内蓋、封シールと保護フィルムのお話
昨日のお話は「封シール」とでも言ったらよかったかも知れません。
人の習性というか習慣というか、何かの心理による非合理的な行動があります。
「開封したら冷蔵庫へ」と書いてあるんだから、封シールを取っちゃったらその時点でもう保護されてないわけです。
わずかにくっついた封のシールなんて何の役にも立っていません。
カップラーメンを食うのに蓋なんて取り去って食えばいいのに、なぜかブランとさせたまま食べている。
それを捨て去ってしまわない心理というもの。
アタシの自己分析が当てはまった方もいるかも知れません。
しかしこの手のことというのは見回すと結構あるのです(笑)。
「封シール」というより、「保護フィルム」としたら思い当たるところは多いのではないか。
例えば新品の製品、湯沸かし器のリモコンはどうでしょう。
たいてい風呂の横、ウチはキッチンのところにあります。
きっと風呂の入り口横にあるのではないでしょうか。
それですw。
あれはホントにいつも思うのですが、二階とか玄関とか、もっと便利なところに設置したらいいのにと思う。
せっかくのリモコンなんだから何も風呂の真横である必要はないんだけど。
あれは有線だから引き回しが大変というのであれば無線にしたらいい。
暗号化した無線であれば誤動作もない。
もしハッキングが心配なら保護ロジックを作っておけばいい。
不審な動作には自動停止するようにしておけばいい。
そして無線で飛ばせばいいのではないか、どうか。
話が横道に逸れました(笑)。
その風呂の湯沸かし器のリモコンがありますが、そこには保護フィルムが貼られたままではないか。どうでしょうか。
え? ウチはバランス釜だ? そんなお風呂だってガチガチと回して火花をスパークさせるハンドルがあるでしょう。
そのハンドルの真ん中の銀色のところ。そこに保護フィルムが貼られていないでしょうかw。
テレビのリモコンにも保護フィルムが貼られたままではないか、どうかw。
洗濯機の操作盤には買ったときから保護フィルムが貼られていて、なぜか大事そうにそのフィルムを剥がさないままでいるのではないか。
夕餉の団欒に大活躍のホットプレート、焼肉とかスキ焼きとかやるでしょう。
その温度調節の丸いダイヤル、そこにはまだ買った時の保護フィルムが貼ってあるのではないか、どうか。
あれは取れるのです。
出荷時にキズがつかないように保護しているものです。
しかし、もう取り去ろうとしたら今更なのです。
経年劣化していますからいけません(笑)。
フィルムを剥がそうとしたらそのフィルムの跡が残ってしまうことがありますw。
買ったばかりの時にありゃあ剥がしておくものなんですw(笑)。
ステンレスのシンク、そういうピカピカのステンレスの裏面なんかにはブルーの保護フィルムなんて貼ってあったりします。
青色のビニールが貼ってある。
それは剥がして使うものですが、なぜかもったいなくて貼ったままにしてしまう。
汚れが目立ってきたら剥がそう、そう思って月日は流れウン十年!w
ウォシュXXレットも壊れます。冬場なんかは不思議とよく壊れるのでご用心です。
そうして、新しいウォシュXXレットを買って業者の人に取り付けに来てもらうのです。
その作業を横で見ていると、取り付け業者の方が前面にかかっているウォシュXXレットの保護フィルムを思い切りよく引っぺがした。
ああっ!!
つい声を出してしまうアナタではなかったでしょうかw。
ご、ごほん(笑)。 げほん・・・ゴホン。
き、キミマロみたいになっちゃった(笑)。あの声で脳内再生可能ですw。
なぜあんなシールやフィルムを後生大事にしないといけないのでしょうか。
そのアタシたちの心理。
理屈ではいらないと分かっているものをなぜ無碍に捨て去ったりしないのか。
欲しくて欲しくてようやく買ったブランドバックよりも、それを入れてくれた紙袋がなぜか大事に思えてしまうような心理。
歳暮でもらったものの包装紙を大事に取っておく心理です。
エコじゃない。そんなのはエコとは違います。
もったいない。それもなんだか違う話だ。
意味もなくとっておいているのです。
そこにはなにか名残惜しいものがあるのです。
それは足跡。
その製品が手元に届くまでの経過、その証拠のひとつが保護フィルムなのです。
どこで買ったのか、買った後、どれだけワクワクしながらあの時、家へ帰ってきたのか、その思い出の紙袋。
贈ってくれた人の姿が見える包装紙です。
今年はご無沙汰だったねと贈ってくれたゼリー寄せのセット。ああ懐かしい人の面影w。
ハムの人w。
メーカーの人が、メーカの技術者が、製造ラインの人たちが、お買いになったアナタのためにやってくれたものです。
製品に最初からキズがついてたらガツカリするんじゃないか、そう慮ってくれて貼ってくれた保護シールなのです。
それは無碍に剥がしてしまうことに抵抗があるのです。
単なる製品じゃないのです。
これからの生活、家族みんなの暮らしを見守ってくれるモノだと思うと、いきなり保護シールを剥がしたりして自分のものにしてしまうのは気が引けるのです。
そんな優しい日本人。麗しい心がそこにはあるのです。
ブルガリXアヨーグルトを買ったら蓋があります。
そのプラの蓋を取るとシールがされている。それを取り去ってしまえば食べるしかありません。
そのシールは3割ぐらいのところまで開けたらそのまま箱につけておく。
少し碗に移してヨーグルトを食べ、その箱を冷蔵庫にしまうのです。
シールを真っ直ぐに直して蓋をする。
するとどのくらい食べてしまったか分からないようになります。
そうして「冷蔵庫にヨーグルトがあるわよ」なんてご家族に言ってあげる。
「ちょっとしかないじゃない。」
いいのです。他の家族の誰かが食べたんだ。
また買えばいいじゃないか。
「今度買ってきてあげるわよ。」
そんな会話が出来る。
蓋が透明の「小倉あん」のパックから封シールを取り外していたら丸見えです。
「ああ、アンコか。」、冷蔵庫を開けただけでどのくらい残っているか分かるんじゃそんなことになる。
暴徒が略奪しようと侵入したんじゃないんだから、冷蔵庫を開けて見回して食えるものを一瞥するなんて始末におけません。
どれも食材が冷蔵庫の中で静かに次の出番を待っている。
その風情が暮らしなのです。
ウチではマヨネーズもケチャップもそうです。
どちらも買ったら袋から出して捨て去って裸にしたりはしない。
裸では使いません。
必ずマヨネーズの入っていたビニールの袋に入ったままボトルを使ってゆきます。
カサカサいいながら冷蔵庫に入っているのを出してきて、袋を痛めないように汚さないようにして使っています。
裸にヒン剥いたりしないのです。
最初に知り合ったときから家内はそうでした。アタシは叱られたものです。
アタシは駄菓子の袋を歯で噛み切るような子供でしたから、家内に教えられたものです。
躾けられたw。
どうしてそうなのかは家内は説明できなかったけどw。
しかし矛盾もある。
半額以下の処分品のドレッシングとかダシ醤油なんかを入手して、半額シールの上にそのまた半額、そうして最後には百円なんてシールが重ねられていることがあります。
あれを家内はなぜか取っちゃうの。
その心理はまた次の機会にでも究明したいものですwww。
その昔アタシに、興味深い習慣を見せてくれた人がいたことを振り返ります。
ちょっとオッサンの入った年上の上司と若いアタシは、よくタバコ休憩を一緒にしたものでした。
細かいことに愚痴りがちで、たいてい悲観してるような人だったけど、悪い感じの人ではなかった。
女子には人当たりがよかった。
そのオッサンはソフトタイプのタバコのパッケージを吸っていて、いつも奇妙な開け方をしていた。
タバコったって、キャラメルの箱なんかと同じです。
線が入った開封用のヒモがビニールフィルムに織り込んであって「ここから」なんて書いてあるアレです。
そこを引っ張ってスルっと箱の外周を回すとパッケージの上の部分のフィルムが取れる。
タバコやキャラメルを出し入れするクチだけ開けばいいわけです。
フィルムを全部取り去って丸裸にしてしまう人もそうはいないでしょう。
ところが、どういう訳か、そのオッサンは必ずカッターなんかを用意してその開封用のヒモを使わずにパッケージを開けたものです。
慎重にちょうど四角く、くり貫くようにしてタバコのフィルムパッケージを開けていた。
そうしてわざわざ開封用のヒモを残した。
封をそうして切った彼は得意げで、プカリンをくゆらせる彼はとても純朴に見えたものです。
めいしくおしあがれ
