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固定資産税から受けるサービス


 税金のムダ。考えればいつも怒り心頭だ。
 終わってから今更のように秋篠宮と美智子の巨額の改築費が報道されている。
 まるで誤魔化しだ。国民はなぜ怒らないのか。


 徴税をするのは政府の権利とされる。
 我々はそれをよしがにして共同体としてまとまっているとも言える。

 しかし表面上は税金を払う代わりに我々は何らかの恩恵を得ることになっている。

 行政サービスに対して対価を払っているというのが建前だ。
 そうでもないと市民は納得などしない。

 美智子や秋篠宮が国民のためになっているとは言えないだろう。
 ふしだらで堕落した人間を国民は飼わせられている。

 だいたい、納税の義務と言いながら様々な建前や根拠が言われるところに欺瞞がある。



 租税のうちで「固定資産税」というものがある。地方税だ。つまり自治体のサービスに直接つながる税金ということになる。

 固定資産税にはどんな根拠らしきものがあるだろう。
 土地建物について税を払うことで我々は代わりにどんなサービスを受けているのか。

 家を構え、そこに住んでいるだけで課税される。
 カネを払わせられるのだ。そう考えると理不尽だ。

 所有者に課せられる税だから「管理者」に対して課税されていることになる。
 借家やアパートなら大家が払う。

 賃貸しているなら管理者として彼らにサービスを要求すべきだ。

 最近はファミリータイプの賃貸が多い。そういう提案営業がされているのだろう。
 しかしでは子供が豊かに過ごせるような賃貸かというと、そうでもなさそうなのも多い。
 ただ駐車スペースがあるだけ、そんな賃貸も多い。

 ちゃんと管理者が働いているのか、行政が割って入ってもいいかも知れない。


 この管理者イコール所有者という考えがあれば登記しないで所有者不明の幽霊屋敷、そんな問題も解消できるだろう。
 街に廃墟などあってはならないわけで、不動産と言えども責任が伴うのだ。

 国もいい物件は所有したがるがそうでないのは手をつけない。
 そのくせ幽霊ホテルの解体費を自治体が負担するなどしているのだから本末転倒だ。
 倒産したというなら銀行に解体費用を負担させればいいのに、債権者でございと知らんふりだ。




 その昔は人頭税というものがあった。
 人間ひとり当たりに無条件に税金をかけるという発想だ。
 イギリスでは騒乱にまで発展した。これは教科書にも載っている。
 これに大衆が反発し大きな問題になった。

 結局、取り下げられて過去の歴史となったが、固定資産税は人頭税と同じではないか、私もそんな風に考えていたことがあった。

 なにしろ居を構えているだけで払わせられるのだ。
 でかい屋敷には大きな金額がかかる。
 資産価値に対して課税される。

 お前は図体がでかいからその分を払え、空気を吸う代金を払えとやられるようなものだ。


 石原慎太郎が銀行の「外形標準課税」というのを提案したことがあった。あれだって同じことではなかったか。
 石原の案は潰されてしまったが、あれなど道理の通った税だったように思う。

 ゾンビ銀行が我が国に未だに寄生しているのは国益を損なっている。
 地方銀行や信金など潰すべきなのだ。


 行政は税を徴収し、個人では管理できない全体的なサービスを提供する。
 公共投資や景気対策、全ては共同体、全体のためのものだ。

 ためにならぬものこそ「断シャリ」が必要だ。




 実際に住まいを構えてみればちょっと思い当たるフシがないわけでもない。
 つまり自治体のサービスから私はどんな恩恵を受けているのかということ。

 私の場合は毎年の庭木の剪定でそれを感じている。
 剪定した枯れ枝をゴミとして収集してもらっていることを考えると、固定資産税には意味があるかも知れないと思ったりする。

 庭木を愛で、毎日を快適に過ごす。
 そのためには伸びすぎた庭木を剪定することは必要なことだ。

 自然は乱雑だ。成長し私のことなど考えない。
 伸び放題になった樹木を整理して私の暮らしに少しは合わせてもらわねばならない。
 その剪定した枝をどう片付けるのか。

 これを商売としてやれば有料になる。馬鹿にできない金額がかかる。

 庭木の剪定は美しく生活するために必要なことだ。
 剪定ゴミの回収は固定資産税に対する当然の対価だと感じる。


 今、マイナンバーだの行政の電子交付サービスだの、奇怪なサービスが乱立して自治体は何をしようとしているのかさえ分からない。
 しかしゴミ収集など行政の最も基本のサービスだろう。





 だから巷間言われる「断シャリ」みたいなことはほとんど嘘っぱちだということだ。

 生きていれば様々な慰めが必要だ。
 「いらぬもの」を捨てるよりは「ためにならぬもの」を捨てるべきだ。

 人生を終える頃合になってゴミ収集が役に立つ。生きていればゴミが出る。

 僧侶でもあるまいし煩悩を断ち切るように断シャリをして、残ったものが虚無では始末におけない。
 外の世界に余計どころか害になるものばかりですっきりなど逆にしないだろう。
 ストレスに押し潰された人がよくゴミ屋敷にするとも言われている。


 だいたい、身の回りの全てを処分してしまい、何もないまま生きていたら残りの人生の固定資産税は払い損ではないかw。
 ゆっくりと、死ぬまでに全部片付けてゆくようにする、それぐらいがいいのではないか。


 暮らしにかかる税金なのだ。
 適度に暮らし適度にゴミを出し、その都度収集してもらい、対価としてカネを払う。
 税の構成からしても断シャリには矛盾があると思う。

 まあ捨てることでスッキリするという動機は分からなくもないが。
 またモノを増やせるというのであれば理解できなくもない。
 どこか最近の断シャリは同調的に思えてしまう。



 だからその価値だけでなくマンションは固定資産税が比較的低い理由が分かる。
 所有者の管理者としての部分が薄い。

 それにマンションで樹木や剪定ゴミが出ることはあまりない。
 集合住宅なので全員のものを一括で剪定してしまう。

 マンション暮らしならホテル住まいのようなシンプルな生活がいい。
 その分、でかい図体のために起きる不具合に対して対価を払う。
 日照や騒音、圧迫感、近隣への迷惑施設ということになる。


 固定資産税は街を作るために使われるのが基本だ。
 公正ではないか。
 間違うことはない。


 そうして人々が庭木の育成に励んで緑のある街になる。
 全体としてまとまりのある街区になる。
 自治体が街区の設計に気を配ってないとチグハグで邪気のある街になってしまう。

 全ての制約や制限には理由がある。
 固定資産税は人頭税ではないのだ。行政はもっと自覚すべきだ。
 せいぜいこの税の使い道をちゃんとしてもらいたい。




 そろそろ蚊もいなくなり、秋の長雨が終わったら剪定を始めるつもりだ。

 今年はモミジが随分と伸びた。
 去年は強く剪定した部分があったから他の枝を残した。
 真夏でも成長が止まっているから剪定してもいいのだが蚊が煩いので秋口になる。

 剪定は断シャリとは違って虚しいものがない。
 切った枝がまた春になって芽吹いてくるのを見るのは生命力をもらっている気がする。


 最近は庭を全部まっさらに片付けてしまい緑が一本もない家がある。すっかりコンクリートを敷いてしまっている家もあるが、どうか。
 結局、我慢できなくなって鉢植えを並べることになるんだけどw。
 

 老いても体力と気力が続く限りやる、なんて言うのは逆だろう。
 庭木の世話をしてやれば体力も気力もつく。
 何かしているから動けるのだ。

 近所の未亡人もそうやってコツコツと剪定をしている。


 老人が骨折なんかすると大変なことになると言われる。
 骨がつくまでじっとしてないといけないから筋肉が落ちて動けなくなってしまう。ヘタをしたら寝たきりだ。

 いい歳してブーブーなんて乗ってないで歩きなさい、そう言ってやりたい(笑)。



おうぞどだいじに




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