政治は選択の自由を侵害してはならない
昨日のマイナンバーのお話、言葉足らずであったら困るとちょっと思った。
急いでお話したところもあった。
本日のタイトルは最近はすっかり疎かになっていることだと思います。
世の中がおかしい。
世界中でコロナウィルスをキッカケにして集団ヒステリーが起きました。
とにかく感染拡大の阻止だと喚き散らした。
そうしてワク政策に走った。緊急事態だとして色んなことを無視した。
その影響なのか、最近はすっかり注意が払われなくなったことです。
それは「政治はできるだけ選択の自由を侵害してはならない」ということです。
今、この原則が忘れられようとしています。
このところのマスメディアや言論はどうしてこんなことを看過しているのでしょうか。
政治家は何を考えているのか。
怠慢で無責任でしかありません。
社会制度は法によって裏付けられています。
つまり制度に我々は縛られています。
この法を作るのは国会であり議員です。
様々な政策にしても選挙で選ばれた議員らによって構成された内閣が行います。
それは国民の選択の結果です。
しかし、だからと言って、それはどんな風にでも制度が運用できるということではありません。
そこには原則があります。
それは選択の自由がなければならないということ。
我が国は自由主義社会なのです。これが堅持されなくてはなりません。
民主主義や代議員制というのにも選択の自由があります。
投票に行かないからと言って誰も不利な扱いを受けることはありません。
民主主義では落選議員に投票していたからと言ってその選択が無視されるということを意味しません。
「少数意見の尊重」というのはそういう意味です。
多数派につけばなんでも思い通りにできるという意味ではありません。
そしてやるもやらないも自己責任。それが原則です。
国民から選択の自由を奪うことは民主主義を否定することです。
それは選挙制度の否定でもあります。
この原則を軽んじるということは選挙結果すら軽く考えているということになる。
西側の国際社会はウクライナ四州の住民投票を無視しました。
ウクライナ四州は住民投票の監視すら西側に要請していますが、結果が気に入らないからと無視した。
それはクリミアでもそうで西側は要請された投票の監視を拒絶した。
そのくせ「不正な住民投票だった」とやった。
呆れたいいがかりでした。
そうしてマスコミを使い、「銃を突きつけられて投票させられた」などと捏造をした。
今回も同じことをやっています。
ウクライナ戦争については西側では個人の選択の自由は奪われています。
西側では全体主義的な風潮がまかり通り、マスコミも大本営発表をそのまま垂れ流すだけ。市民は監視され抗議活動すらままならないようです。
とても民主主義国とは言えません。
まあ、野党を禁じ、テレビ局をひとつにし、ロシア語を禁じ、ロシア語の出版物、音楽を禁じたウクライナです。それを支援しているというのですから当然と言えば当然でしょうか。
例えば、少子化に悩む我が国が子作りをしてもらおうと子供手当てや育児補助などの制度を創設して支援しようということがあります。
制度から子供を作りやすい社会にしよう、後押しをしようという政策です。
しかし子供を作らないという選択肢はあります。
それぞれの人生の問題です。
いくら夫婦が子供を作らない風潮が問題だからと言って、独身税や不妊税などをかけて不利益になるようにすることは許されない。
間違いです。
そんなことができるのは独裁であり、奴隷に対する扱いなのです。
「国民によかれと思って」なんて言うのは傲慢の極みでしかないのです。
個人が何も考えることができず、選択することもできず、ただ言われたとおりに生きるのであれば死んだも同じです。
生きる意味を自らに問いかけながら生きるのが我々人間というものです。
これは西側世界お得意の言い方をするなら「人類共通の普遍的価値」としてもいい。
何が間違っていて何が良い結果になるか、それは結局は誰にも保障はできない。
極論すれば誰も他人の人生について責任など取れないからです。
「もしも」、「たら」、「レバ」を保障することは決しできない。
すなわち、選択の自由を奪うということはこの個人の権利を侵害することなのです。
民主主義の根幹とは何か。
結局、選択ということに尽きるのかも知れません。
代議制を通じて我々は選択をしています。
その自由を侵害してはいけません。
政治家はこれを忘れているのが多い。
選挙で選ばれていながら、それが国民の選択の結果だったということを忘れている。
こうしよう、ああしようという政策はできる限り国民の自由を侵害しないような配慮がされていなければなりません。
マイナンバーにどれだけの闇があるのかは知りませんが、持たせるために不利な扱いを強いるような制度であってはならないのです。
だいたい、その結果、マイナンバーから個人情報が漏れてしまったりして責任が取れるでしょうか。これまでさんざん漏洩がありました。
市民にマイナンバーを強制した結果に政治家は責任が取れるのでしょうか。
できない。
政治家が政策に走ろうとする時、そこには嘘があります。
政治家は専門家ではないですから政策を自ら発案するようなことは期待されていません。やっていることは思いつきに過ぎません。
政治家は政策意図を啓蒙し、率先垂範して政策への同意を国民から取り付けるのが役目です。
秩序維持のために法を守るということがあります。
自動車を運転するのであれば交通法規を守らねばなりません。
それが受け容れられないのであれば自動車を運転しなければいい。
サーキットを借りてレーシングカーをブッ飛ばせばいいわけですw。
よく「夫婦別姓」というのが議論されていますが、それにしても同じです。
夫婦別姓制度がなかろうと、今でも入籍していなくとも不利な扱いを受けることはありません。
事実婚ではちゃんと相続もできるし、婚姻関係と同じように配偶者の権利があります。
「夫婦別姓問題」というのは法的な枠組みの中で、夫婦関係の定義の中で別姓であることを認めてもらいたいというのがその趣旨です。
LGBTにしても選択の結果です。個人の生理的な選択の結果です。
今のLGBT運動のようなものは、これを不利を受けている立場だとしているところに嘘があります。
誰も他人のベッドでの性行為について知ることはないのに。
選択の自由を逆手にとった差別的な運動だといわざるを得ない。
我々はLGBTのグループなのだとわざわざ主張させ、性の選択は自由なのだとわざわざ不自由になるような状況を作り出している。
選挙の原則が秘密投票であるのと同じように選択を人に示す必要はないからです。
なぜわざわざ自分はLGBTだと名乗らせる必要があるのか。
政治は選択の自由が侵害されることについてもっと敏感であるべきです。
政策はこれについて慎重にならなければなりません。
このところすっかりいい加減なことになっている。政治規範が緩みきっています。
小泉プラ二郎が言い立てた「レジ袋禁止」あたりもおかしな話です。
独善的でいい加減、無責任で場当たり的なものでした。
プラ二郎本人は「レジ袋禁止は象徴的な啓蒙の一環として提唱した」なんて言い訳していましたが、実に苦しい言い訳でしたw。
ご本人はまるで独裁者のようにレジ袋禁止を宣言していたのですから。
マイナンバーカードを持たせたいがために不利な扱いになるような制度にしようとしている動きがあります。その結果に責任など持てるはずもないのに。
やっていることはワクと同じです。
ワクで感染防止ができると言い、感染防止はやはりできないということになり、今は重症化を避けられると、妙な話になっています。相変わらず副作用はあり接種は自己責任。
カナダではワク未接種者を差別的に扱おうとしたら間違っているとして首相は謝罪させられた。
コロナ恐怖症、集団ヒステリーのために原則が忘れられてしまうことが多い。
世界共通のワクチンパスポートを作らせ、各国に押し付けようとした計画があったとか。
ほとんどの独立国はこれを拒絶しています。
「徴兵制」と言えば拒否反応をする左巻きは多いのでしょうが、かつての我が国はもっと悪かった。
健康上の理由で兵隊に行けない男子はポンコツ扱いされた。不利な扱いを受けたのです。
地域社会から疎外されたりした。
「お国のために働く」というなら前線以外にいくらでも道はあったのに。
結果として無能ばかりになってしまった。
「良心による兵役拒否者」という言葉もあります。
国を思う気持ちはありながら兵役は拒否するという選択です。
全ては自分の選択でしかない。
だから自分に責任を持ち、人間は考えるのです。
その結果が良いものとなるように。
政治が市民から選択の自由を奪うことは許されない。
マイナンバーが普及しないからってヤケノヤンパチやってるようでは岸田は首相の器ではない。
おうぞどだいじに
※ いっかああああぁぁぁん!www
今回はせっかく穏やかにお話してきたのに、最後は「ヤケノヤンパチ」なんて言っちゃった。
オヤジ的だし古いw。
自棄(やけ)って書きます。自暴自棄(じぼうじき)の意。いや、嫁ねえw。
ヤンパチって、「やん八」ってこと。
「あっと驚くタメ五郎」みたいな、みたいなw(笑)。
語呂ってだけ。
「やん八さんのように自棄になっちゃった。」そんな表現でしょう。
「やん八」って「やけっぱち」ということ。
ちょっと上級で難しい表現だとアタシは思う。
「当たり前田のクラッカー」の方が簡単。
どんなシャレかは分かります。
「マイナンバーって怪しいよな」
「おう、真っ黒クロ助じゃねえか」
なーんてのもあるw。こっちは近年言われるようになったかも知れません。
自分で作ってみても誰にでも分かりそうなところが面白いw。
再びおそまつプラ二郎w
