麦茶を飲みまくって、「当たり年」か?
夏の始まりにストア(ストックルーム)から三年ぐらい前の麦茶が出てきて、飲むことにした。
麦茶を飲む習慣があまりないので余って、まだ30包ぐらい残っていたのです。
飲み始めてみると手軽で便利。
水出し麦茶です。
冷蔵庫に冷やしてどんどん飲んでいます。遠慮はいらない。古いんだからw。
このところ一日一包は使っています。
水分補給にいい。
この製品は全部で54包入りですから、二ヶ月近く飲める計算になります。
調子に乗ってゴクゴク飲んでたらなくなってしまい、買うことにしました。
でも先日、スーパーで54包入りが百円だったけど見送ってしまった。
その時は古い麦茶がまだあったのでした。
飲むペースも分からず、こんなに飲み続けるとは思わなかった。
前回のように飲まないで余らせてしまうと困る、また長期保存になっちゃうと思ったからつい腰が引けたのですw。
いざ買おうと思うと百円の特売になかなかなりません。
一度見送るとこういうのはなかなか手に入らなくなる法則w。
しかし我慢して待つことにしました。
いつものようにプーアル茶をいれてみましたがお湯でないとよく出ないので大変です。
暑いから夜でもキッチンで火を使うとムワッとして嫌になります。
やっぱり水出しがいい。
やっと特売になってまた麦茶を購入しました。ゲット、百円w。
麦茶でも煮出せばもっと色がでそうですがそこは安いので気軽に水出しで。
麦茶生活が安定していますw。
麦茶はカフェインも入ってない。健康志向というのは分かる気がします。
そこそこ味はします。血液サラサラw。
昔は水出しでなくて煮出していた気がします。
子供の頃は夏は麦茶だった。
氷も入れないで飲んでいた。
昔は氷にずっと不便していたものです。
まあ「外回り」ばかりの子供時代でしたので家庭の氷不足は実感はなかったけどw。
いつからかあまり麦茶は飲まなくなったものです。
嫌いというわけではないのですが。
去年はレモン水で夏を乗り切った記憶があります。
アイスコーヒーばかりの年もあった。
スムージーをせっせと作った年もある。
水出しの緑茶の年もありました。
要は、なんでも「飽きる」ものなのですw。
だから麦茶を三年も眠らせてしまったw。
忘れた頃、ウチ的には今年は「麦茶の当たり年」になったというわけです。
あれ? この言葉の使い方は間違ってなかったか。
「当たり年」という言い方。
豊作とか大漁というのでよく使われます。
ここ数年、アジやイカなんかでよく聞いた言い方です。
どっちかが豊作だと一方が不漁になるんだとかw。
アジの当たり年にはイカが不漁。逆もしかり。
豊漁になれば値段が安くなってみんなが美味しくいただける。
たっぷり満喫できる。
遠慮なくバンバン食べられる。
まさに幸運、宝クジに当たったようなもの。
「当たり年」ですw。
その年に「いいこと」が続いても言うものでしょうか。
まあ、それもあるかも知れません。
そしたら年の瀬に「今年は当たり年だったナ」なんて締めくくるのが正解ということになります。
だって今ならまだ年の中盤です。
いいことばかりが続いたからって「アタシの当たり年」なんて、油断してたらすぐに落とし穴でしょう(笑)。大火傷したりする。ジャクソンホールw。
一年が終わってみるまでは分かりません。
「今年の前半はツキまくって当たり年かと思ったら爆損するし怪我してがっかりだ」
なーんて。
好事、魔多し
そんな言葉もあります。これから年後半、気をつけたいものです。
それでも「当たり年」って、年の瀬の締めくくりにはあまり使わない言葉でしょう。
その渦中、最中に言うものだと思います。
つまり「ノリ」なのではないか。
「ブームが来ている」とか「波が来ている」、そんな今のトレンドを表現する時に使う気がします。
それはきっと「勢い」という感じに近いのかも知れません。
せっかく茄子が当たり年なんだから、どんどん食べようよ。
とか、そんな感じ。
しかしそうなると不平を言う人もいるでしょう。
「まーた茄子かぁ。いくら安いからって毎日じゃ飽きるよ」
なんて旦那さんがコボしたりするw。
マーボ茄子、茄子の煮びたし、糠漬け、天婦羅。なんでもできるのにw。
「安くて沢山買えるからどんどん食べよう」って言い方にそもそも違和感があります。
なんで安いからって同じものを続けて食べないといけないのかw。
安いってなら他にもあります。
毎日じゃあ困っちゃう。
飽きるのです。
人間は贅沢なものです。
手に入らないとなると欲しくなる。
同じものが続いたり余ってるぐらいだと食傷してしまう。
葉っぱが落ちると季節の終わりを惜しむ。
茂っていればと「暑くて庭仕事ができないから庭がジャングルだよ」なんて言うくせに、葉っぱが落ちていくと寂しくなってしまったりする。
そんな時は壁に葉っぱの絵を描いてやればいいwww(笑)。
「当たり年」という言葉はこういう時にいいのです。
景気づけにいい。
何度も何度も、毎日のように食べてもらうのにいいのですwww。
「飽きた」なんて言わせないところがあります。
「せっかくの当たり年なんだから、もっと食べましょう。」
なーんて。
お子様の魚嫌いや野菜嫌いにも有効なキメ台詞かも知れません(笑)。
毎日同じようなものが出ると不平が出ます。
バラエティある食事は大切です。免疫強化になる。
前にお話しましたが多様な種類を食べないと変化に対応する能力が衰える。
しかし「今年は当たり年」なんて言うと「特別な年なんだから続けて食ってもいいのかナ」、なんて同調してくれるわけです。
平賀源内ばりの上手いコピーかも知れません。
せっかくの幸運です、満喫しないと損だ、どんどん食べよう。
なーんて、どっかちょっと転倒しているところがない気もしないでもない(笑)。
ラッキーだからって食べ続ける、それも考えてみれば変な話ではあります。
「年」というサイクルで表現しているわけですから、やはり作物や漁など良と不漁のサイクルがあるものが適当でしょう。
食卓に並ぶものにはたいてい使えると思います。
「飽きた」なんて言わせない(笑)。
続けて出す言い訳に一番いい。
献立にもサイクルがあります。魚を食べたら次はお肉とか。
当たり年の食材があったらこういうローテーションを無視しても許されるわけです。
勢いです(笑)。
「今年は仕手株の当たり年」という使い方も悪くない。 相場はサイクルがあるという含意。
「今年はミスコンの当たり年」これも悪くない。
美人投票には流行があります、サイクルがある。
まあ、最近の風潮からして批判でそうそうミスコンはできないんでしょうがw。
「今年は出産の当たり年」これは微妙。
子作りにサイクルがあるかははっきりしないw。
「万馬券」、「ジブリ」、「寿退社」。
使えそうに見えてどうもダメなのはやはりサイクルが見られないものの気がします。
「汚職事件」、「事故」、「紛争」、、、嫌な話に使うのもちょっと違う気がする。
献立にしたって使えないケースもある。
ムリクリ同じメニューを通そうとしてもダメw。
間違いなくカレーには使えないwww。 残念。
「またカレーなのぉ。」
「だって今年はカレーの当たり年なんだぜ」
・・・む、無理www(笑)。
おそまつ
残りご飯が少なくなるとアタシはカレーで増量しようとする。
連日って訳じゃないのに家内はカレーを嫌がる。
カレーの当たり年はないものかw。
鶏卵は鳥インフルから復旧してやっと通常の値段になったようです。
玉葱はウチのところではまだ高い。
アタシの地域ではまだ一個90円とかそんな値段しています。
家内の実家では以前の価格に戻ったとか。
四つで百円。
えええwww!。
アタシの玉葱離れは続いています(笑)。
玉葱は「外れ年」だ。
めいしくおしあがれ
