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その昔、「包丁人味平」を拾い読みしてた


 常々、料理人の話をすると頭のどこかで振り返っていた漫画のこと。

 「包丁人味平」って漫画をご存知でしょうか。

 アタシが子供の頃、食い入るように読んでいたマンガです。
 電車の網棚を漁り、読み捨てられたマンガ本を拾ってアタシは読んだものでした。
 文字通り「拾い読み」でした(笑)。

 そんなマンガ週刊誌にあった連載漫画でした。

 料理人が様々な課題にぶつかり成長し、料理勝負に挑んだりして対決の中で料理をすることの価値を見出そうとする。
 そこで色んな方法的な発見をし教訓を得てゆく。

 今から振り返ればとても若々しいストーリーでした。
 
 悪く言えば大袈裟で、良く言えばドラマチックで、風呂敷が妙に広がっている(笑)。
 そこは時代の反映があったような気がします。
 高度成長の頃でした。



 聞けばその後に漫画で料理や料理人が様々な形で描かれるようになって、そのハシリがこの漫画だったという話。
 なるほどそうだったかなと振り返る。

 社会の豊かさを人々が噛み締めるようになって、料理のことが話題になるようになり、そんなジャンルが引き継がれたのでしょうか。
 昔は外で食べる料理なんてただ「美味かった」ぐらいの話でした。みんな忙しかった。いつも追われていた。

 しかしこういう先達がいなかったらどうか。
 例えばアメコミとか海外のマンガの貧弱さったらありません。


 そしたら「あしたのジョー」もボクシング漫画のハシリだったかも知れません。
 「巨人の星」は野球漫画。


 時代が時代だけに新境地を開拓することができたようにも思えます。
 今なら何があるだろうか、もはや新しいことなんてないのかも知れない、なんて思う人も多いでしょう。


 しかし文章にしても模型にしても写真にしても、ハンドクラフトにしても、何にでも新しいことはあるのではないか。
 私たちという唯一無二の存在。
 このどこかに新境地が隠れている。
 いつでも我々の進む先には無限大の広がりがあります。


 「包丁人味平」は、原作の「牛次郎」という名前がよく記憶に残っています。



 また、この漫画には料理人のロマンのようなものが込められていたとアタシは思います。
 誰しも料理人なら修行をするというような時代でした。
 だから自分で発見したり気付くということはあまりなかった。

 教えられ、見習うということが大事とされた時代でした。
 今は逆にそれが足りないようにも感じます。習うことがちゃんとできていれば「気付き」というのは輝くものになります。

 自分で新しいことに気付く。
 そこはいつも願わずにはおれない。
 それは人間の創意工夫、そんなことにつながるとアタシは思ったものです。

 「包丁人味平」でクリームコロッケが描かれたことなんてあったか、そこまでアタシは詳しくは知りませんがw。


 今更ですがずっと後になって「料理の鉄人」なんてテレビ番組を見た時はこの漫画からアイディアを拝借したものだとすぐ分かった。
 あの世代が考えた番組だと思ったものです。

 あの漫画を読んでいた人たちがやっと働き盛りになってポジションを得て、そうして番組を企画したのだと思った。
 バブルの頃、新しいものよりも温故知新だったんでしょうかw。

 まあ、あのテレビ番組の出演者たちがこの漫画を踏まえていたかは分かりませんが。


 故岸朝子さんには加賀料理の店でお見かけして家内とご挨拶したことがありますw。
 他人のような気がしなかったものですw。




 「包丁人味平」は週刊コミック誌の連載でしたが、アタシにはそのストーリーよりも断片的に盛り込まれるエピソードがなにより気に入った部分でした。
 連載ストーリー自体はだんだんと大言壮語的になってゆき、そのうち飽きてしまった。

 パラパラと散りばめられた小話がよかったのです。


 アイスクリームの天婦羅というアイディアが画期的なものとして描かれたものです。アタシはそれをずっと漫画の世界の架空の料理だと思ってたものです。


 魚を捌いて骨だけになった魚を、鮮度がいいからと水槽に戻してやる。
 そうすると、骨だけの魚が少し泳ぎ回って飛び跳ねる。驚きの割烹ショー。
 実は水槽には酒が入っていて傷口に沁みて嫌でも魚は泳ぐようになってる、と古老が見破る。
 魚の鮮度なんかじゃない、トリックだ、そんな謎解きw。


 カレーを作る達人は鼻を大事にするため鼻キャップをしています。要はカレーは香りなんだという趣旨。
 カレーは辛さじゃない、と。
 そして、あまりにも辛いカレーを食った後にラッキョウを食うと魔法のように辛さが吹き飛ぶという発見。だからカレーに欠かせないのだ、と。


 あるいは肉の塊を捌くのには吊るしてやったほうがいい、何も包丁を使わずとも糸で肉はバラバラにできる、とか。
 リブの面倒なところの肉を糸でこそいで捌いてしまう。リブ肉って美味しい。




 どれもホホウと思うような話。そこがよかった。

 あの漫画がいくら面白いと思っても料理を作りたいとはアタシは思わなかった。
 料理人の現場の常識を覆すような描写が面白かったのです。
 それはある種の謎解きでもありました。

 描かれたことはみな料理にまつわるそんなエピソードですが、理詰めで種明かしがされたところがよかった。本当のことか空想かはともかくとして(笑)。
 常識を疑うこと。
 アタシはそれを楽しく読んでいた気がしています。


 今は料理を自分で作るようになって、楽しく思うからあの漫画を思い出すことはありますが、別にそれは建築の現場でもいいし、医療の現場でもよかった。


 現実の世界で人々が壁や限界を破ろうともがく、そこに光明が見えてハッとするところ、それがアタシには印象に残っているのです。
 新境地を拓く瞬間。エウレカw。




 「料理」ということを考えれば、アタシは「自分で作って食べる」というのがやはり料理の本質という気がする。

 人に出して食べてもらう料理人に対し、自分で作って自分に出すというところ。
 主体と客体が同一というところです。


 「静物画」という絵画のジャンルでもそんな感じの心があるとアタシは思います。
 自分の視線にとって動かないとされる「静物」をどうキャンバスに写し取るか。

 「静物」と言っても実はリンゴは腐りもするし花は枯れもする。だから「動かないもの」なんてのではない。
 こちらが動けば違って見える。
 角度を変えれば違った構図になる。
 なぜそこから描いてみようと思ったのか。

 花瓶の横に果物を置いてみる自分。そしてそれをあたかも所与のものとして写し取る自分がいる。対象物といいながらそこには自分の働きがある。


 つまり自分はどういう料理を作り、どんな自分に出してやるのか、そんな自問自答です。




 ここでお話していることもそう。
 アタシ自身が何度も古い記事を読み返している。

 アタシなりの経験をお話する、そんな余裕はありません(笑)。
 考えて考えて、悩んで夢想して、いつももがいている。
 もっと前に進みたい。
 いつも新境地を探している。

 古い記事もお読みいただくと嬉しい。
 ご意見ご批判をお待ちしておりますw。



 大相撲九州場所が始まりました。
 今年最後の大相撲になります。

 正代直也の「直」は今場所は何になるのか(笑)。
 「開き『直る」という字を見たような気がしましたがw。



おそまつ




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