参院選、国を守る、国民を守ること
参議院選挙が迫っています。
私たち市民の責務として「国を守る」ことは大事でしょう。
私たちの子孫に、この国の文化、言葉、歴史を伝えてゆくために必要なことです。
よく考えたいところです。
さて、アタシのあくまで独断での案の一端に過ぎませんが、、、
有事法制その整備のポイントと条項の例。
1. 我が国が特定できる勢力もしくは第三国から攻撃を受けた場合、内閣は3時間以内に閣議を開き、報復するか次の攻撃から我が国を守るために軍を集結させるかを決定して命令しなければならない。
2. 有事の際には国民の権利は制限される。内閣の決定を通じ自治体、警察などの行政がこれを国民に対して指示する。当該地域からの退避レベルが決められるなど、自治体は住民の避難を行う。
3. 攻撃に対して応戦する際は規定に基づいて迅速に対応し、敵の攻撃の停止が確認されるまで継続するものとする。 軍は迎撃のために敵を破壊する責任を負う。
4. 場合によっては敵基地を攻撃することも許可されるが内閣の承認を必要とする。内閣は軍責任者から報告があってから1時間以内に二次被害を抑制するための決定を下さねばならない。
5. 政府は有事の際にも国民の生命と財産について責任を負うが、同時に、民間人の被害を最小限に抑える義務を負う。このため、政府は市民の拉致や拿捕、逮捕などと引き換えにして交戦権や主権を放棄してはならない。
・・・なんてところが大事なポイントかと思います、どうか。
上記のところをちょっとだけ解説してみようと思います。
1.ってのは、「閣議開催」を定めるというところ。
その手順を決めるというところです。
何時間以内にと期限を区切るところも大事です。わが国はこういう規定がすごく苦手w。
それと「報復」というのは必ず必要な規定です。
そうでなければ次の攻撃をまるで抑止できないことになります。
反撃とか応戦と言い換えてもいいでしょう。
北朝鮮のミサイルではPAC3の配備とか言われていますが、「何でも迎撃できる」だなんて夢のような話はありません。
実は我が国のアレは苦肉の策の方便なのですwww。
憲法改正してないし、有事法制がないから「ミサイル迎撃」なんて夢物語でお茶を濁してる。
奇跡的に何個かは打ち落とせたとしても被害を完全に防ぐことはできません。
そして次がくると分かっているのにどうにもできない。必ず人が死にますw。
だいたい兵器というのは常に盾と矛の関係です。イタチごっこ。
どんな防空システムでも必ず破られる。更新が必要です。
2.は、国民の権利の制限。
基本的人権は有事には制限される場合があるということです。
まずこれが憲法九条のためにできません。
安全を考えて市民を避難させようとすると、必ず歯向かってくる連中がいます。
人に従わないのが自分の主張なのだと勘違いしてくるのがいる。
そういう連中は逮捕拘束しないといけない。
他人にはアレコレと指示は出したがるくせに自分が従うのはキライという連中です。
人の言うことが聞けないのがいる。
有事に「俺の勝手だ」なんてことは決して許されないのです。
それは他人の生命を危険に晒すことになる。
コロナ緊急時に「時短」なんてやりましたが法の裏づけはろくにありませんでした。
違反すれば逮捕、拘束は当然のことです。
3.は、「国防に課せられる義務」。
これは攻撃に対して応戦する義務を負うというところがポイントです。
反撃は確実に相手方を破壊する必要があります。
その場合、作戦行動中に軍に判断が任せられることもあります。
しかしそれが「裁量」であってはいけません。
それには、軍としての責任と義務を規定しておく必要があります。
兵士は戦闘に対して法的義務を負っています。
ただ武器を持ってワアワアやればいいというわけではありませんw。
今回のロシア軍の整然とした作戦行動を見習うべきでしょう。
彼らのように整然と、粛々とやるのです。
あれだってダラけたのはいるのですから法の規定がないとどうしようもないw。
4.は、「敵基地攻撃」
敵基地への攻撃を定める条項ですが、敵方の拠点を破壊しておかない限り次の攻撃は想定されることです。
防衛は被害を最小限にするということが求められます。
しかし未来永劫に敵基地を破壊し続けるわけにはゆきません。
破壊して時間を稼いで停戦交渉、今後は攻撃してくれるなという外交交渉になるわけです。
ここで政治による判断が生じます。
よって文民統制の原則に基づき、内閣が決定しなければなりません。
そして、もしこの判断を怠るとすれば外交努力を放棄したということになります。
内閣さえも処罰されるべきです。
軍への責任転嫁は許されません。
今の法制度はほとんどが自衛隊任せです。
政治は判断から逃げ、現場に丸投げしています。
それではいけません。
もちろん、「先制攻撃」については議論のあるところでしょう。
わが国からの侵略行為にならないよう線を引かねばなりません。規定がないんじゃそれが曖昧だということになります。
わが国は「平和憲法」に従うのです。
改憲することはそれをひっくり返すわけではない。
はっ! まさか、平和主義をひっくり返したいのか?www
・・・このまま改憲しないで放置することは平和主義の放棄です。
今のように、ウクライナ側を確たる証拠も検証もなしに盲目的に支援すること、それはわが国は考えもせず全面戦争に加担しているということになります。
ともかく、敵基地をどう攻撃するのか、我が国としての防衛上の規定は必要です。
こういう私たちの準備や手順というものの規定、それは必ず相手方が見ています。
5.、結局、ここが一番のことだとアタシは思います。
正しく理解されねばならないのはここでしょうか。
「被害を最小限にする」ということは「犠牲はつきもの」ということです。
有事にはその覚悟が必要だということになります。
色々と決めておいても「人命は地球より重い」とか、間抜けなことを言って全体を危険に晒すバカが必ず現れますww。
いわく「人命優先」なんて、意味不明の念仏を唱えて思考停止になるのがいる。
それは後世においても決して許されない大罪です。
政治がそれをやってしまうことは処罰に値します。
政府は日本国民の命と財産に対して責任を負うのです。
それなりの覚悟が必要です。
それは全体的なこと、国家安寧、国の独立と言うことです。
トリアージの話にしてもそうですが、すぐに「見捨てるのか」なんて、無責任な外野が必ずチャチャを入れてくるものです。
こういう揺さぶりにポピュリズムしてつい情にほだされるということがわが国はあまりにも多い。
法により原則を決めておき、政治の人気取りや情にほだされることが抑制されないといけません。
国家運営が情実に流される愚だけは避けないといけないのです。
これは我が国では特に必須の条項となるでしょう。
さて、さはさりながらまずは大原則です。
国を直接守ろうとすることは市民の義務ではありません。
ゼレンスキーはそんなことを言ったようですが、まさしく狂っているとしか言えない。
あたかもそれは市民全員を兵士に仕立て上げようとするようなものです。
まあ実際に武器を配ったようで、あそこでは最初からそんなことをやってたようですがw。
「市民は武器を取り戦え!」www
なーんて、古い映画でもあるまいし、「アラモ」でしょうかwww(笑)。
馬鹿馬鹿しいどころか有害なプロパガンダでしかない。
兵士が市民の財産と命、そして国土を守るのです。
市民が全員兵士じゃあ「守る人間がいない」なんてことになっちまいますwww。
未だに一億玉砕とか火の玉とか言っているようでは始末におけない。
「国民総動員令」なんて無責任なだけ。
「イキる」、なんて今どきは言うものですが、臆病で弱い精神に限ってこういう振りかざし方をするものです。弱い犬ほど吠えるwww。
きちんと市民と兵士の区別ができてないといけません。
防衛ってのはそういうことです。文民統制ってのはしょうゆうことw。
文民として、市民には市民としての義務があります。責任ある態度でなければなりません。
まあ、どだい傭兵や義勇兵なんて捕虜にさえなれはしないのです。
ああいうのは兵士でもない。
緊張感もなく戦争ごっこと人を殺したいがためにウクライナにのこのこやって来て、脚や腕を吹き飛ばされても悲劇でも何でもありませんwww。
そこに大義などない。
私服を着て武装していればそれは犯罪者です。それは有事でも同じこと。
兵士でもない民間人が武器を持ってたら、どうなるか。
「お前はその銃を誰に向けるつもりだ!」
そんな話にしかならないのですw。
そんなこともゼレンスキーは捻じ曲げているわけですが、あんなのに感化されてまた馬鹿な話がまかり通るのは困る。
なんとも大衆というのは騙され操作されやすいものか。
捕虜となったロシア兵をウクライナ兵が惨殺したのは明確な戦争犯罪でした。
もちろん、ゼレンスキーはロシア側が同じことをやったら騒ぐんでしょうが。
まるで狂人、ガキの集まりです。
それにしても、ブチャの虐殺とやら、ロシアの戦争犯罪だという話はどうなったのかwww。
笑うしかないwww。
では、国民、市民の義務とは何か。
法を守るのが市民の義務です。
それはクチで言うほど甘いものではありません。有事にあってもそうだということです。
混乱に乗じての火事場泥棒は重罪です。パニックは犯罪。
そして、もし市民として国を守ることを考えるというなら、日ごろから投票を怠らず、正しく議員を選び彼らを働かせることです。
間違っても二重国籍のタレント風情やお笑い気取りの阿呆、党の要綱すらない党なんかに投票してはいけないのです。
それこそが国民主権ということ。平時に市民がなすべき責任と自由です。
私たちには納税の義務、法に従う義務があります。
秩序維持と市民の安全を守ってもらうため、市民は有事には指示に従う義務があります。
近代の戦闘では勇ましい市民兵など誰も求めてはいない。
シロウトがでしゃばってきたら危なくて邪魔になるだけです。
有事の際にも冷静さを失わず、指示に従うこと、それが市民に求められる義務です。
有事の際、その非常時に血気に駆られたのか、あるいはここぞとばかりに好き勝手できると勘違いするのか、でしゃばられても困ります。
そんな民間人は邪魔なだけなのですw。
訓練を繰り返し規律を保っている兵士を差し置いて出しゃばるな。
「国を守る」というのはそれぞれの役割があるということです。
平時は兵士は日ごろから訓練をしています。時には無駄飯を食っていると揶揄されることすらあります。
しかし有事の際にこそ兵士は働くのです。
戦争に参加したいのなら入隊すればよい。
志願して厳しい訓練を受けなさい。
市民は、有事の際には指示に従ってください。
法に従って行動してください。
国民の生命と財産を守るために自衛隊が出動しているってのに、「ここを通せ」だの「俺も助太刀してやるから銃を貸せ」だの、しゃしゃり出るのは止めていただきたい。
避難させるべきは市民なのです。市民はその避難指示に従う義務があります。
でないと国家、国民が危うい。
それとも、何か、ドサクサに何か盗もうってのかwww。
どんなに勇ましい言葉を使おうが、日ごろの心がけがなってないのであれば無意味なイキりでしかありません。
太平洋戦争中、そうやって他人にマウントして自分は負うべき義務と責任、覚悟から逃げようとする、そんな卑怯な連中はゴマンといたものです。
そこのけそこのけ、陛下が通る
頭が高い、失礼なり、なんとする(怒)
いやいや、頭が高いのはお前だろwww。人に構うな。
ってwww。
人に要求する前に自分でまず規律を守るのです。
自分では厳しいことを受け入れたくないもんだから、人にマウントしようとする。
自由に戦いたい、武器を取って人殺しの遊びに興じたいなら敵国の領土に行ってやりなさい。そこは日本の法は及ばないから。
市民、国民には義務があります。
それは法を守り有事でも秩序維持を心するということです。
考えてみれば我が国の有事には必ずそういうのが出てくることでしょう。
「コロナをみんなに感染させてやる」なんてのが出たぐらいなんだから(笑)。
あの事件は結局、遺族には賠償請求がされていません。
ご本人は死んじまいましたが、残した遺産があるのですから支払い能力はある。
本来は賠償、責任を取らせないといけないのです。
わが国はその場の雰囲気や、情実による裁量で法を捻じ曲げるようなことばかりです。
しかし特に有事の際には決してあってはならないことです。
それこそが国防に直結すること。
そんな法整備が必要なのです。
これをさせるのは平時の国民の役割。
義務とかって言うならそれこそが義務です。正しい投票をすべきです。
まあ、もし有事の際に兵士でもないのが武器持ってたらアタシは許さないでしょう。
もちろん、それはナイショで、あくまで非合法を承知でやるわけですがwww。
おそまつ
※ まったくあきれ果てた連中がいるものです。
このご時勢だというのにいまだに妙なことを振りかざしているのがいる。
いわく国防が大事、国民総出でウクライナのように戦おう、なんて。
そして憲法改正が必要、と。
改正したって法律がないんじゃダメなのです。今の議員はサボってる。
法律を議員は作っているのか、整備しているのか。法律を作るのが国会議員の仕事です。
極端な話、政府の予算や政策に不満があるというなら禁止させる法案を出せばいいのです。
グダグダとパフォーマンスしてもしょうがない。
いつから立法府は行政政策を議論する場になったのか。
アタシはずっとウクライナの情勢は正確ではない、だから軽々に判断や行動はできないと思ってきましたが、なんだか勢いにまかせて騒ぎ続けているのがいます。
こういうのが全体主義になるのです。
人より優越して怠けようとする連中にはそれが都合がよい。
マウントしようとする。
正直、東北震災でもそうだった。
指示されたことに従おうとしないのも多かった。
そんなのだから指示する連中が責任感を持たないでもしょうがない。指弾なんかできません。
だから、安全について責任を取らず、思考停止状態でただボヤっとグラウンドで生徒を立たせておくようなのがいた。
それで死んでしまったとしても責任を取らせることはできません。
わが国は法治国家であり民主主義です。
