長生きの秘訣と孤独のグルメ(TV)の秘密
最近、考えることです。
あくまでアタシの感覚でしかないのですが、長生きされる人というのは心臓に何らかの持病がある人が多い気がしています。
一病息災とも言いますがどうもそんな気がしてならない。
アタシの周囲を見渡してもそんな気がします。
そうすると、これをただの逆説にしないなら、長生きの秘訣というのは「心臓をいたわろうとする気持ちが長生きにつながる」と、そんなことが言えるかも知れません(笑)。
別に心臓に持病がなくとも悪くなくても「心臓は大丈夫かな」、そんな風に感じようとする心構えが健康法になる、と。
ジョギングが健康に良いというのもここに通じるわけです。
走れば心臓のリズムを感じ、いたわっている。
確かめるように息を整えたり脈を計る人もいます。
それを言うなら、キレイな尾根遺産がそばに座って酌をしてくくれただけで心臓がバクバクして、鎮まれ、落ち着け、なーんてのも健康にいいwww。
いや、財布にはよくなさそうですが(笑)。
「恋」なんて、人生にはとてもいい薬ではないかw。
ドキがムネムネする(笑)。
酒にしたって百薬の長。心臓がよく動くのです。
お盆の時機なのでそんなことを考えるアタシです。
「しんぞう」は「晋三」ではありません。
そちらはちょっと早過ぎた。
それにしても、彼が亡くなってからマスコミはまるで統一教会を叩けば解決するような風潮ですが、どうにもおかしな雰囲気になってる気がします。
中にはあんなのを日本の影の支配者であるかのように言う向きもいる。
「政治と宗教の癒着」という言い方にも無理があるのではないか。
だったら公明党なんてどうなのか。
さんざん支持母体の信者たちの「自己実現」のためと、脈絡のない政策、一貫しない態度を盛り込ませてきたのが公明党ではなかったか。
彼ら信者が「我々は成果を挙げたぞ」と言えるように、それだけのために公明は余計な政策を主張し、政策の整合性を歪めてきたのではなかったか。
壷を売るとかの「いかがわしい商売」をやってきたと言われる統一教会ですが、壷を買った人の救済、クーリングオフのような制度整備も安倍はやっています。
別に連中のために利益誘導してやったわけでもない。
だいたい、モノを買って「騙された」というのもなんだかおかしい話です。
洗脳商法? それなら西側の報道もよっぽど洗脳じみています。
だいたい、だからって「宗教団体は民主政治に関わらせてはいけない」なんてのも無理があるというものです。いったいどうしろって言うのか。
大いにやれとは思いませんが、信者のアタマの中まではコントロールはできない。
アタシはああいう連中と関わることはないし弁護するつもりりはないですが、何かスケープゴートを作り出して話題逸らしをしている気がしないでもない。
昨今は自分のポジションのために何でも曲げて利用する言論が目立ちます。
歪んだ言説が流行りになっている気がしますから、とにかく色々と信用ならないのです。
何かを隠しているような気さえします。
マスコミはおかしい。
共産党もおかしいでしょう。
戦争万歳とばかりの大本営、ロシア人は死ねとやる平和を主張してきた向きもおかしい。
ユダヤ人だっておかしい。
アタシは一貫性のなさには疑いを持ちます。
人間はそんな状態では平常心でいられないと思うからです。
自分がないように感じて不安になるはずです。
「不整脈」という症状だってあります。
心臓ならぬ、心だってそう。
魂の安寧のために人は一貫した姿勢や態度でいようとするものです。
ここだけの話ですが、やはり真相は隠されようとしているのではないか。
美智子が関わっていたのではなかったか、アタシはどうしても思ってしまいます。
「おし」でもあるまいに、なぜこのことにクチをつぐんでいるのか。
さて、話題はここでガラリと変わってしまうのですがwww、昨晩は「孤独のグルメ(TV)」の面白いところをお話しましたが、まだ忘れたことがあったw(笑)。
今回は特にネタバレというわけでもないですが、あのドラマでのちょっと気が付かない演出のトリックのことです(笑)。
それはあのドラマのエキストラたち。
他のあまり有名ではない役者さんたちの演技に関することです。
このドラマは、店主や女将さんだけでなくお客さんも役者さんを使っています。
そうして主人公の五郎がふらりと店に食事に訪れたような、そんな表現をしています。
「孤独のグルメ」だからこそ他人の姿が必要です。
群衆の中にこそ孤独があるというわけです。
もし食べ歩きのドキュメント番組みたいにして、「ぶらり散歩」みたいなことをやれば邪魔が入ります。
なかなか難しい。
撮影隊が動きテレビで馴染みの役者が歩いてれば周囲はザワついてしまいます。
どうしたって「孤独のグルメ」にはなりません。
だから、エキストラのような、いわば大部屋の役者さんを使うわけです。
そうして店の雰囲気を作る。
そして五郎が周囲の客の注文を参考にしてみたり、注文につい迷ってしまうという「孤独のグルメ」のドラマを作っています。
番組が下調べをして「この店はこんな客層」と聞けばそういう役者さんを集めているはずです。
そういう客層にしたって、もしドキュメント調にして、ぶっつけ本番で店に行ったりすれば「どうも今日のお客さんはいつもと違う」なんてことが起こり得るwわけです。
で、その役者さんたちはどんな演技をしているのか。
お喋りしたり談笑したり、黙々と食事をしていたり。そんな演技です。
何気ないけど、しかし服装にしてもちゃんと決められた計算されたものなはずです。
しかしどうもそれだけじゃない。
あれ、ミュートしてませんか? ww(笑)。
お気づきでしょうか。
他の客の役者さんたちが食事する演技をしてて、店がガヤガヤしている時です。
ドラマではちゃんとそういう音が入っています。
その時、五郎が注文したり食べ始めると、役者さんたちはクチパクで音を出さないようにしてるのです。
かなりの頻度でお客役の役者たちはクチパクではないか。
後で音声をカブせたり、いわゆる「アフレコ」ではなさそうです。
脳内の声はアテレコですが(笑)。
調理場の音はその場で拾っています。
五郎が食事する音もちゃんと拾っています。
そして他の客のザワつき、注文の様子、その店の雰囲気を写す。
もし五郎にクローズアップする時は、他のお客さんたちはクチパクにして声を出さないようにする。
その時、役者さんたちは声を消して談笑している演技をしている。
できない時や失敗もあるでしょうから全部が全部ではないようです。
犬や赤ん坊なんかが出る時は無理でしょう。
しかしかなりの確率でクチパク演技させている回があります。
かなり孤独のグルメ的な演出の効果が出ていると思います。
どうか。
ご確認くださると、これでまた番組が面白くなることウケあいだと思うのですがww。
まあ、役者さんとしては当然なんでしょうが、アタシはテレビはやったことないんだw(笑)。
おそまつ
※ よく、ミュートって言っちゃいけないとか言います。
「おし」って意味です。
英語では「ミュート」って言葉自体はあるんだけど、聾唖者に対してはミュートとかはあまり使わないとか。
deaf and dumbで聾唖という言い方になる。
それぞれ、「つんぼ」に「おし」という意味です。
そしたらミジェットっていうのもダメ。
「ドワーフ」と言う(笑)。
どわわぁぁああ、ふぅ。 こりゃ大変だwww(笑)。
しかし、そんなポリコレ的なことより、「つんぼ」と「おし」をひとくくりにしちゃうってところがダメな気がしますが、どうか(笑)。
耳が聞こえないと喋れない、そういう症例の決め付けは違うのではないか。
それは「差別的」というよりまず誤解を生むでしょう。
だからいけない。
セットじゃないんだし。
しゃべれなくとも聞こえる人というはいくらでもいる。
耳が聞こえなくとも発声があったりします。
