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安倍晋三元首相を偲ぶ


手の甲にシミができている。
 日焼けして残ってしまったのか、あった記憶にはない。前にはなかったシミだ。

 そんな風に覚えのないシミが甲にできるようになると歳を取った証拠なのだ、そんなことを聞いた覚えがある。
 ずっと昔のことだ。
 その話を聞いた時はまるでピンとこなかったが。


 安倍元首相はまだ若かったじゃないか。

 元気一杯に駆け抜けた生涯だったと思う。
 できることを好きなだけやった。

 しかし私はまだ彼よりも年下だ。




 安倍元首相という人は、法治主義ということをよくよく考えていた人だったと思う。

 わがままと放蕩の挙句、例外的に行き当たりばったりな対応を求め、法さえ無視しようとした美智子たちを安倍元首相は退位させた。
 それは生前譲位でもなく特別立法でもなかった。自ら望んで辞めたという形にも安倍さんはさせなかった。
 形のない「退位」。

 平成天皇らはこの措置に学友を通じて敗北宣言をさえ出したものだ。

 安倍元首相は彼なりに皇室を守ろうとした。


 憲法改正を国民に問い、議論を呼びかけたことにしても、そうした彼の法治主義へ思いからのことだったと思う。

 こういう憲法改正の議論さえ拒絶する連中の態度は実におかしなもので、危険なものですらある。
 「いざとなれば自衛隊が守ればいい」なんて、ずさんで法治主義を否定する考えでしかない。

 緊急時には法に基づかない対応が許される、そんなことを本気で考えている連中をどれだけ安倍さんは一喝したかったろうか。




 マスコミも野党と一緒になって改憲議論の邪魔をした。
 こういう社会の風潮に疑問はあっただろうが、それでも彼は穏やかな態度を通した。

 そんな時、とたんに彼は緩くなった。
 ギャアギャアと理屈も何もないムード、ヒステリーで議論が誤魔化されようとすると、彼は静かにした。桜でも見たのはそんな頃だったはずだ。


 誰もが安倍元首相のことを改憲論者だと思っているが、彼が改憲とその中身について明言することはほとんどなかったはずだ。

 当たり前のことだが憲法に「敵基地を攻撃する」などと書くわけはない。自衛権について明記するぐらいだがそこから先は法律の話だ。
 私はそのポイントをここで示してみたことがある。

 まず一番に健全な議論ができる環境をと彼は願っていたはずだ。




 国民をぐいぐい引っ張ってゆくというより、彼は穏やかさの中に時機を待つという態度を貫いていたのだろうと思う。

 それは熱しやすく冷めやすい、そういう我が国の国民のことをよく理解していたからなのだと思う。

 だから、安倍さんにはまだ時間が必要だったのだ。
 

 「健全な野党が育たないといけない」、そんな言葉も聞いたことがある。
 それは諦めのような、ささやかな願いのようなものさえ感じられた言葉だった。


 漫才のような場と勘違いをしてパフォーマンスをするお笑い野党議員らにも安倍さんは公平に接しようとした。
 国民にもそんな連中を望む人々がいるのだ。
 賑やかしと政府批判のカタルシスを求める人々がいる。

 委員会を狼藉し、馬鹿な質問を繰り返すような連中も安倍さんは相手にしてやった。

 議員が自分で気が付かねば話にならない。そんな彼の心情が窺えたものだ。


 どだい、「消費税廃止」と言う野党連中はその廃止法案のための準備をしたろうか。
 廃止へのロードマップを作ってみたろうか。
 いきなり廃炉できるわけがないのだ。

 国会は法を作る場所だ。




 安倍元首相は素直な人柄で、誰にでも胸襟を開いた。

 そんな安倍元首相の穏やかさと人柄を逆手に取り、「安倍政治を許さない」などと攻撃してきた連中は甘えていた。

 節度を守らず、限度を越えていた。
 言論の自由どころの話ではない。

 結局、暴力を呼び込んだのはそうした野党らの特定のグループなのだ。

 そしてヘイトによって大衆を操作しようと画策した連中は責任など取らない。


 彼らには社会の安定も秩序という価値観もない。

 主張の無謬性を盲信し、歪んだ独善を通そうとする。
 法を軽んじ議論を怒号で済まそうとする連中だ。

 彼らが権力を握れば法など無視され、独裁と全体主義になるだけだ。


 いまや平和のかけ声はどこへやら、野党すら戦争と殺戮に快哉している。

 ウクライナ支持、と。


 結局、安倍さんに政治の論戦を挑めた野党はほとんどなかった。

 「まだまだだね」、そう悪戯っぽく朗らかに笑う彼の姿が目に浮かぶようだ。




 とりわけトランプ大統領に対しては安倍元首相は世界中の首脳の誰よりも真摯に接しようとした人だった。

 同盟国の大統領としてまだ危ういシロウト同然のトランプを諭し、嘲笑することもなく、辛抱強く先輩政治家としてアドバイスをしたのは安倍さんだった。

 素直なトランプ大統領を安倍さんは気に入っていたに違いない。


 プーチン大統領とも安倍元首相は密接な関係を持った。安倍さんにはバランス感覚があった。

 習近平総書記とも意見交換をしていた。タフな交渉相手だった。
 我が国に弔辞を送ったが習近平総書記にもショックなことだったろうと思う。

 キムジョンウンにしてもそうだが、平穏な我が国で起きたことに彼らには思うものがあるに違いない。
 キムジョンウンについては陰で安倍さんはトランプの板門店電撃訪問の仲立ちをした。


 安倍さんはインドのモディ首相には就任後から多くの助言をしたのだと思う。安倍さんはアジアの平和と安定を常に考えていた。
 それが今のインドの現在のスタンスにつながっているのは間違いない。

 インドはロシアの経済フォーラムにも参加し露制裁にも加わっていない。それでいてインドは米国のクアッド安全保障にも参加している。
 対中国の面でもそれはバランスが取れているのだ。
 インドは14億の人々を西欧のように欧米のせいで飢えさせるわけにはゆかない。

 インドは安倍元首相の死去を受けて土曜一日、全国で喪に服した。


 その意味では彼は世界のどのリーダーにも区別なく接していたはずだ。
 どの国に対しても安倍さんは分け隔てなく接していただろうと思う。

 我が国の代表としてもそれは適切なものだった。
 日本は本来は中立国であるべきなのだ。
 日米同盟はさておいても、その公正な態度は正しいものだった。




 プーチン大統領の弔辞を見ると彼の無念の忸怩たる思いがよく伝わってくる。
 言葉は少なかったが、安倍さんを「晋三」と呼び、「プロフェッショナルだった」と言ったプーチン大統領の胸中にはどれほどの思いがあるのかと思わざるを得ない。


 これからの世界、アメリカや西側主導ではない世界を安倍元首相は見ることはない。


 トランプにしてもプーチンにしても、ボリスジョンソンとさえ安倍元首相は連絡を密接に取り合っていたフシがある。
 左翼かぶれだと言われたボリスの奥方に対し、保守のブレーキを安倍さんはかけたのだろうか。


 安倍さんが特に外交センスに傑出していたと言われるのは、それは他国のこととして節度を守っていたから。
 時機を待ち独立国として判断を待とうとする彼の態度は外交にうってつけだった。

 彼は干渉をしなかった。
 

 世界の動きは驚くほど歩みが遅い時もある。
 そして独立国として、それぞれの国が判断することでしかない。

 それでも、焦らずに彼は時機を待とうとする人だった。


 バイデンが遅ればせながらのコメントを出したが、その違和感はやはりぬぐえない。
 バイデンは米国の銃規制に絡めて弔辞を述べ、政治利用を隠さなかったからだ。




 ウクライナ侵攻に関し安倍さんが発言を控えるようになったことは彼なりの警告があったと思える。
 「まだ状況がはっきりしない段階なんだから」、彼は当初はそう言っていたのだったが。


 しかし彼は大勢が間違ったとしても、その流れに逆らって旗を振るような人ではなかった。
 それは我々が言うべきことだ。

 強過ぎるリーダーシップほど危ういものはない。
 彼が時に飄々としているように見えたのは、そうしたことが分かってのことだったと思う。


 黒田総裁とのアベノミクスがよい例だった。
 結局、アベノミクスは景気を上向かせるための最初の一石を投じたに過ぎない。

 そこから大きくデフレ脱却に動かなかったのは安倍元首相の責任ではない。それぞれのプレーヤーがやるべきことだった。

 賃上げを要請するなど安倍さんはデフレ脱却の雰囲気作りに奔走した。
 それ以上は法律でも作らねばどうにもならない。
 安倍元首相にはそれが分かっていたはずだ。

 「政策頼り」や「景気対策」などと、当時のマスコミの要求はあまりに他力本願に過ぎるものだった。
 マスコミは一部の政治家と同様に我が国の景気が回復することを嫌がった。




 もちろん安倍さんにも強く志す部分もあったろう。
 時には激しい情熱を感じさせることもあった。
 そんな強い安倍元首相の政治信条に触れた人は必ず何かの糧を得たはずだ。


 だが、一人の政治家の死で社会が変わるようなことはあってはならない。

 安倍さんもそんなことを望んではいない。
 大衆が大号令の元に動かされるようなことはあってはならない。

 誰もが一人ひとり、やるべきことをなすべきなのだ。
 政治はその後押しをしてやるのが役目だ。


 「政治は結果責任だ」ということをよく安倍さんは言っていたものだ。
 それはマスコミが曲解したような「結果がよければ何でもいい」なんて意味ではなかった。
 政治は決まったこと、官僚が発案したことを動けるように後押ししてやるのが役割だ。

 国民の心に響かせなければいけない、そういう意味だったと思う。


 だから、それがどんなにゆっくりでも、紆余曲折を経ねばならないとしても、安倍さんは待ち続けねばならないことが分かっていた。

 それが法による統治、三権分立というものだ。
 国家が間違えば国家賠償請求がされる。それは法に基づく。
 そうして責任はとらせられるのだ。

 それが政策当局の胸先三寸、その時の雰囲気次第では救われることはない。




 安倍さんは毎日を楽しく過ごそうとしていたと思う。
 彼がよく笑ったのは節度のために努力していたことだったのかも知れない。

 人が好きで話をするのが好きだった人だと思う。
 よく人の話を聞いた人だ。


 そして奥様の昭恵さんを愛した人だ。
 とても仲良しな夫婦だったと思う。

 神田の昭恵さんの居酒屋の前を何度か通った時期があって、私は出歯亀根性によく中を覗こうとしたものだ。
 ある日、まだ開店前の午後、黒い板張りの店の中を窺っていたら一瞬の会釈をしただけだったがこちらを見て、とても明るい人だと感じたことを振り返る。


 残された昭恵さんもきっと立ち直ってくれると信じている。

 何しろ我が家もそんな感じだから。
 安倍さんも強くて元気な女性が大好きだろうw。


安らかに。


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