犬だったら「コリー」とか「スピッツ」とかwww。
昭和の時代には庭にやたらと棕櫚の木が植えられていたものです。
棕櫚が庭造りによく取り入れられた。
なんでそんなものが植えられたのか、南国気分に浸りたかったとか、見た目が派手で流行ったとか、色々あるでしょうが、アタシは一軒家のデザイン画によく描かれたのが一番の原因じゃないかと思うのです。
建築事務所なんかが顧客に見せる完成予想図のことす。
描いてる人はきっと何気なくて、棕櫚を適当にパパッと描いた。
簡単だし昔は手描きです。
きっと家の完成図と併せて、庭をイメージできるよう描いて渡してくれたんでしょうが、見た人は庭はそういうものかと思ってしまったのではないか。
昔は家を建てる時は「子供が生まれるだろう」とか考えた。今の時代なら「死んだらアパートの方が収益物件だし相続しやすいだろう」なんて考えますw。
でも、庭木がどう伸びるのかまではあまり想定してない。
建売住宅がまだ普及する前は家作りなんてものは地元の工務店に頼んでいたものです。
いい言い方をすれば「注文建築」ですw。
「完成図」を絵にしてちゃんと建て主に見せたものです。
「こんな感じでどうでしょう」なーんて。
そのデザイン画を見て、建て主はそのうちクルマも買うだろうから車庫はどうしようか、外溝や門扉、生垣はどうだとか、そんなのを考えて注文したわけです。
美大には今でも「建築科」なんてのがあったりします。
多少は絵心がないと建築業も成り立たなかった。
完成図が描けないんだからw。
今ならCADでしょうが昔は「ドラフター」なんてのがありましたw。
で、その絵は施主がもらうわけですが、完成後の引渡しされた家には庭木なんてありません。
その画がイメージとして刷り込まれてしまい、つい棕櫚の木を植えてしまったのではないか。
それが全国的に都市部で流行した。
そして、まさかあんなに高くなるとはみんな思ってなかった、とか。
あくまでアタシの推測ですが(笑)、どうか。
アタシがこの家に越してきた時もそんな棕櫚の木がひとつ庭にありました。
前の持ち主が庭木を植えていたのでした。 我が家は建築家が建てた家だったらしいww。
その庭木のひとつが棕櫚。
玄関横に植えられていたものです。
引っ越してくると、その棕櫚の木は根元に割れた植木鉢みたいなのが刺さっていて、植木鉢に植えられてたものをそのまま庭に埋めたように見えた。
いい加減、暮らしも落ち着いてきた頃のことです。アタシはこの棕櫚の植木鉢が気になった。
庭木なのにカッコも悪いし窮屈そうだと気になった。
アタシは掘り出してその植木鉢を取ってやったものです。
そしたら! アアタ!www(笑)
それがとんでもない大間違いでした。
「ジャックと豆の木」状態になってしまったのです(笑)。
棕櫚がみるみるうちに大きくなっていったのでした。
今までじっとしていたのが寝た子を起こしたようにスクスクと育ち始めた。
前の持ち主は棕櫚があまり高く伸びすぎないよう、足枷のようにして植木鉢を根っ子のところに刺していたというわけです。
アタシはそんなの知らなかった。まるで気付かなかった。
それから十年、長いあいだ、人間の背丈もないほどだったものが勢いづいて、気が付いた時はもう棕櫚は二階の高さを越え、もはや屋上よりも高くなりそうな勢いでした。
これは困った。
恐怖ですw。
強い風が吹くとその棕櫚がゆらゆらと揺れる。
ふらりふらりと家にぶつかるような感じ。
ヘタをしたら家や塀が破壊されるかのよう。
そしてデカイ。太い。デカくなったwww(笑)。
幹にはタネをつけ不気味な花が咲きます。お世辞にも風雅とはいいがたいw。
とんだお荷物になっていたのです。
で、これをとうとう切ろうとアタシは決意した。
可哀想だがしょうがありません。
しかし簡単ではなさそうでした。
チェーンソーを借りてこようと思って調べてみたら、棕櫚の幹には毛がボウボウに映えているのでチェーンを巻き込んで切るのにとんでもなく苦労した、そんなブログ記事を見つけました。
困りました。
どうしたものかと考えていたら、家内の知り合いにシルバーに登録して庭木の剪定なんかをやっている人がいるというので頼むことにした。
たった一本の棕櫚を切るのをお願いした。
当日、来たその爺さんは見たことのある人だった。
ああ、近所のラーメンさんだ。
「そうよ。XXさん。」家内が紹介してくれた。
人のよさそうな軽い感じの爺さんでした。
作業慣れしているだろうし一本だからシルバーに頼もうと思ったのですが、まさか近所でラーメン屋をやってた人だったとは。
アタシは完全武装で出迎えていました。
クライミング・ロープを持ち出し、棕櫚がヘタに倒れないよう準備までしてた。
「そんなもの用意したの?」
「はあ、念のため用心と言うことで。」
「念のためねえww。」
ちょっと笑われた。
爺さんは身軽な格好。 ごく普通のノコギリを一本持ってきただけでした。
大丈夫かなと思った。その人も棕櫚を切ったことはないそうでアタシも手伝います。
やってみると、ノコギリだと意外と棕櫚を切るのは簡単なものでした。
拍子抜けするほど簡単だった。
三メートル近い巨大な棕櫚を倒したのです。
アタシがロープで引っぱって、塀が壊れたりしないように倒れる方向を誘導します。
ドスン。
大きな、人間が落ちたような音がしたものですw。
「天国から落ちた男」w。
切った棕櫚をちょうどよい大きさに切って作業は終了。わずか十分。
ありがとうございました、お礼ですが、なんて言ってアタシは二千円を渡します。
これはあらかじめ言っておいた金額。
そしたら、「いいよ、いいよ、すぐ終わっちゃったし、それで美味いものでも食って。」
なんて言われたものです。
「でも、前もってお約束しておいたものですし。」
すると爺さん、じゃあって、そこから五百円だけ取って帰っていった。
この棕櫚は幸いにしてゴミで回収してくれた。
当時はまだゴミを集める収集場所があって、そこに投げとけばよかった。
すっかり毎日の不安から開放されたものです。
まだ切った棕櫚の切り株は庭に残っています。
ヒコ生えが出てくる気配もありません。
植木鉢なんかの、まるで台のようになっています。
その名残りの切り株を時々見ると、あのフラフラ揺れていた棕櫚が我が屋を脅かしていたあの頃を懐かしく思い出します。
風の強い日は怖いぐらいだった。
街を歩いていて庭の棕櫚を見かけると、「あんまり伸び放題しなさんな、でないと切られちゃうぞ。」なーんて胸の中で忠告してしまうアタシなのです。
おそまつ
