【文学的小品・改訂】心のサンドピクチャー
それはちょっと昔の振り返りのこと。
特殊(※1)な技法を習いに家内が絵画教室に行っていたことがある。
美大では教わらない技法だというので通うことにしたのだ。
教室といっても、それは市民サークルみたいなものではあったが。
家内は楽しく通っていたが辞めてしまった。
私が邪魔をしたようなものだ。
同好会のようだ、なんて私は嫌味を言った。
思い出しても腹の辺りがゾワッとする。
嫌な風のようなものが体を吹き抜けるのを感じる。悔恨に胸が締め付けられる。
申し訳なさで一杯になる。
私には家内といることがすべてだ。
家内と話し、暮らして、生きていることを確かめる。
それなのに私は家内の楽しみを台無しにしてしまう。
ある日、「もう覚えることはない」なんて言って家内は通うのを辞めてしまった。
ノンビリと教室に行って楽しく絵を描いていたはずなのに。
私はその教室のクリスマス・パーティに図々しく顔を出したことがあった。
何か売りつけてくるんじゃないか、そんな顔をして教室の講師は訝りながらも飛び入りした私をみんなに紹介してくれたものだ。
私が訪れたのを少し不審がる教室の生徒たち。
しかし私は社交には自信があった。
難なく私はパーティーに溶け込んだ。
熟年や壮年、主婦らの生徒たちの中で家内はとりわけ美しく、ひとり輝いていた。 私はそれを誇らしく眺めた。
私は自分の厚顔を知りながら輪の中に入っていった。
場違いな自分を自虐的に追い詰めて、私は惨めさを味わいたくなったのだった。
みんな最初はおかしなのが出しゃばって来たと思っていたことだろう。
しかし、私はまるでタイコ持ちのようにパーティーを盛り上げた。
会話のとば口を開いてやり、右に左にと話題を振って話を聞いてやった。
帰り道、今夜は面白かったと喜んだ家内を思い出す。
冬の夜空はキラキラとして星がまたたいていた。
それを見て、私はさっきまでの自虐感と、家内と一緒にいる幸福の両方を楽しんだ。
家内は私がパーティの盛り上げ役を買ったと思っていたろうが、私が人々とずっと溝を感じていたのは黙っていた。
心から楽しんでいたわけではない。
いつものことだ。
人とはどこか違う。
講師の画家は絵で食っているというのだから、たいしたものだ。
私は嫉妬のようなものさえ感じた。
家内にもできるはずなのにと密かに悔しく思った。
こういうのは人脈商売のようなもので、絵自体が評価されたというのでもない。
扱ってくれる画商を見つけて売ってもらい、継続して絵を制作できる環境にいられればそれでいい。
現役の画家が成功して蔵を建てるなんてことはありようもない。だから教室なども主宰する。
ただ製作を続ける絵の具代、暮らしが出来るだけでいい。
そして、いつか自分の絵が特別な場所に飾られることを絵描きたちは願う。
好きなことをして生きていけるのは羨ましい、私は率直に思ったものだ。
講師の画家はボンヤリとした、ギラギラしたところのない人で、まるで「昼行灯(ひるあんどん)」というような人物だった。
迫力とか覇気があまり感じられない。
彼からは熱情に駆られたり鬼気迫る姿が想像できなかった。
家内はよく教室での講師とのやり取りを面白おかしく話してくれたものだ。
何事もピンとこない人で、自分の絵について製作意図を話してもボヤっとしている。その反応が面白い、そう言って家内は笑った。
しかしそんな人物に限って技術は身につけやすいのかも知れない。
なんとなく私はそう思った。
描く絵はどれも小品のようだったけれど。
私は物事に打ち込むことにひどく暗いイメージを持っている。
それが何であろうと、情熱に駆られた魂は狂気へ向かうと思うからだ。
絵描きだったら腕が千切れそうになるまでキャンバスと向き合うものではないか。
毎日毎日、血眼になって、絵の具まみれになって作品を追い求めるものではないか。
生きるのは苦しいものでしかないと私は思う。
何かを犠牲にしなければ魂が求めるものは得られない、そう思う。
自分を削って人は何かに打ち込む。
だから死ぬことは救済だ。苦しみからの解放なのだ、と。
しかし、そんな感覚は間違っているのかも知れない。
家内はいつも幸福そうでハッピーな人だ。
なんでもメチャクチャになってしまう私とはまるで違う。
彼女は追い込まれたりしないし、何事につけ辛く思ったりはしない。
一方、自分がどんな人生を生きているのか私には分からない。
苦しい心がいつまで続くのかと思う。
そんなことを思うと惨めで泣きたくなる。心が痛くてしょうがない。
気が狂ったような世の中で私は自分を平静に保つため狂気を宿す。
真実は守られるべきだ。流されるなんて真っ平だ。
でも穏やかさには努めないといけない、家内にはそう教わった。
それは夏も終わりのことだった。
ある日、私は都市部の街を訪れた。
仕事の打ち合わせが終わって散歩がてらに商店街を歩いていると、偶然にもその画家が個展をやってるところに出くわした。
画廊があればちょっとは私も関心を持つ。 見つけたのは偶然だ。
貼り出されたポスターの名前ですぐ分かった。
こんなところで個展をやってるなんて知らなかった。
きっと家内には案内ぐらいはあったかも知れないが、私には全くの奇遇だった。
そこは小さなビルの画廊で、半地下へ降りてみると講師の画家が真ん中の椅子に座っていた。
画家は驚いたような顔をして私を見上げたが、彼はにこやかに挨拶を返した。
画家の向かいにはえらく大柄のヒゲをたくわえた男が座っていて、何やら議論をふっかけている最中だった。
無頼漢のような風体をしていて、私はかつて所属していた劇団の座長を思い出した。
画家は男を美大時代の先輩で同じ絵描きなのだと私に紹介した。
そうです、と答えたものの、男は私に愛想もなくそのまま画家に小声でまくし立て続けた。
私は男に激しいものを感じ、教室講師よりよっぽど絵描きらしいと思ったものだ。
挨拶をして私は絵を見て回り始める。
小さな、まな板ぐらいのサイズの絵が多く架かっていた。
60号ぐらいの作品はひとつしかなかった。
背の低いテーブルと背の低い椅子がホールの真ん中にポツンと配置されている。
テーブルには菓子なんかが置いてある。
そこは顔見知りなどが挨拶をして談笑するためのスペースだ。
まるで発表会の楽屋裏のようなものだ。
真ん中のテーブルと椅子には顔見知りか絵の購入を決めた人しか座らない。
個展を見に来た通りすがりの人たちはたいてい、そんなテーブルが見えないかのようにしている。
画廊の中はとても静かだ。
日本の、いかにも画廊っぽい感じだった。
日本ではこういう絵の売り方をする。
まるで法事のヒソヒソ話のような(※2)、まるでマンションの成約か何かのような、そんな風に静かにひっそりと絵を売りつける。
作者はまるで保証人のようにその場の真ん中に座っている。
それでも絵描きが自分から絵について説明することはない。彼はあくまで世間話しかしない。
そうして、介添人である画商が客に付き添って、絵の説明を代わりにしたり客と絵描きと作品を取り持つ。
まあ、壷を売る(※3)のとそんなには変わらない。
客は他に誰もいなかった。
真ん中のテーブルで話し込む大男と画家。あとは私だけだ。
私が絵を見て回っていると、そこに画商らしい初老の男が奥から出てきて色々と説明してきた。
少し太った背の低い男で、燕尾服のようなデザインの背広を着ている。
押し出しは強そうだ。ギラギラした目が私を鋭く捉えた。
どうです、いい絵でしょう。おひとついかが。
揉み手で話かけてくる画商はどうも私が画家と顔見知りとは思ってないらしい。
家内がこの人のところで技術習得をしていると教えてやればいいと思ったが、画商はしきりに作品を勧めてくる。
言われればこちらもじっくり見てみる。
なんだか箱庭的な作品だ。
一番大きな絵でも腕を大きく広げたぐらい。
高台から見下ろした風景には広がりがない。とても小さな世界だ。
作者がそんなものを描きたかったわけではないのは分かった。
カネを出して所有したい、そんな気持ちが沸かない絵だと私は思った。
画商は一号当たりだいたいいくらだ、なんて言った。
日本では絵はグラム売りだ(笑)(※4)。
講師の画家は黙ってテーブルに視線を落とし、お茶を飲んで大男の話を聞いていた。
彼は耳をそば立てていて、私が講評でも画商に始めやしないか注意しているように思えた。
ちょっとした緊張感が四人だけの画廊には漂っていたのだ。
私が煩さ型だというのは知っていたはずだ。
帰って個展の話を家内にすると呆れている。
行くなら言ってくれればいいのに、私はもう行ったんだよ。
案内のハガキを貰ってたのは話したでしょ、なんて言った。
ああ、聞いたのか、とんと覚えがなかった。
ホントに偶然見つけたと思ったんだ。
私は家内に見た絵の感想を話し、個展の様子を報告した。
先輩とやらの大男がいて話し込んでいたよ。
画商もいてね、長い付き合いだとか。 その画商はアタシが行った時もいたね。
教室の生徒だということで家内が行った時は相手をしなかったようだ。
その暫く後のこと、家内が教室から帰ってくると、声を落として聞いてきた話をした。
どうやら展示会の最終日に画商が自殺したとか。
画廊の中で首を吊っていて講師が発見したらしい。
画商は何人かの画家を抱えていた。しかしトラブルが続いてほとんどの画家たちが彼の元を離れるという状況だったとか。
それがどんなトラブルかは言わなかったらしいが講師はショックを受け、それで暫く教室が臨時に休みになったとか。そんな話だった。
会ったんでしょ。 ああ。話もした。
あのギラギラした目を私は思い出した。
その絵仕事も、家内はすっかりやらなくなってしまった。
家内はいい絵を書くのだが今はキャンバスに向かうことはない。
少し寂しいとは思うが、私に悪いところがあったと思うからあまり言えない。
急いた私がいけなかったのだ。
家内は目を血走らせて絵筆を取ることもなかったのに。
ずっと家内には楽しくひとり絵を描いててもらいたかった。
消耗してしまったのか私の協力が悪かったのか、家内はもうキャンバスには向かわない。
それでも、またいつかは、と、私は願っている。
家内をいとしく思う気持ちにはキリがない。
いつまでもその気持ちは枯れることはないのだから、ずっと見守って待っていればいい、そう思う。
はやくかえってきてね
※ 修正してみました。
結構真面目にやった(笑)。
タイトルも直した。
こういう修正を加えると勢いがなくなってしまう場合もありますが、どうか。
似たような内容を掲載し、退屈されたかも知れませんがどうかお許しを。
1 ここで書かれている家内が習っていた特殊技法というのは、金箔を使って盛り上げて立体的な絵を描く技法のことです。
グスタフ・クリムトなんかはよく金箔を使います。
彼の場合は平たく金箔を使っていますが、これをもう少し立体的にするものです。
ちなみにクリムトなんていかにも無頼派という感じの人です。
金箔ってモノは絵としては一番いい素材だとアタシは思います。
なにしろ写真に写らないのがいい。
写真で再現できないというのが素晴らしい。
フラッシュをたいても、光を調節してみても、実体の質感は出ない。
少なくともアタシは写真で金箔をちゃんと写せているものを知りません。
まあそうは言っても、実際の絵画も写真で正確には撮影しにくいものですが。
2 法事の集まりでヒソヒソと話す。それは財産相続や家督相続などの噂(笑)。
キーキー騒がない。穏やかw。
3 統一教会でなくとも壷は売られています。
デパートの作家展などでは仰天するような値段がつけられていることもある。
上の方の階の催事場とは違うところに小部屋があったりして、ひっそりとそんな個展が開かれていることがあります。
なかなか興味深いものがあります。
オールド・ノリタケなんてのもタマにあります。
あれもすごいものです。壷もあるw。
一見の価値があります。
まあ連中が売るのはそういう壷ではないんでしょうが。
4 日本の現役作家の絵は一号当たりいくらという値段のつけ方をします。
没した作家ならオークション的なことになってそうした値段にはなりませんが、現代作家のものはたいてい号数当たりの値段です。
ここがアタシが「絵は量り売り」と形容した部分です(笑)。
絵はキャンバスの規格で何号という風にサイズを呼びます。
一番長いところの長さが号数の基準です。
ゼロ号から500号まで。
ゼロ号だとハガキよりちょっと大きいぐらいです。
ピカソの「ゲルニカ」はタテ3.49 m x ヨコ7.77 mということですから、500号のキャンバスを四枚つなげたぐらいの大きさです。
ただ、もちろん絵はどんな大きさで書かねばならないと決まっているわけではありません。
あくまで画商連中の都合とか、キャンバスを作っている画材屋さんの都合に過ぎません。
本日はなんだか仕事をした気分です(笑)。
おそまつ
