なぜ憲法九条を改正しなければならないか
この場を借りまして、非公開拍手コメントへのご返事を含め、アタシなりの見解を述べさせていただきます。
非公開拍手コメントの方にはちょっと遅くなりまして申し訳ない。
耳の穴が痒かったのですww(笑)。
当該コメントは非公開でしたので特に引用はいたしません。
あしからず。
さて、まずはご体調、精神状態が不安定ということでご同情申し上げます。
寝たいと思っておられても、寝れないとのこと。
夜中に突然に大きな音を天井から感じられるとのことですが、それは「ラップ音」というものです。
霊的なものが何かを伝えようとしているのかも知れません。
それはこのところ、ご自分のお考えへの疑念、迷いがあるからに他ならないとアタシは思います。
だから決まって夜には不安になるのでしょう。
不安とはそういうものです。
つまり、その不安はご自身から来ているということです。
他に転嫁しようとしてもできるものではありません。
天井からの音が聞こえる。
すなわちそれは天井ではなく「天」、天界からの音です。
まるで大きな足音が響くように感じられる。
それはあなたにとっての神、天がお怒りだと薄々は知っておられるのではないか。
そうアタシは霊視しています。
いつぞやはブログをご覧いただいてご共感いただいたとのことですが、たまたま記事が生ぬるかったというだけのことかも知れません。
それで「コミュニケーションが出来る」なんて思ったとしても、それは上辺だけのことです。
人は違うのです。
異論反論はあるものです。誰しも見方というのは違うものです。
よく考えて理解する必要は常にあります。
そうして、あなたは最新の記事でまた動揺してしまった。
天井からたたきつけるような音を聞き、目を覚ましたということ。
それは「恐怖新聞」かも知れません。
我が国の平和が脅かされる予告がラップ音となって天井を揺るがすのです。
自問自答ください。
我々は憲法を改正しないといけません。
あなたご自身が実は一番そのことをよく分かっている。
今のウクライナの現実、あなたはその様子をつぶさにネットや世間から見ているのです。
ここまで、まるで今回の「戦争」を歓迎するかのようにして「ウクライナ支持」などと言われてきました。
世論は一方向に偏り、岸田首相はその空気を読んで多額の税金をウクライナへ贈りました。
誰も紛争を止めさせようとせず、ただ兵器が横流しされるだけです。
勇気を持ってこれに疑問を呈する人はわずか。
挙句には「ナザレンコ先生」などとウクライナのチンピラを賞賛する始末。
しかも、その多少ともマトモなことを言っているような連中というのがどうにも困る。
鳩山だの植草だの橋下だの、と、・・(笑)、普段からおかしいと思われてる連中に限ってアタシと意見が一致してしまうwww。
ある程度の正論を言ってるように思えるのはおかしな連中ばかり・・・。
なんてことでしょうwww(泣)。
今、人々は人が死ぬことを何とも思っていないかのようです。
市民がブチャで拷問され処刑され晒し者にされたこと、ウクライナ各地の市長や首長らが拉致され殺されている事実は追究さえされません。
そして停戦どころか、武器を供与することが賛美されている。
武器を買って人を殺すため、我が国からはいまだにウクライナに募金が送られているというのです。
医薬品や食糧援助などとは誰も言い出さない。
まあ、ウクライナ自身がそんなものはいらないと断るのですがw。
どだい、劇場が狙われたとか駅が砲撃されたなどと、すべてが西側に兵器をねだるための自作自演でしかないので医薬品はどうせ不要でしょうがwww。
ロシア軍に攻撃されるのはナチの戦闘員ですが、市民がそのナチに殺されても西側の報道はありません。
誰かが悪い、ロシアが悪いと、みんなが一方向を向いています。
よってたかって特定の人物を潰そうと公言する異常さ。
プーチンが悪い。
以前、それはドナルド・トランプのことでしたwww。
リンチやイジメのようなこと、謀略や嘘、ロシアへの中傷がまかり通っています。
テレビを見て、みながそれを許しています。
あなたの守護霊は今の矛盾に疑問と怒りを感じておられるのかも知れません。
戦後、我が国の人々は平和主義になったのではなかったのか、と。
しかしあなたは抗議できないでいます。
なぜなら大多数がウクライナを支持しているから。
独立を守る民主主義国家の英雄として、ゼレンスキーの虚像をみなが信じるからです。
西側メディアの情報に人々が考えもなしに乗っています。
平和への祈念とやらはどこへ行ったのか、我が国の反戦の誓い、大戦の反省はどこえ消えたのでしょう。
その信念を貫こうとしないあなたに、守護霊が怒りのラップ音を立てているのではないのか。
霊を静めるためには、大勢に流されずご自身の考えと向き合うべきだとアタシは申し上げざるを得ません。
しかしながら、では、同じことがが我が国で起きた時どうでしょう。
これまでのように日米安全保障条約だけで対応できるでしょうか。
米国政府は信頼に足りるパートナーでしょうか。
その当の米国政府は今はウクライナ紛争の原因を作った側にいる。
あるいはこの言い方に異論があるなら、「もし有事に米国が我が国を守ってくれなかったら」、としてもいい。
我が国が独立国として自らの有事を規定せず、意思表明を避け、日米同盟だけを頼りにして生き残ることが果たしてできるでしょうか。
まず、「憲法九条があれば平和が守れる」という考えは信仰と同じ類のものです。
それは意味不明で無責任、全くの誤りです。
しかし、反対に、「憲法九条を改正すれば我が国が守れる」という、そんな誤った考えがまかり通っていることも問題です。
「防衛のためには憲法九条を改正すればよい」などと、幻想を抱く向きもいます。
「憲法」は兵器ではありません。法です。法の基となるものです。
自衛隊という国軍がいて軍備があり、日ごろの訓練と備えがあるから我が国の命と財産、国土が守れるものです。
では、なぜ憲法九条を改正しなければならないのか。
その明確な答えがどうもおろそかにされている気がいたします。
「なぜ憲法を改正しなければならないか」
それは、我が国を守ろうとするなら法によって規定しなければならないからです。憲法はその法の基礎となりますから今の憲法ではそれが作れません。
自国の防衛について、もし対応できる憲法や法がなければどうなるでしょうか。
その場の判断に任せて有事に結果を出せるでしょうか。
その結果に保障があるでしょうか。
結局、「無法がまかり通る」ということになりかねません。
法治国家である以上、憲法に立脚した法に従って自国防衛と自国市民を守るための命令が伝達されるものです。
軍や警察、各行政機関に対して。
その判断も法に基づいて文民によってなされ、だから軍の統制ができます。
そうして軍はこれに従います。
軍は命令に基づいて法に沿って統制の取れた行動をとりその任務を果たすことができます。
そして、この法に反すれば処罰することができます。
この法は立法府、すなわち国会によって作られます。
法律は、国民によって選ばれ仕事をきちんとする議員らによって作られますw(汗)。
法があれば誰が命令する立場になろうとも基本は変わりません。
将来もこれからも。
コロコロと国家としての立場や原則が変わって混乱するということはないのです。
我が国は何十年来と有事に関して混乱した議論をしてきました。
それこそが憲法を改正しなければならない一番の証拠です。
有事のための法律を作るべきなのです。
平和を維持するために有事のための法を整備すること、すなわち、これを裏付ける憲法の改正が必要なのです。
法を整備しないでおいて、その場その場で有事に政治家たちに対応させようだなんて、無責任にもほどがあります。
だいたい、その政治家が正常であるかどうかの保障はあるでしょうか。
まるで独裁を容認するようなものです。
もし狂っていたら?ww
ゼレンスキーは今回の侵攻で16歳から60歳までの男性の国外出国を禁じました。
これはかつての我が大日本帝国での「国家総動員法」というようなもので、まるでお話にならないものです。
こういうことだけでウクライナが国家としての体を成していないことが分かります。
市民を巻き込み、ウクライナでは国民全てを戦闘員としたのです。
それでは国家と言うよりもテロ組織も同然です。
そうなれば停戦どころか収拾もつきません。
外から見ればゲリラの集団も同然なのです。
外国の軍隊からすれば誰も信用できないことになりますし、敵方の市民を保護するということすら考えられなくなるのが普通です。
近代の紛争や戦争では非戦闘員の安全はジュネーブ条約によって守られています。
市民は戦闘行為とは切り離して考えられています。
つまり世界は、理由があってする節度のある戦闘行為、これを戦争とか紛争と認識を共有しているということです。
メキシコなどのギャング、麻薬カルテルの皆殺しの殺し合いではありません。
ジュネーブ条約はこういう国家間の争いを想定して調印されています。
これは簡単なことです。
すまわち、戦時下で兵士は市民に命じるのです。
「ここは危険ですから退避してください。戦闘地域に立ち入ることを禁じます」と。
市民は戦闘には関わりません。その権利はありません。
「市民は武器を持って戦え」、なんてことは、とっくに前時代的なものです。
兵士が守るのは市民と国土です。
その市民がすべて戦闘員になってしまったらどうか。「守る対象がない」ということになります。
ちなみに戦闘員は戦闘員としての扱われ方があります。
すなわち捕虜の処遇を定めたものですが、ウクライナはこれに違反しています。戦争犯罪。
反面教師としてマウリポリの実例を挙げれば分かるでしょう。
ウクライナのゴロツキどもはどうしたか。
市民を戦闘員と一緒に地下に立てこもらせて降伏を拒否していたのです。
すなわち、これは「人間の盾」と言うもので、近代になってテロ集団がやる手法として非難されるようになった手法ですwww。
つまり、戦闘員と市民をきちんと分けておかなかければ戦争(侵略)に備えることが出来ない、ということです。
もしこの言い方が悪ければ違う言い方をしましょうw。
平和のためにはきちんと「戦争と平和の境界」をはっきりさせ、独立国家として有事のための法が整備されていなければならない。
今の憲法九条はこうしたことを曖昧にさせており、解釈論争という危険な状態が長く続いてきました。
解釈論争が起きるということは憲法に欠陥があるということです。
それでは主権の侵害に対して責任ある行政機関が適切に対応することはできません。
そうさせるための法律すら作れないのです。
憲法九条の曖昧な束縛によって、我が国は戦争を回避することもできないのです。
なお、あくまでアタシの見解ですが、今の状態では法的には我が国は「無条件降伏」すらできないと思っています。
かつての帝国政府より悪いw。
つまり敵国の攻撃を受けた場合、我が国が降伏しても信じてはくれないということです。
有事を想定した法律がないので誰がどのように抵抗するか敵にも分かりません。
だから降伏したとしても自衛隊員や市民が殺され続ることを誰も止められない、ということになります。
こういう状態は国家として極めて不安定な状態です。
まるで戦争を呼び込もうとするかのようです。
だから憲法九条を改正すべきなのです。
何も、憲法を改正することは、戦争がしたいからではないのです。
それは今のように、ウクライナの戦争を楽しんだりww、サッカーの試合のようにドネツクの情勢に一喜一憂したり、チェッカーボードのようにドンパスでの陣取りを予想する心理とは全く関係ありません。
憲法の改正は戦争を回避するため、平和のためにこそ必要なのです。
そして有事のための法を整備しなければなりません。
憲法はこれを裏付けるものです。
憲法だけ改正してもどうしようもありません。ちゃんと法を整備する必要があります。
【攻撃を受けた場合には内閣は3時間以内に閣議を開き、報復するか次の攻撃のために軍を集結させるかを決定して命令しなければならない。
主権は制限され、当該地域からの退避レベルが決められ自治体が住民の避難を行う。
攻撃に対して応戦する際は規定に基づいて迅速に対応し、敵の攻撃の停止が確認されるまで継続するものとする。
軍は迎撃のために敵を破壊する責任を負う。
場合によっては敵基地を攻撃することも許可されるが内閣の承認を必要とする。内閣は被害を抑制するために軍責任者から報告があってから1時間以内にこの決定を下さねばならない。
政府は有事の際にも国民の生命と財産について責任を負うが、同時に、民間人の被害を最小限に抑える義務を負う。このため、市民の拉致や拿捕、逮捕などと引き換えて交戦権や主権を放棄してはならない。】
・・・と、
こんな風に、法により有事の際の対応を規定しておくのです。
それで平時には敵国が侵攻や挑発を思いとどまったり、偶発的衝突を避けることができます。
定められたプロトコル(手順)に従って動くのですから、議論や混乱など起きようもありません。
ただ粛々と侵略や侵攻に対応するというだけです。
今のように行き当たりばったりで、こちらは米国の出方次第、敵国にはどう我が国が対応するか分からない状態ではひとたび衝突が起きればズルズルと戦争は長引き、人的被害は止められないでしょう。
「平和など望むべくもない」、ということになります。
あなたは教条的な護憲論が間違っていることに気が付いているでしょうか。
「憲法を守れ」と言っても、どこをどう守るのかまるで説明がありません。
「平和憲法」などと美辞麗句で飾っても意味はありません。
むしろ欠陥のある憲法九条のせいで「戦争誘致憲法」となっているのです。
ウクライナ侵攻で戦争という現実を知ることになり、だから今も眠れない夜が続くのではないか。
ウクライナ紛争は現実であって、あなたの信じてきた護憲というスタイルや現状維持というぬるま湯の怠慢とはまるで違うものです。
今の憲法の条文は曖昧に過ぎて危険なほどなのです。
そうして、ウクライナ支援とロシアは悪者、そんな世の中の情報操作と矛盾にあなたは疑問を感じて揺れている。
彷徨える魂に祈りを。
もはや「フライングダッチマン」の悲劇をお話しすることもありません。
うろたえるだけでは魂は決して救われることはありません。
ご自身との対話をお勧めいたします。
長くなりましたが、今後のご健勝をお祈りして。
かしこ
